第十二話 青を求めて
「青を染めたい」
アキラはそう宣言した。
絹織物を一大産業に押し上げるためにも、色鮮やかな染色は不可欠だと感じたからだ。
「ミチア、使えそうな植物はないかな?」
今や秘書的な役割を務めてくれているミチア。その記憶力は抜群で、雑多なデータが収められている『携通』内の索引的なこともできるのだ。
「ツユクサの花とクサギの実、と載っていた覚えがあります」
「ミューリ、知ってるかい?」
そして、前侯爵の侍女からこのたびアキラたちの仲間となったミューリは、この世界の植物に詳しいのだ。
アキラは『携通』にツユクサとクサギの画像を表示させて、ミューリに尋ねた。
「ツユクサは……ああ、そこら中に生えている草ですね。私たちは『帽子花』と呼んでいます」
この『帽子』というのは、貴族女性がファッション的に頭に被る、大きなリボン付きの帽子を思わせるからだそうだ。
緑みがかった青色の花を咲かせるツユクサだが、その色は非常に褪せやすく、すぐに薄くなってしまうという。
逆に、その性質を利用して、友禅染の下絵書きに使われるほどだ。
「クサギは……見た覚えがあります。『トリコト』って言ってます。葉っぱを揉むと臭いんですよね……」
ミューリが言う特徴はクサギに一致するので、アキラは希望を持った。
ちょうど今頃、染めに使える実が生る頃なのだ。
「よし、クサギ……『トリコト』の実を採集して試してみよう」
アキラは決断した。
ということで、ミューリを先頭に、アキラ、ミチア、リーゼロッテ、ハルトヴィヒ。
ゴドノフ・イワノフらも、手が空いている時に手伝い、大きな籠いっぱいの実を集めることができた。
「いやあ、臭せえ木だったすねえ」
「それは、『葉っぱを傷つけるな』って注意を守らなかったからだろが」
ぶつくさ言うゴドノフたちだが、その顔は笑っていた。
蚕の世話ばかりしていた日常ばかりだったので、山を歩き回ったことが思わぬ気分転換になったようである。
このことを経て、アキラは彼らの休暇を考えるようになった。
(仕事自体はきつくないが、やはり明確な休暇は、やる気を維持するためにも必要だな)
アキラ自身、休暇などというものは取っていない。いや、ミチアもミューリも、『蔦屋敷』の使用人は誰も、明確な休日は取っていない。
これはこの世界、この時代では当たり前のことであったが、アキラとしてはそれではいけない、と考え始めたようだ。
だが、それが実際に行われるようになるまでは、もう少し時が必要なようである。
* * *
「この実を使うのね」
リーゼロッテは、一掴みの実を取って計量し、100グラムを取り分けた。
それを陶器製の容器で潰すと、青い汁が出る。その汁を濾し、水に入れて染め液にするのだが、濃度調整が難しい。
リーゼロッテは、やや濃いかと思われる濃度から始めていった。
染め液に小さな絹の端布を浸し、濃さを見る。
おおよそ1リットルの水に100グラムくらいでよさそうだと当たりを付けた。
染め液を鍋に入れ、今度は絹のハンカチを漬け込んで、火に掛ける。
「ここからね」
煮沸していいのか、それともしないほうがいいのか。
そうした試行錯誤も含めた実験を繰り返していくリーゼロッテであった。
* * *
「おおー、綺麗な色だな」
そして2日後、見事な青色に染まったハンカチがアキラたちの目の前にあった。
その、僅かに緑みがかった青は、夏の空の色。
「これは綺麗だな!」
ハルトヴィヒも絶賛している。
さっそく前侯爵に見せると、
「ううむ、この色なら高級品……いや、最高級品のドレスになるだろう」
と、太鼓判を押してくれたのである。
「まだ、解決すべき問題点があります。その1番は褪色です」
「うむ、引き続き研究してくれ。この色のためなら、予算は気にしなくていいぞ」
「ありがとうございます」
* * *
予算は気にせずともよい、と言われても、今のところ金の掛かる要素はない。
強いて言えば『実の確保』だ。
「だいたい、この色を出すためには、絹1キロに実1キロ以上必要ね」
かなり大量に必要になるようだった。
「よし、近隣の村に依頼を出して、実を集めてもらおう」
と、アキラ。今が季節的には最適期である。
「いいわね。私は保存方法を検討するわ。実のままがいいのか、絞り汁にした方がいいのか、それとも乾燥させていいのか」
リーゼロッテも染料の保存方法の検討に入った。
同時に、褪色の実験も行う。
染めた布を、日の当たる場所に放置するだけだ。
比較用に、ヤシャブシで染めたもの、アカネで染めたもの、紫で染めたもの、マリーゴールドで染めたもの、それに染めていないものも一緒に日に当て、比較することにした。
結果が出るまではまだ数ヵ月掛かると思われる。
* * *
もちろん、蚕の飼育も行わなくてはならない。
『秋蚕』は順調に生育し、全て繭となった。
「この繭は全部『殺蛹』する」
既に卵は数万個確保してあった。
気温が下がり、日照時間が短くなった秋の卵は、やや孵化率が落ちる気がしているアキラなのだ。
これが真実なのかは『携通』にもなかったし、アキラ自身聞いたことはないが、経験で知ったことも馬鹿にはできない。
ましてここは異世界、どんな条件で何が変わってくるか、予断を許さないのだから。
「そして、今年最後のお蚕さんは『晩秋蚕』という。最初から最後まで、自分たちでできそうかな?」
「もちろんです!」
春からずっと教育してきた、王都からの技術者たち6人も、すっかりここの生活に慣れたようだ。
初めのうちは、あまりにも王都と違う生活環境に面食らったようだが、今では牧歌的な風景も、澄んだ空気と美味しい水も、そして新たな産業の先駆者になるという自負も、全てをひっくるめて謳歌しているようだ。
「よし、お蚕さん飼育の仕上げだ。頑張れよ」
「はい!」
6人は元気よく返事をした。
そんな彼らを見て、絹産業の未来は明るいかな、と思うアキラであった。
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次回更新は5月4日(土)10:00の予定です。
20190427 修正
(誤)リーゼロッテは、一つかみの実を取って計量し、100グラムを取り分けた。
(正)リーゼロッテは、一掴みの実を取って計量し、100グラムを取り分けた。
(旧)『秋蚕』は順調に生育し、皆繭となった。
(新)『秋蚕』は順調に生育し、全て繭となった。
20190503 修正
(誤)染め液小さな絹の端布を浸し、濃さを見る。
(正)染め液に小さな絹の端布を浸し、濃さを見る。
20210430 修正
(誤)春からずっと教育してきた、王都からの技術者たち10人も
(正)春からずっと教育してきた、王都からの技術者たち6人も
(誤)10人は元気よく返事をした。
(正)6人は元気よく返事をした。