第十一話 染めの苦労(二)
翌日ミューリは、なにやら草の根っこのようなものを籠に入れ、リーゼロッテの研究室に持ってきた。
「これ、使えますでしょうか?」
「何だい、これ?」
「ルビア、って言ってます。子供は、これを使って布をオレンジ色に染めて遊びます」
「ふうん……ムラサキも根っこで染めたし、これも使えるかもな。……量は採れるのかい?」
染料に使うのなら、ある程度の量を確保できる植物が望ましい。
「ええ、野にも山にも結構生えてますから大丈夫かと」
「それならいいかな」
染料は確保のしやすさも大事な要素である。
「とにかく、試してみようか」
「あ、それじゃあ私が」
と言ってミチアが泥が付いているその根っこを洗おうとすると、
「あ、洗いすぎると色が抜けるから気をつけてね」
とミューリから注意された。
このルビアの根は、水にさらすとそれだけでその水が黄色くなるのだという。
なので軽く洗うに留めておく。
それを刻んでから煮ると、黄色がかった橙色の水となった。
「これに絹を漬けて……」
試験用の絹を浸すが、赤とはほど遠い色である。
「うーん、あまり鮮やかじゃないわね」
リーゼロッテは面白くなさそうな顔をした。
「何か足りないのかな?」
首をひねるアキラ。
そこへミチアが助言を行った。
「ええと、子供はカタバミの葉を潰して混ぜたりしますね」
「カタバミ?」
問いただしてみると、こちらで言うカタバミは、アキラの知るものと同じであった。
カタバミはハート型の小葉が3つ、クローバーのように付く。種は鞘に入っており、熟すと弾けて飛んであちこちに散らばり、非常に厄介な草である。
その葉や茎にはシュウ酸が含まれるので、囓ると酸っぱい味がするという。
「つまり、弱酸性にするのかな?」
そこで、臭いがほとんどしないくらいに薄めた酢を混ぜてみると、煮汁の色はより鮮やかな赤に変わった。
「これならいい感じね。あとは媒染かしら?」
これまで、こちらの世界では染めの時に『媒染』をする、という考えはほとんどなかった。
そういう意味では、アキラたちが始祖と言えるかもしれない。
「まずはミョウバンを試してみるわ」
媒染には先媒染と後媒染がある。
文字どおり、染める前に媒染液に漬けるのが先媒染で、染めてから漬けるのが後媒染である。
リーゼロッテは、試験用の絹をまずはミョウバン液に浸してみた。
次いでそれをルビアの煮汁に浸すと……。
「おお!」
「綺麗!!」
見事な赤色に染まったのである。
「いきなり正解ね」
リーゼロッテも嬉しそうだ。
「なるほど、このルビアの根は赤を染めることができるんだな」
先日話していた赤い染料が見つかったわけである。
* * *
それからもリーゼロッテはルビアでの染めを研究していった。
染めの回数を増やせば、より濃い赤に染まることや、麻、羊毛も綺麗な赤に染めることができることがわかった。
もちろんこの成果も前侯爵に報告された。
「ううむ、なかなかいい色ではないか。お手柄だな」
「ありがとうございます」
雇われ研究者のリーゼロッテとしても、雇い主である前侯爵からのお褒めの言葉は嬉しいものがあった。
「このルビアは丈夫な草のようですので、畑ではなくとも、野原や山裾などの空き地で栽培できるかと思います」
「うむ、お前もご苦労だったな」
ルビアの根の情報をもたらしたミューリにも褒詞が与えられた。さらに、
「ミューリ、お前は当分リーゼロッテの助手をしなさい」
と、侍女から助手へと異動が行われることになったのだった。
* * *
「……ということですので、よろしくお願い致します」
翌日の朝、リーゼロッテの研究室でお辞儀をするミューリの姿があった。
「うん、ミューリが手伝ってくれるのなら心強いわ」
リーゼロッテとしても、これまで何度も手伝ってもらっていた上、植物の知識に秀でているミューリが助手になってくれるのは正直有り難かった。
「これからよろしくな」
「よろしくね、ミューリ」
「よろしく頼むよ」
ハルトヴィヒ、ミチア、アキラらも、ミューリのチーム入りを歓迎した。
「それでね、さっそくだけどルビアの根がもっと欲しいんだけど」
「わかりました。採ってきますね」
そんなやり取りを聞いていたアキラは、
「ルビアって、アカネみたいだな」
という呟きを漏らした。
「うん? アキラ、そのアカネっていうのは?」
そばにいたハルトヴィヒが聞きとがめ、質問してきた。
「ああ、昨日『携通』で調べたんだ。そうしたら、よく似た植物があって、俺のところでは『アカネ』って言うようなんだよ」
「そういうことか」
「なら、染料としては『あけね』って呼びましょう!」
「アカネだよ」
アキラはリーゼロッテの言い間違いを指摘した。
「確かに、植物名と材料名を変えることなんてザラだからな。真似されないようにするためにも、別の名前をつかうというのはいい手だぞ」
と、ハルトヴィヒ。
確かに、この世界で『アカネ』と聞いても、どんな植物かわからないだろうな、とアキラは思った。
「『ムラサキ』もアキラの世界での呼び名だったんだろう?」
「確かにそうだ」
紫色を染める『ムラサキ』と、赤を染める『アカネ』、黄色は『マリーゴールド』、茶色と黒は『ヤシャブシ』。
「本当に、青を染めたくなったなあ」
青い花を使えば、青い色を染められると思いがちだが、実際には青い色素は褪色しやすい。
ツユクサは緑みの青が染められるが、非常に色が褪せやすく、逆にその性質を利用して『友禅染』の下書きに使われているほどである。
「俺の世界では、青といえば『アイ』なんだよなあ」
正確には『タデアイ』という植物を使うのだが、この世界ではまだ未発見、未使用らしかった。
まだ先は長そうである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月27日(土)10:00の予定です。
20190421 修正
(誤)リーゼロッテは面白くなっそうな顔をした。
(正)リーゼロッテは面白くなさそうな顔をした。
(誤)ハルトヴィヒ、ミチア、アキラらも、ミチアのチーム入りを歓迎した。
(正)ハルトヴィヒ、ミチア、アキラらも、ミューリのチーム入りを歓迎した。