2:悪役令嬢は美しく去る。(恋愛・憎悪・ざまぁ)
ようやく2話目。(笑)
余談ですが、男性はわりと女性との別れに夢を見る生き物です。
初夏を迎え、庭園の植物は生命力に満ち溢れていた。
貴族子女の通う学園であるがゆえに、こういった部分も手を抜けないのは確かだが……それを実践するのはまた別の話であろう。
手入れはもちろんだが、植物の配置のバランスも申し分ない。
職人の腕も確かだが、それを確保した関係者も評価されてよいと言える。
ただ、学園の生徒がみな、この庭園を楽しんでいるかというと、そうでもない。
残念ながら、利用者は生徒総数からすれば少数。
それも、季節を選んで散策するのはまだましな方で……その多くは、人目を避ける目的で使われているのが現状だ。
その庭園に、ひとりの少女が現れた。
静かに、早くもなく、遅くもなく、歩を進めて、庭園の奥へと向かっていく。
その足取りに迷いはなく、慣れを感じさせた。
やがて、彼女は立ち止まった。
庭園の奥の、開けた場所。
そこには、小さいが、屋根付きの休憩場所がある……テーブルやベンチなどが備え付けられており、それを望めばティータイムを楽しむこともできるだろう。
おそらく、その存在を知る学園の生徒はさらに少ない。
彼女は、そこにちらりと目をやったことから、その存在を知ってはいたのだろうが、近づくことはなかった。
休憩場所から距離をとって、ただ静かに、佇む。
風が吹き、彼女の髪がかすかに揺れた。
この庭園の中にあって、彼女もまた、少女から大人へと……生命力に満ち溢れる存在のはず。
しかしながら、彼女の表情はどこか無機質なものを感じさせた。
その瞳は庭園の植物に向けられてはいるが、おそらくは、何も見ていない。
色とりどりの花束の中に、1本だけ紛れ込んだ造花。
そんな印象を与える光景だった。
少女自身の美しさゆえに、かえってその『心ここにあらず』の様子が目に付くのかもしれない。
また、風が吹く。
彼女の髪が揺れ……そして、『彼』が現れた。
その姿を認めた彼女の瞳がかすかに揺れる。
それだけで、彼が彼女の待ち人だったと知れる。
それなのに。
彼女の視線は、足下へ。
彼女へと近づいていく『彼』の表情も硬い。
それで、わかる。
それは、予感のようなもの。
今日、ここで。
ひとつの恋が死ぬ。
「……護衛の方はどうしましたの?無用心ですわ」
「庭園の入口に2名、そして、すぐそこに2名、待機させてある」
「何があるかわかりません……せめて、姿の見える位置までお呼び下さい」
彼は少し迷う素振りを見せたが、結局は彼女の言うとおりにした。
「……君には、すまないことをしたと思っている」
彼の言葉に対し、彼女は首を振った。
「あなたは、近い将来、この国を導く存在となる方です。そのような言葉を、軽々しく口にするものではありません」
「……」
「立場が上がるごとに、その言葉は重くなるのです。冗談で許された言葉が、許されなくなります」
視線は足下に向けたまま、彼女は淡々と言葉を綴っていく。
「謝罪の言葉が、国を傾けることもあるかもしれません……本心を語る機会も、ますます少なくなるでしょう」
「だからこそ、だからこそだ。君には謝罪を……」
彼の言葉は、途中で消えた。
顔を上げた彼女の目に、光るものを見てしまったから。
彼女が泣くのを見るのは、これが初めてだったから。
「私は、王妃として国を支える力にはなれても、あなたの心に安らぎを与えることは……できないのでしょうね」
「……っ」
「だから、彼女を選んだ……そうなのでしょう?」
涙を流しながら自分を見つめる少女の姿に、彼は戸惑い……そして、顔を背けた。
彼女のことを、きちんと見てこなかった。
後悔と、罪悪感。
父が、母が、彼女のことを褒めるたびに、どこか反発する気持ちがあった。
劣等感のようなものが、目を、思考を、判断を歪めたのか。
自分に対する接し方も、どこか義務めいた受け取り方をしていた。
今この時になって、愛されていたのだと、気づく愚かさ。
「決めたのなら、迷わぬことです」
「……」
「人の上に立つ者にとって、他人の声を聞くことは大切ですが、他人の声に左右されてはなりません」
これまでは、彼女のこういう物言いに彼は反発を覚えていた。
しかし、今は……素直に聞けた。
「王とは、決断する者です」
「家臣は、王が決断のための材料をもたらす者です」
訓戒のような言葉を聞くうちに、彼は言い知れぬ不安にとらわれた。
「いかなる時も強くあってください……それが、王です」
……これはまるで、遺言のようではないか。
「あなたが選んだ人を、何があっても守ってあげてください」
最後にそう言って、彼女が深々と頭を下げたとき、彼は確信を持った。
「……どこへ行くつもりだ?」
「海を渡り、祖母の祖国へ行こうと思っています」
「なぜだ?」
「……」
「この国を……支えては、くれぬのか?」
残酷な事を言っている。
その自覚が彼にはあった。
しかし、胸を衝く喪失感が、その言葉を止められなかった。
「……こうなった以上、私の存在は、この国にとって害にしかなりません」
そう言って、彼女は彼にもわかるように、丁寧に説明した。
王妃候補として、将来を見込んだ人間関係が、今までに時をかけて形成されてきたこと。
婚約者が変更されることで、また一から人間関係が作られていくことになるだろうこと。
それだけでも、自分の存在は、権力闘争の火種となりうること。
くわえて、自惚れではなく、自分が王妃に気に入られていること。
このまま国にとどまれば、新しい婚約者と比較してしまうかも知れないこと。
それは王妃に限った話ではないこと。
遠くへ。
自分が、この国から遠く離れてしまえば……色々と諦めもつくだろうということ。
そして彼女は、笑った。
「私も……この国を離れることで、諦めることができます」
何を、などと口にするほど、彼は愚かではなかった。
そして、彼女が、もう何もかも決めていることが分かってしまった。
涙を流しながら。
しかし、笑いながら。
自分を見つめる彼女を、何も言えずに彼はただ見ていた。
別れの時が来る。
彼は、彼女に背を向ける。
一度決めたこと。
切り捨てた側の優しさは、残酷でしかない。
彼は振り返らない。
しかし、護衛の2人は、振り返る。
護衛にとっても、彼女は顔なじみの存在だ。
しかも、この場の話を聞いてしまった。
そんな彼らに向かって、彼女は頭を下げる。
護衛は、微かに表情を歪め……彼女に対して頭を下げてから、主の後を追った。
……卒業を待たずして、彼女は学園を去った。
しかし、国を去るまでには、少し時間をかけた。
王妃に対して、長い目で見てやって欲しいと訴えた。
幼少期から王妃候補として教育された自分と比べるのは、不公平であると。
国の有力者および、その子弟、つまりは将来の王を支えるであろう人間には頭を下げて回った。
これまでの友誼を無にしてしまったことに対する謝罪と、この先も国を支える存在であって欲しいという願いを込めて。
それは、宗教関係者や、有力商人にまでおよび……そうした細やかさは、彼女の国の運営に対する考え方を示すとともに、裏切られたとも言える婚約者に対する深い愛情を思わせた。
彼女を引き止めようとしたものはいたが、それをなし得たものはいなかった。
そして彼女は、国を去った。
海を渡る船に乗り……深々と、頭を下げた姿は、見送りに来ていたものたちの涙を誘ったという。
彼女は、美しく去った。
いや。
美しく、去りすぎた。
新しく選ばれた婚約者は、事あるごとに彼女と比べられた。
それも、それぞれの記憶の中の彼女とだ。
それは、死人と戦うようなもの。
『あなたが選んだ人を、何があっても守ってあげてください』
その言葉は彼を縛った。
自分が選んだ相手を守るということに固執した。
守るべきではない時もかばおうとした。
最初はまだいい。
それが続けば、『女に溺れて判断力を失っている』などと陰口を叩かれ始める。
新しい婚約者に対して『悪女』という評判がたつのは早かった。
『決めたのなら、迷わぬことです』
『他人の声に左右されてはなりません』
『王とは、決断する者です』
『強くあってください……それが、王です』
彼女がそばにいないから。
彼女の言葉はどんどん重くなる。
それに比例して。
周囲の人間の言葉が軽くなる。
王妃の言葉が軽くなる。
王の言葉が軽くなる。
軽くなれば、反発を生む。
彼の目指す強さは、明らかに良くない方向へと向かいだした。
街で。
城で。
今はもういない、彼女のことが語られる。
思い出はどんどん美しくなっていく。
現実はどんどん貶められていく。
全てが加速していく。
終わりの始まりに向かって。
心が壊れた婚約者が、王妃を花瓶で殴打した。
それは、ただのきっかけで、ただの結果。
王は息子を。
息子は王である父を。
王家に見切りをつけた有力者が領地へと戻っていく。
ただ戻るだけではない。
野望を抱いて、息子に加勢するものがいる。
彼女への仕打ちに対する怒りを再燃させ、王に加勢するものがでる。
商人は、国を去るものと、これを好機ととらえる者に分かれた。
民もまた、それらに引き裂かれていく。
不平が、不満が、そしてそれぞれの思惑が、すべてをかき混ぜていく。
そんな状況を目に前にして、ある宗教関係者が涙を流した。
「不満も、悲しみも、すべてを飲み込んで、国を去った彼女の願いを、忘れたのか……」
「あら、ご機嫌ね」
「そう見えますか、お祖母様?」
国を去って、数年。
少女は、大人の女性へと成長していた。
彼女の祖母である、上品な老婦人が、苦笑を浮かべながら囁く。
「……お前の望み通り、無茶苦茶になったねえ」
「ひどいですわ、お祖母様」
彼女が、笑う。
「私は、土を耕し、種を蒔いただけ。その種に、水をやり、光を当て、すくすくと成長させたのは、あの国の人間たちではありませんか」
「……恐い子だね」
また、彼女が笑う。
どこか、虚ろな瞳をして。
祖母が、孫娘に優しい視線を向けた。
「……愛していたのだね」
「ええ、愛していましたわ……私なりに、ですが」
「……」
「だから……壊れてしまえばいいと思いましたの」
何もかも。
全て。
自分の想いさえも。
彼女は、しばらく笑い続け……最後に、一粒だけ涙をこぼした。
護衛を呼んだのは、話を聞かせるためです。
あと、庭園の休憩場所にも、人が隠れていたりします。(笑)
王子の側近が、彼女に秘めた想いを抱いていたら……面白い展開になりそう。(悪趣味)