「――あなたが、黒騎士だ」
黒騎士に残した牙の反応を追跡する。
牙の反応は眼下、ジェムレイス城の中から届いている。
灯台下暗し。城内に黒騎士は潜んでいたのだ。
空中を走り、バルコニーから城の中へと入る。
反応を追って、廊下を走り、階段を降り――
「おい、ちょっと待て。ここって――」
『そういうことじゃろ』
城内でも特に豪奢な扉の前に立つ。
反応はこの部屋の中から来ている。
この部屋は――
バタン、と扉を開け放つ。
部屋の主は、ベッドの上で嫣然と微笑みながらこちらを迎え入れた。
「どうしました、勇者様?」
ラピスラズリ・ジェムレイス王女が。
「――あなたが、黒騎士だ」
「――バレてしまいましたか」
王女は表情を変えることもなく、ベッドが下りて佇む。
ネグリジェの王女の姿は扇情的だ。隠すことなく垂れ流す黒いシャドウのオーラさえなければ。
「貴女は、この国の勇者じゃなかったのか!?」
「勇者ですよ?」
俺の叫びをさらりと受け流すように、軽く王女が応える。
「勇者としてこのジェムレイス王国を護り続けてきました。勇者としてシャドウと戦い続けてきました。勇者として、ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと……!!」
王女の言葉は、まるで怨嗟のように暗く、粘つくようなモノになっていた。
「勇者様は御存じないでしょうね? この世界が如何に危機的状況にあるのか。シャドウはひっきりなしに現れ、勇者でなければ人は滅ぼされるしかない。
勇者は勇者のチカラがある、ただそれだけで永劫戦い続けなければならない。
終わりはありません。シャドウがどこから来るのか分かりませんが――この100年。シャドウが絶えたことは無い。
勇者は永遠に戦い続けなければならないのです。いつか死ぬ、その日まで」
王女の声には、諦観と、絶望が満ちていた。同年代のはずの王女の姿が、まるで枯れ落ちそうな老女のように見える。
「もう――疲れました。そんな時です、ある人からコレをもらったのは」
そう言って、彼女は少し胸元を開く。胸の中央に、黒い珠が一体化しているのが見える。黒い瘴気を纏った、禍々しい雰囲気が感じられる珠だ。
『アレはシャドウコア。人をシャドウロードへと変える闇の宝珠。まさか勇者本人がその魔力に魅入られることがあるとは思わなかったがの』
「彼女は言いました。コレで人々を殺め、その生命力、魔力を搾り取れば――どんな願いも叶うと。
だから私はこの国の民全てに石化の魔法をかけたのです。
私が守ってきた民ですもの。私のために使っても――良いですよね?」
そう言った彼女は、ぞっとするような笑顔だった。顔は笑っているのに、目だけは底なしの闇のように暗い――
「力を集めて、私はここではないどこかに行くんです。そこはシャドウのいない、平和な世界。勇者であるとか、そんなしがらみのない自由な世界――
そう。勇者様、私は貴方の世界に行くんですよ」
そこで彼女は、こちらに向けて手を差し伸べる。底なしの闇を抱えた笑顔のまま。
「勇者様。貴方も来ませんか? どうせ貴方もこの世界にいればいずれ使い潰されるんです。なら、その前に、帰りましょうよ。
そして教えてください。色々間違えてしまうかもしれないけど――勇者様と私なら、きっとうまく生きていけると思うんです」
「――――」
俺は圧倒されていた。王女の秘めていた闇に。この世界が抱えている闇に。
王女のこの姿勇者の末路なのだとすれば、彼女の姿は未来の自分なのだ。
終わりの見えない戦いを戦い続けること。その絶望、その諦観を"分かる"なんて言えない。言えるはずがない。
それでも。
それでも、俺は言わなければならないのだ。
「それは、出来ない」
俺はきっぱり、断る。
「国の人々を犠牲にして、自分たちだけ平和に生きるなんて――俺には出来ない」
薄っぺらい、どこにでも転がっているような正義感。
それでも俺は、それを持って、王女の言葉を否定した。
「そうですか。ああ、ああ――そうですか! 貴方も私を否定するんですね!?」
王女はぐしゃりと顔を歪めながら、叫ぶ。シャドウの黒い瘴気は渦巻くように部屋全体を覆い、密度を増していく。
「貴方だけは、同じ勇者である貴方だけは、分かってくれると思ったのに……!」
悲鳴にも似た声と共に、王女の姿が変わる。
黒い鎧兜を纏った、黒騎士の姿へと。
「ならもう貴方は要りません。貴方を排除し、この国の命を全て捧げ――私は、あの世界に行くんです!!」
そう叫び、王女――黒騎士は襲い掛かってきた。




