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1:悪役令嬢と、その父の最後の会話。(恋愛要素なし・悲劇・愛憎)

まずは、変化球から。

とはいえ、ほかの話はまだ書き始めてもいないのだが。

 前後左右を衛兵に囲まれたまま男は歩く。

 足を進めるごとに両手首に二つずつはめられた魔力封じの腕輪が微かに鳴るのだが、衛兵の足音がそれをかき消している。

 やがて、男の前を歩く衛兵の足が止まった。

「こちらに」

 衛兵の言葉は短い。

 この件について、自分たちのスタンスを勘ぐられたくないのか、感情のこもらぬ声だった。

「このロウソクが燃え尽きるまでと、刻限を定めるように言われています」

「わかった」

「あと、私が中に同行することになります」

「当然だ。痛くもない腹を探られてはかなわないからな、全員でも構わんよ」

「……いえ、私一人だけで」

 男は小さく頷き、背中に衛兵達の視線を感じながらドアを開けた。


 領地経営及び、国の舵取りの一端を担う男は多忙だった。

 娘が幼少だった頃から、こうして娘と相対することなど年に数える程。

 家柄や能力などで厳選された貴族子弟の集う学園にやってからは、ますますその機会は減少した。

 娘はもちろん、家族にも甘くはない男をして、ベッドに腰掛けてあらぬ方角を見つめている娘の姿、その何も映していないような瞳が殊更に胸を衝いた。

 微かな逡巡。

 男は娘に呼びかけた。


「……ぉ、父様…」


 娘の瞳に生気が宿る……が、それはドロドロとした原形質な感情を映し込んだようで。

 その瞳に最初に現れたのは怯えだった。


「違うのです!私は何も!何もやっていないのに!皆が私を!」


 これだけでも自分は父親失格だなと、やるせない思いを抱きながら男は静かに娘を抱きしめた。


「お前が何もやっていないことは分かっている。理屈でも、感情でも、私はお前を信じているよ」


 娘の身体が一瞬こわばり、その張りを失った。

 静かに、声を上げず、微かに肩を震わせて胸で泣く娘の背中を、男はとんとんと優しく叩き続ける。

 やがて、全身に力が戻ったのを感じて、男は娘を解放した。


「……みっともない姿をお見せしました。申し訳ありません」

「子供の特権だ、これが初めてというのは父親として少し寂しい」


 娘が少し笑い……父親の両手首にはめられた魔力封じの腕輪を見て、きゅっと唇を噛んだ。

 その瞳に、その顔に浮かぶのは、己の身に降りかかった理不尽に対する怒りか。

 男は、娘の聡さに、そしてその愚かさに対して、父親としての最後の教育を始める。


「お前は、自分に何も非がないと思っているね?」

「当然です。私は、何もやっておりません。己の誇りを汚すようなことは、何も」


 男は小さく頷き……それを口にした。


「そう、お前は何もやっていない。しかし、お前には非があるのだよ」


 娘の強い眼差しを、男は柔らかく受け止める。


「元をたどれば、お前に人の上に立つ者としての心得を教えられなかった私の罪でもあるのだがな」


 声に微かな苦味をにじませながら、男は語りだした。



 ある貴族が、パーティで美しい娘を目にした。

 その娘について何かを口にしたわけでもない、ただほんのわずかな間、目で追っただけのこと。

 それからしばらくして、その娘は貴族に差し出された。

 その瞳に、怯えと諦めを宿して。


「……娘には婚約者がいたそうだよ。貴族社会では珍しいことに、相思相愛のな。その婚約者は、不幸な事故に遭って亡くなったそうだ」

「それは、まさか……」

「断ったのだろうね」


 主語を省いた言葉。

 娘にはそれで十分だったのだろう。


「……それが、罪だというのですか?」

「そうだ」

「見ただけなのでしょう?その貴族に取り入るために、誰かが勝手にしたことなのでしょう」

「下のものは、上の者の顔色をうかがう。言われてみれば当たり前のことだろう?」

「……」

「お前は何もしなかった。しかし、お前の取り巻き連中の前で、何らかの不満を見せなかったか?」

「そ、れは……」

「お前の婚約者に近づく娘に対し、きつい視線を向けたことはなかったか?不満の言葉を口にすることはなかったのか?お前に阿る連中は、いつもお前の顔色をうかがっているぞ?お前の機嫌を取るために、何をやらかすかわからないぞ?」


 娘はまだ15。

 きつい物言いだと分かっていたが、男はあえて娘を非難した。

 政治力学や、婚約者の馬鹿さ加減よりもまず、人の上に立つ者としてのあり方が分かっていなかった。

 それこそが、罪であると。

 もちろん、今回の件は様々な策謀と運の悪さがもたらした悲劇ではあったのだが。


「……人の上に立つ者はな、己の感情を表に出してはいけない」


 男の言葉を受けて、娘は、その理不尽さを訴えるでもなくただうなだれた。

 怒る、泣き喚くのではなく、うなだれるだけというところに、やはり娘の聡さが示されている。

 男からはこれ以上かける言葉がない。

 沈黙だけが二人を包み込み、時が過ぎていく。

 やがて、娘が顔を上げた。


「ありがとうございます、お父様」


 胸を衝く笑顔に、男は言葉を見失う。


「あの日からずっと、私は納得できないでいました。あまりにも理不尽だと、こんなことが許されて良いのかと」


 娘の言葉は、ごく当たり前のものであろう。

 しかし、その声に、その表情に、理不尽に対する怒りを感じることはできない。

 ほほ笑みを浮かべたまま、ふ、と自分の胸に手を当てて、娘は言った。


「ようやく私は、納得して死ぬことができます」


 部屋の隅に控えていた衛兵が、微かに嗚咽を漏らすのを男は聞いた。

 酷い運命に身を投じる娘に、男は本音を混ぜた言葉を送る。


「私を恨みながら死になさい」

「いいえ」

「多忙を理由に、家族をないがしろにしてきた自覚はある」


 娘が首を振る。


「お父様は覚えていますか?私がレイナ湖で溺れかけたことを」

「もちろん、覚えているとも……お前が6歳の時だ」

「湖の底に沈んでく私を、お父様が力強く引き上げてくださった……私を抱えて走り回ってくださった」

「……」

「うっすらとですが、覚えています」


 娘は、どこか幼い笑みを浮かべ。


「実を言うと、あの頃の私は、お父様が嫌いでした。いつも家にいないし、わがままを言う機会そのものも与えてもらえなかったんですもの」

「……言い訳はできんよ」

「でも私はあの時、お父様の溢れんばかりの愛を感じましたの!」


 胸の前で手を組み、花開くような笑みを浮かべる。


「あの時から、私はお父様が大好きですわ。恨むなど考えたこともありませんし、そんなことはできません……ですから私は、お父様に感謝しながら……逝きます」


 娘の瞳にたたえられた涙を、男はただじっと見つめる。


「……っ…そ、そろそろっ…時間に…」


 嗚咽混じりの衛兵の声が、二人を……男と、娘を引き裂いた。




 夜。

 男は、執務室で微かな笑みを浮かべていた。


「……惜しいな」


 考えているのは、娘のこと。

 幼い頃から優秀だった。

 今回の件は……まあ、娘にとって運が悪かったとしか言いようがない。

 娘が処刑されて喜ぶ連中は、遠からず破滅することになる。

 娘の死は、男を更なる飛躍へと導くはずだ。

 笑みの消えない口元を手で覆い、男はもう一度つぶやいた。


「小娘に見透かされるとは、私もまだまだ若い」


 あの歳で、死を目前に控えた状況で、自分の言葉を理解し、飲み込み……『父親を罠にかける』とは。

 あの笑顔。

 あの言葉。

 そして涙。

 男の罪悪感を巧みに刺激してきた。

 肩を震わせて笑う。

『罠にかける』というのは少し違うか、と男は思い直す。

 ここで男が娘を助けようとすれば、ここぞとばかりに敵対存在から攻撃を受ける。

 それはつまり、政争にとどまらず王家に対する反逆レベルの事を起こす必要に迫られるということで。


「娘を救うための反乱か……後の世で何を言われるやら」


 男が笑う。

 肉食獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべながら、男は娘の母親を思う。

 婚約者を殺され、親にも因果を含められた哀れな女。

 無論、その親にしても有形無形の圧力をかけられた上でのことであるから救いのない話だが。

 男としても、その状況ではもうどうしようもなかった。

 憐憫の情はあったが、それ以上には発展しなかったし、女の方でもそれを拒んでいた。

 ならば何故子を作ったと言われれば、『贈り物を受け取った証明』を示さなければ、好意は鮮やかに悪意に転じて己の破滅を招くからだとしか言いようがない。

 まあ、贈り物にされた女からすれば、言い訳にもならないだろうが。

 精神を病んで死んでいった女が、最後の瞬間まで己の抱えた恨みを娘に注ぎ続けたのが良い証拠だろう。

 それを阻止しようとしなかったのは、おそらく憐憫の情が働いたからだ。

 娘に対しても、自分はできる限り甘く接してきたと男は思う。

 その娘が……。

 

「男子三日会わざれば……とは、東方の国のことわざらしいが、女は一瞬で化けるらしい」


 母親に注がれた恨みを綺麗に隠しきって、心に針を刺してきた。

 やや生真面目に傾きつつも、婚姻のコマとして申し分のない娘だったが……明らかに一皮むけた。

 謀略渦巻く政争を戦い抜くことのできる、したたかな悪女として。


 夜が更けていく。

 男は微かにグラスを傾けた。

 娘との最後の会話を何度も何度も繰り返しながら。

こういう悪役令嬢のお話は見かけなかったと思う。

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