第十六話 意見
地球の歴史では、絹そのものが戦争の引き金になったことはないが、戦争の影響を受けたことはある。
「へえ、そうなんですか」
アキラは、前侯爵に説明する前段階として、ミチアに話を聞いてもらっている。
「絹は、当時の女性のストッキングとして欠かせないものになっていたんだ」
アメリカでは日本産の絹が人気だったという。
1920〜30年代にFFシルクストッキングが流行した。
フルファッションストッキングとは、脚部の形に応じて目減らしをしたストッキングのことで、要は脚にフィットするような形状に編まれたストッキングのことだ。
このストッキングは無地なので白繭糸である必要があった。
イタリアやフランスのシルクは黄繭糸だったので、より色が白い日本の白繭糸が最適とされ、アメリカへの輸出が伸びたという。
「絹に代わる合成繊維が1940年だったかな? ……に発売されたんだけど、その後の戦争で、『パラシュート』っていう軍需品に使われるために供給量が減って、女性たちは『塗るストッキング』なんて代用品を生み出したらしいよ」
「ぬ、塗るストッキングですか!?」
「ああ。……要するに、穿いていなくても穿いているように見せるため、脚に色を塗ったんだってさ」
「……すごい話ですね」
「だよな。まあ、それはそれとして」
話がそれた、と、アキラは咳払いを一つ。
相手国の産物が欲しいがために侵略戦争を仕掛けた、という例は、古代には多かったことだろう、とアキラは言った。
* * *
ざっとひととおり、地球における絹と各国の関わり合いについて、アキラは説明を終えた。
聞き終えたミチアは、
「やっぱり、大旦那様にご相談した方がいいですよ」
「そうだな。セヴランさんに、閣下のご都合を聞いてみよう」
ということで前侯爵の予定を確認すると、この日の夕方に会ってもらえることになった。
* * *
「……それで、何の相談だね?」
一仕事を終えた前侯爵は、桑の葉茶を飲みながら、アキラとミチアに尋ねた。
「ええ、実は……」
アキラは懸念事項を話す。
もちろん、地球の歴史における紛争や戦争、国家間の駆け引きも含めて。
予めまとめておいたので、30分ほどで前提となる説明を終えることができた。
「……と、いうことです」
「ふむ……」
前侯爵は目を瞑り、腕を組んで考え込んだ。
そして1分ほどして目を開くと、
「アキラ殿、君が言いたいのは、絹産業は国家間紛争の火種になり得る、そう言いたいのかね?」
と、アキラの真意を見通した発言をしたのだった。
「そ、そのとおりです」
「それを未然に防ぐためにどうすればいいか、相談したかったわけだな」
「はい」
さすがフィルマン前侯爵は、アキラたちの考えを酌み取ってくれていた。
「だが、アキラ殿にも結論が出せなかったように、非常に難しい問題だ」
渋い顔で前侯爵は続けた。
「大きく分けて道は3つ。1つは、絹産業について、他国に絶対に漏らさぬことだ」
だがそれは現実的ではない、と続けた。
「2つ目は正反対の道だな。絹産業に関する内容を、早い段階で他国にもオープンにすることだ」
その場合、ガーリア王国の利益は少ない、と前侯爵。
「そして3つ目は、我が国が独占し、他国が知りたがっても、力ずくで突っぱねることだ」
そのためには、強大な軍事力を背景にする必要がある、と前侯爵は結んだ。
「軍事力増強は……ちょっと……」
アキラが難色を示すのを見て前侯爵は、
「アキラ殿ならそうであろうな」
アキラから現代日本・世界の話を聞いていた前侯爵は深く頷いた。
「だが、抑止力という意味での武装の意味もわかってはいるのだろう?」
「ええ、頭では」
地球における永世中立国で有名なのはスイスであるが、そのスイスは、自国を守るための軍や武装を持っている。
ただ、
「その武装を正しく使えるかどうか、が鍵だと思います」
とのみ答えておく。
「うむ、もっともだ。強力な武装は抑止力になるが、同時に侵略の手段にもなるからな」
封建制、独裁制の国が多いこの世界では、『抑止力』のための武装が、いつ『攻撃力』に転化するかわからない。それがアキラの懸念であった。
「そして、戦争になれば、多くの血が流れます。それはつまり、多くの才能が開花せずに散ってしまうことに繋がります」
いったいこれまで、どれほどの才能が戦争によって潰されてきたのだろうとアキラは思う。
「確かに難しい問題だ」
アキラの主張を聞き、重々しく頷くフィルマン前侯爵。
「儂にも、軽々に答えを出すことはできんな。……早い方がいいのは確かだが、一刻を争うわけでもない。ここは一つ、じっくり考えさせてくれ」
「はい。どうか、よろしくお願いします」
アキラの願っていることはつまり、『この世界の戦争をなくすにはどうしたらいいか』ということに他ならない。
一朝一夕で答えの出せる問題ではなかった。
「ところで、アキラ殿は乳幼児の死亡率を下げ、人口を増やし、国を富ませるというようなことを言っていたようだが」
「あ、はい」
どこから聞きつけたのか、前侯爵はアキラのもう一つの展望を口にした。
「それ自体は否定しない。いやむしろ素晴らしいことだ。だが、同時に食料生産を増やさなければいけないことには気付いているかね?」
「……あ……」
前侯爵はにやりと笑った。
「その様子では気にしていなかったようだな。……そうなのだ。人口が増えれば食料の消費も増える。為政者はそれも考えていかねばならないのだよ」
「……わかり、ます」
アキラの答えに前侯爵は頷いた。
「つまりだ。今私が言えることは、食料生産量を上げられれば、国力の増強にも繋がる。そしてそういう意味で『強い』国にするのなら、アキラ殿は協力してくれるだろう?」
「そうですね……」
病気だけではなく、飢饉などでの餓死者を減らすこと。それもまた、人々のためになることだと、アキラは再認識したのである。
* * *
「ありがとうございました」
礼を言って、前侯爵の前を下がったアキラ。
「やっぱり難しいか……」
先程の話に出た2つ目。『絹産業に関する内容を、早い段階で他国にもオープンにする』こと。
「ガーリア王国に世話になっている以上、勝手はできないしな」
物語の中の主人公のように、圧倒的な力で国をも相手取れるならともかく、ただの人であるアキラにはなすすべがない。
「……あの、アキラさん」
ずっと無言だったミチアが口を開いた。
「あまりお一人で背負い込まないでくださいね?」
「……うん」
「歴史の流れを変える、ということは大事業ですし、それこそ政治的なお仕事です。アキラさんがそこまでお気になさることではないと思いますよ」
「うん……」
アキラにも、ミチアが言わんとすることはわかる。
自分は英雄でも勇者でもない、ただの一般人、現代日本の知識を持っているだけの技術者だ。
そんな自分が、この世界の流れをどうこうしよう、というのは傲岸不遜なのだろうか、とも思える。
「無理しないでくださいね」
「……ありがとう」
まだ、気持ちの整理ができたわけではないが、ミチアの言葉に少しだけ気持ちが楽になったアキラ。
「まずは食糧事情の改善か」
それができたなら、何かが変わるかもしれない。アキラにはそう思えたのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月1日(土)10:00の予定です。
20190708 修正
(旧)だが、同時に食料生産を増やさないと行けないことには気付いているかね?」
(新)だが、同時に食料生産を増やさなければいけないことには気付いているかね?」