第十三話 まずは歯車から
「うん、お蚕さんの飼育は危なげなくできるようになったな」
王都から来た技術者たちの成長ぶりに、アキラは満足していた。
「このあとは製糸と織り、染めだな……」
ゴドノフたちも順調に熟練工になっているので、大分楽になったアキラである。
その分、新たな技術の導入に力を入れられるのだ。
「製糸の効率アップ、か……」
やや太めの羊毛は、スピンドルもしくはコマと呼ばれる道具で紡ぐのが一般的だった。
木綿までならその方法でなんとかなるが、細い絹糸の場合は難しい。
「やっぱり糸車が欲しいな」
織機については、台数はともかく、使い勝手のよいものが揃っている。
繭の数が増えたなら、糸紡ぎの効率も上げなければならない。
これまでは、数個の繭から糸を引き出し、木枠に巻き付けていたのだが、その工程を省力化しようとアキラは考えていた。
方法としては手回しの部分を、もっと高速に回せるようにするのだ。
具体的には、歯車もしくはベルト車を使う。
もう一つ、『撚糸』の工程も問題だ。
「うーん、どうやったら一定の撚りで巻けるだろう……やっぱり歯車かなあ」
「アキラ、何をぶつぶつ言ってるんだ?」
『離れ』でアキラが悩んでいると、ちょうどいいことに、ハルトヴィヒがやって来た。
「お、いいところに」
アキラは、考えていたことを打ち明ける。
「あのな、絹糸の品質を安定させることを考えていたんだ」
「うん、それで?」
ハルトヴィヒは身を乗り出してきた。
「今考えているのは、張力と撚りだ」
この説明で、ハルトヴィヒは朧気ながらアキラのいいたいことを察したらしい。
「……続けてくれ」
「うん。つまりだ、撚りの回転数と巻き取りの速度を一定にしたいんだよ」
「そういうことか。……巻き取り軸の回転と撚りを掛けるスピンドルの回転が同期すればいいんだな!」
「お、さすがだな。それだよ、それ!」
「やっぱり歯車だな」
この世界にも、『歯車』の概念はある。ただし金属製ではなく、木製だ。
水車で麦を挽く際に回転方向を変えるための用途が代表的だ。
「あ、ハルトヴィヒさん、いらっしゃいませ」
洗濯物を干し終えてミチアが『離れ』に戻ってきた。
「お茶にします?」
「そうだな、頼むよ」
「ちょっとお待ちくださいね」
ミチアは手際よく桑の葉茶を淹れ、アキラとハルトヴィヒの前に置いた。
それを一口飲んで、アキラは口を開く。
「できれば金属で作りたいな」
「うん、僕もそう思うよ」
ハルトヴィヒは、少し前にアキラの『携通』にあった歯車の理論を見て、それに則ったものを作ってみたかった、という。
「モジュールとか、ピッチ円とか、歯先円とか、さすがアキラの世界は進んでいるなあと思ったよ!」
この世界の歯車は手作業で製作されるため、対になる物同士以外、互換性がないのが一般的である。
ゆえに壊れたからと言ってすぐに部品を交換できるわけではない。
「規格というものがいかに大切か、ということだよな」
そしてハルトヴィヒは、その規格の1つの発信源になれたら、という己の夢を口にした。
「それが歯車か」
「そうさ。モジュールはメートル法。今回はモジュールm=5くらいかな?」
彼自身、どうやって歯車を作ろうかと、暇な時に考えていたという。
「一番難しいと思ったのは、回転角の制御なんだ」
「あー、正確な等分か」
歯数40枚の歯車なら、360度を40で割って9度。歯数60枚なら同じく6度。
「円周の等分から始めなけりゃならないわけか」
「そういうことだな」
真円の円盤を作るのは比較的簡単だ。板を軸に刺して回転させ、削っていけば、回転体である円盤ができる。
これが旋盤の原理である。
「そうか、まずは旋盤作りか……」
とアキラが呟くと、
「旋盤はもう作った」
とハルトヴィヒが言った。どうやら、暇を見て少しずつ作っていたらしい。
旋盤の機構自体は単純だから可能だったようだ。
「難しいのはガタを減らすこと、つまり精度だったからな」
「なるほど」
そのあたりは、丁寧なすり合わせをして何度も作り直したという。
「すごいな、ハルトヴィヒは」
物作りにかける情熱には感心する。
「それを言ったらアキラの養蚕に対する想いだって」
と、ハルトヴィヒ。
そして2人して笑い合う。そんな彼らを見て、
「いいですね、男の人たちの友情って」
とミチアは呟いていた。
* * *
「円周にぴったりの紐か糸を用意して、それを等分して円周に写せば、円周が等分できる。それを使えば回転の角度を決められる」
「おお、それで万事解決だな!」
アキラとハルトヴィヒの検討会は続き、ついに回転角の制御に辿り着いた。
「あまり種類があっても煩わしいから、歯数は20、30、40、50、60あたりで行こうか」
と言うハルトヴィヒに対し、
「うーん、それだと、歯車の歯が、いつも同じところに当たるから、摩耗や消耗が早いんじゃないかな」
と言うアキラ。これは歯車に関する聞きかじりの知識であった。
「どういうことだ?」
さすがのハルトヴィヒも、これは知らなかったらしい。
「ええとな、例えば20枚歯同士の歯車があったとする。その歯の1つが、何らかの理由で傷ついたらどうなるか」
「……なるほど、相手の歯車にも傷が付くだろうな。そして、その傷は常に同じ歯に付くことになる」
「そういうことさ。だが、これが19枚と20枚だったら?」
「……相手側の歯車の歯全部と満遍なく当たるから、長持ちする……のかな?」
さすがハルトヴィヒ、簡単な説明で理解してくれたようだ、とアキラは感心した。
「そういうこと。それを……なんて言ったかな? 『互いに素』だったっけ?」
歯車同士が『互いに素』であるというのは、かみ合う歯車の歯数が、1以外の公約数を持たない状態を言う。
現代日本の工作精度であれば問題ないが、精度が低い時は、これは大きい。
摩耗が進む歯と、摩耗しない歯ができてしまい、結果噛み合わせががたつき、歯車機構全体の寿命が短くなってしまうのである。
『互いに素』である歯車列の欠点は、減速比が綺麗な数値にならないことであろうか。
「なるほどな。でもまずは歯車を作るための工具から始めないとな」
ハルトヴィヒは腕を叩いてそう言ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は、5月11日(土)10:00の予定です。