9 騎士的ランナウェイあるいは公爵令嬢のグチ
家出で少しテンションが高いクーちゃん。
人間の姿に戻る方法を早く見つけるために、俺はミラベル姫のもとを離れることを決心した。
ミラベル姫とは気まずいまま別れることになってしまうが、仕方がない。
ミラベル姫はきっと勝手に出て行った俺に腹を立てるだろう。
嫌われて、もう二度と顔を見たくないと言われるかもしれない。
だがこのまま部屋の中でいま起こっていることが収束するのをただじっと待っていることなどできないのだ。
人間に戻って、この事件が解決したあかつきには、ミラベル姫に許しを乞おう。
誠心誠意謝れば、許してくれるだろう。
......たぶん。
自信がなくなってきたな。
ああ、そうだ、第十部隊のオリヴァー・カー隊長に怒った女性に許してもらう方法を聞いてみよう。
奴はモテるからな、いい方法を教えてくれそうだ。
それに今度はビンタをくらったとしてもよける準備もできている。
怒って、ビンタ。
このパターンにはもう驚かないぞ。
猫になって俊敏さも身についたから大丈夫だ。
そう思えばやる気が戻ってきた。
さあ、さっそく今夜決行だ。
ここを出て、まずは魔法省へ行ってみよう。
白魔術師ウェントワークスが戻ってきているかもしれない。
作戦開始時刻は02:00ちょうどだ。
この時間にはアリッサではない侍女が部屋の様子を確認に来ることがわかっている。
その扉が開いた瞬間、侍女にわからないように素早くその隙間から部屋を脱出するのだ。
俺は扉からの死角になる部屋の隅に身をひそめた。
あと1分。
準備運動でぐぐっと伸びをする。
耳ヨシ、尻尾ヨシ、肉球ヨシ!
さあ来るぞ!
3、2、1。
ガチャッ。
脱出!
入ってきた侍女の足元をするりとすり抜け、全速力で走り出す。
侍女はまったく気づいていないようだ。
これが肉球の力だ!
思い知ったか!
その後も俺は誰にも気づかれずにミラベル姫の居住する塔を出ることができた。
まずい、なんかすごく楽しくなってきたぞ。
ギデリオンの森で夜盗狩りをしたころのことを思い出す。
騎士になって王宮勤めをし始めてから、実働部隊として動くことはほとんどなかったからな。
やはり現場でないと感じられないこの緊張感は好きだな。
少し危険ではあるが、わざと夜勤の兵士が立っているところの前を通ってみよう。
いついかなるときも限界を追い求める男、それが騎士クラウス・ガーランドだ!
ちょっとはしゃぎすぎた。年がいもなく。
夜勤の兵士をやりすごしながら向かっていたら、この魔法省についたころには空が白み始めていた。
入り口の扉はしめられているので、2階の開いていた窓から中へと入った。
さて、白魔術師は部屋にはいるだろうか?
塔の中央にある、白魔術師の部屋へとつながっているあの長い階段の前にやってきた。
相変わらずの人のやる気をそぐような長い階段だ。
見上げると階段の先が塔の天井に突き刺さっているように見える。
覚悟を決めて、十歩ほど登った時だった。
突然階段がごうん、と音を立てて下に向かって動き出した。
「うおわっ!」
俺はバランスを崩して頭から後ろに落ちそうになった。
だが、後方宙返り三回ひねりを華麗に決めて、ぽすん、と床に着地した。
ミラベル姫の寝室でやっていた夜間鍛錬のたまものだ。
一旦気を落ち着けようと、俺はぺろぺろと自分の首元を毛づくろいした。
「あら、そこにいるのはガーランド卿ではございませんこと?」
階段の上から振ってきた声はアルシア嬢のものだった。
「こんなところで何をしてらっしゃるの?ミラベル様は一緒ではないのかしら?」
階段が下に向かって動いているため、アルシア嬢は自分は動かないまま俺がいる床のところにやってきた。
そして階段から降りると、白いハンカチを取り出し手をぬぐっている。
「すごいですね、階段が動いている。」
こんなものは初めて見た。
「ああ、これはあの男に言って作ってもらったんですの。これは上にも動くんですのよ。これであの男のところに一日に何度も行くときも楽になりますわ。」
「さすがは稀代の魔術師と言われているだけはありますね。このような便利なものを思いつかれるなど。」
「アイデアは私が出しましたわ。今流行している異世界の物語に出てくるんですの。」
「そうですか、俺は本など全然読まないので知りませんでした。でも、たしかこの前白魔術師はわざとこの階段は大変なように作っていると言われてはいませんでしたか?」
「こんなものも作れないなんて、魔術もあなたもたいしたことありませんわね、と胸ぐらをつかんで揺さぶったら作ってくれましたわ。」
「......そうですか。」
それは世間一般では脅迫というものでは......まあいいか。
「それで、こんなところでこんな時間に一人で何をしてらっしゃるのかしら?」
俺はその言葉をそっくりそのままアルシア嬢に聞きたかったが、言わなかった。
沈黙も時には大事だ。
というか、胸ぐらをつかまれたくない。
俺は一刻も早く人間に戻りたいため、ミラベル姫の部屋を抜け出してきたことを伝えた。
「なるほど、痴話げんかの末飛び出してきたんですのね。」
「痴話げんかではありません!」
「でも要約すると、ミラベル様が仕事と私、どっちが大事なの!と迫ってきたけれどうまいなだめ方がわからずにとりあえず仕事に逃げた、ということですわよね。」
「いえ違います!だいぶ違います!ミラベル姫はこの猫の姿が欲しいだけで、騎士としてのクラウス・ガーランドのことなどどうでもよいのです。ですので私は......。」
ああ、自分で言って自分で落ち込んでしまった。
また両手で尻尾をつかんで丸まりたい。
そうしたらいくらか気分が落ち着くんだ。
「そんなことないと思いますわよ?」
「えっ?」
「ミラベル様はクラウス・ガーランドという男のことをどうでもいいなどと思っていないと思いますわ。私は人間であれ動物であれ、あんなに楽しそうにしているミラベル様を初めて見ましたもの。それはただ黒猫だからというだけのことではありませんわよ。あなただからですわ。」
「そうでしょうか......。」
俺という人間を見ていてくれたのならば嬉しい。
だが、単純にはそうですかとは思えない。
相手はあの猫姫様だ。
猫への情熱はただものではない。
「では、私が人間に戻ったとして、勝手に出てきたことを謝ったら、許してもらえるでしょうか?」
「まず心配なのはそこなんですの?ガーランド卿って意外とズレてらっしゃるのね。まあ、そんなところがミラベル様は気に入ってらっしゃるんでしょうけど。あなたって、人を脱力させる何かをお持ちですものね。」
「脱力って......。穏やかとかなんかこう、他の言い方がありませんか。」
こっちが脱力してしまう。
「でもまあ、意外でしたわね。あなたがミラベル様のご機嫌を気になさるなんて。」
「どういうことですか?」
「あの来るもの拒まず、去るもの追わずのガーランド卿、として有名なあなたが。」
「私はそんなに節操なしではありませんが。」
「でも今までは女性が怒ったり、別れを告げられても関係を修復しようとはされませんでしたでしょう?そう聞き及んでおりますわ。」
聞き及んでいるって、俺がそんな風に言われていたとは知らなかった。
「別れると言われたら、その希望を聞いてあげた方が良いのだと思ってそのままにしていただけなのだが。」
「つまり、そんなに好きでもないのに女性と関係を持っていた、ということですわよね。最低ですわよ。それに、女は怒ったり別れたいと言った時は、待てよっ!とか言って腕をつかんで引き留めて欲しいものですの。察してくださらないと。」
「そんなことわかりませんよ!だいたい、別れたいとか言われたらその時点で心はボロボロなんです!身動き一つできません!男は繊細なんです!」
「そこがいい男とそうでない男の分かれ目ですわよ。」
なんだよ!いい男とそうでない男の分かれ目って!
俺は頭を抱えた。
「というかですね、私が人間に戻ってもミラベル姫が俺に興味を持ってくださることはないと思うんですよ。ミラベル姫は猫の私が良くて、私は人間の騎士クラウス・ガーランドでありたいのですから。私たちの考えが一致することはないんでしょうね。」
あきらめに似た気持ちが沸き起こった。
アルシア嬢が何と言おうと、やはりこの事実は変わらないのだ。
俺とミラベル姫が人間同士として向き合うことは決してできないだろう。
「別に意見が一致しなくてもいいのではなくて?」
「あなたは他人事だと思って、簡単に言ってくださいますね。」
俺はすねて尻尾をバシバシ床に叩きつけた。
「他人事ですもの、自分で考えなさいな。まあ、私個人の意見を言わせてもらえば、誰かに好かれたいからといって、自分の意志を抑え込んで保たれる関係なんて不健全ですわよ。ミラベル様は猫が好き、あなたは騎士でありたい。だからあなたはミラベル様との関係をあきらめるんですの?考えが違って当たり前、一生ぶつかりあっていけばいい、私はそう思いますわ。」
「......なるほど。」
そういう考えもあるのか。
そうだよな、一人の男としてミラベル姫に好意を持ってもらえるように努力する。
うまくいかないかもしれない。
でもそれをあきらめてはいけない。
「さすがは宰相公爵のご令嬢、慧眼をお持ちだ。このクラウス・ガーランド、感服いたしました。」
深々と頭を下げた。
「正直言うと?」
「若い割にはジジくさい考えを持ってらっしゃ......あわわ、いえ、そうではなくて。」
俺は慌ててぴょんぴょんと後ろへ飛びのいた。
胸ぐらぶんぶんは勘弁してほしい。
「ふっ、若い割には、ジジくさい、まさにその通りですわ。毎日毎日毎日毎日お父様の手伝いで大臣やら役人やらのクソジジイどもとやりあっていたら、達観という境地に至ってしまいましたの。」
「さ、左様ですか。」
「若いからわかってないだの、だから女はダメなんだだの、ほんっとあの脂肪と煩悩の塊どもには言われたくありませんわあああーーーーーーーー!時代遅れの腰抜けどもがあああーーーーーーーーーーー!もっとハゲろ!」
アルシア嬢はびりいっと白いハンカチを引きちぎった。
怖い。
俺の中の怒らせてはいけない女性名簿に新たにアルシア嬢の名前が載ったぞ。
はあはあ、と肩で息をするアルシア嬢が落ち着くのを息をひそめてただひたすら待つ。
俺は今、待てができるいい猫なんだ。
「はあっ、取り乱してしまってごめんなさい。そうそう、あなたはウェントワークスに会いに来たのでしたわね。もう今日はあきらめた方がいいですわよ。」
「そうなのですか?」
「私もいい加減に早く動きなさいと言いに来たんだけど、別室に閉じこもってしまったわ。ああなってしまってはもうどんなに言ってもダメなのよね。」
「本当に彼にまかせていて大丈夫なのですか?それに私は早く元に戻りたいので、なにかわかったことがあったら教えてもらいたいのだが。」
「くやしいけれど、このことに関しては、ウェントワークスの言う通りにするしかないんですの。半年前にカトーの乱があったでしょう?あのドルコム国と通じていた白魔術師の男が、我が国に暗殺者をひそかに入国させた事件ですわ。」
「ああ、あの時は偶然にも事前にことが発覚して事なきを得ましたね。私もドルコム国との北の国境まで事後処理に行きましたが。」
「あれの情報を最初に得たのも、犯人をつきとめたのも、暗殺者をとらえたのもすべてあのウェントワークスでしたのよ。」
「そうだったのですか。」
知らなかった。
その事実は一部の人間だけに秘されていたのだろうか。
俺だけではない、国民のほとんどがそんなことは知らないはずだ。
「ですので、今はあの男を頼って待つしかありませんわ。大丈夫、悪いようにはなりませんわ。」
「わかりました。」
そこまで言われれば、今日はもうあきらめるしかない。
「そうそう、もうすぐ終わるからじっとしていろ。と言ってましたわ。」
そう言ってアルシア嬢は去っていった。
もうすぐ終わる?
黒魔術師を捕まえて、俺はもとの姿に戻れるのだろうか?
お読みいただき、ありがとうございました。




