2 騎士、猫になる
一方そのころ騎士は…。
クラウス・ガーランド、人生においても一、二を争うほどの最悪な体験だった。
あまりの出来事に声も出せないし、体を動かすこともできなかった。
出来立てほやほやの新しい恋人に、わけがわからないまま振られてしまった。
俺はただ、今日はいつもより(どこが違うかはわからなかったけれど)綺麗に見えたから、ほめたつもりだった。
それがいけなかったらしい、彼女は強烈な平手打ちを俺の頬にくらわせると、別れの言葉を告げて去っていった。
まったく、未だに女性の怒るポイントというものがわからない。
誰か女性取り扱い説明書を作成して哀れな男どもに配ってくれ!
それにしても、彼女の平手打ちはすさまじく、脳みそが揺れた。
我が軍はぜひ彼女を正規兵として雇うべきだ。
戦場において、素晴らしい働きをすることだろう。
ああ、そういえば姫君にその一部始終を見られ、なおかつ何事もなかったかのように無表情で立ち去られたのには騎士人生の終わりさえ感じた。
ミラベル姫には式典などで何度かしかお目見えしたことがなかったが、やはり王族の持つ他者を従えるもののオーラを感じていた。
不吉だと言われている猫ばかりをたくさん飼い、あまり人前に姿を見せない変わり者の猫姫様、などどいわれているが、なかなか綺麗な顔立ちをした思わず騎士の忠誠を誓いたくなるような、清らかな雰囲気をお持ちだ。
他の貴婦人のように、髪をきっちりとまとめて飾り立てることはなく、長くゆるやかな薄茶色の髪を背中に流している姿は、故郷のドルコムで農作業にはげむ乙女たちを連想させられ、なんとも暖かい気持ちになるものだ。
国王に特別に選ばれ、忠誠を誓った騎士としては、やはり姫君という存在はいわば侵してはならない聖域、特別な存在だ。
その姫君に、かっこ悪く振られた姿を見られ、そして何の興味もわかないとばかりに去られてしまったのにはショックを隠し切れない。
穴があったら入りたい!
どこか遠くへ行きたい!
「あああああああああーーーーーーーーーーー!!!!さいっっあくだあああああああああああああああーーーー!!!!!!!」
俺は頭を抱えて座り込んだ。
すると、頭の上を何かがかすめた。
風の吹いた先を見ると、真っ黒な矢が回廊の石壁に突き刺さっていた。
「えっ?」
ただの矢ではないことは一目でわかる。
黒いモヤのようなものがあたりにただよっていた。
頭の中が???だらけになっていると、後ろから声がした。
「騎士というだけはあるね。僕の攻撃をよけるとは。」
子供のような、そして地を響くような恐ろし気で不思議な声だった。
驚いて振り向くと、真っ黒なローブをまとった人物が立っていた。
ずいぶんと小柄だ。
しかし、隠しもしない殺気がびしびしと伝わってくる。
俺は反射的に飛びのいて、剣を構えた。
「何者だ!」
「......。」
「ここは王宮だ!王族の方々がおわす場所であるぞ!この場での戦闘行為は即刻死刑だ、それを知っての狼藉か!」
「......。」
相変わらず返事がない。
「その返事がないことは肯定の意志ありとみなし、この場で問答無用で成敗するぞ!」
俺は敵に切りかかろうと足を踏み込んだ。
その瞬間、
「何事ですか!」
女性の叫び声が背後からした。
振り向くと、声を出したのは侍女らしき人物で、それにかばわれるようにミラベル姫が立っていた。
去っていったのではなかったのか?
「これはラッキーだな。まさか姫君がのこのこと現れてくれるなんて。」
しまった!
その一瞬のスキをついて、謎の人物は枯れ木のような杖をひとふりした。
するとどす黒い霧の大きな玉が姫君たちに向かって放たれた。
クソッ!
俺はとっさに身をひるがえし、姫君たち二人をかばうように黒い玉へと突進した。
「ぐあっ!」
とてつもない衝撃に思わず膝をついてうずくまる。
「騎士殿!」
侍女が側へ来ようとしたのを目で制した。
二人を少しでも遠くへ逃さなくては。
「…げ、く……。」
体中にまとわりつく黒い霧がジリジリと締め付けを強くしていくので、声さえもうまく出せない。
たとえこの命が尽きても、ミラベル姫だけはお守りしなくては!
「はや、く、お…げ…くだ……。」
侍女は俺の言わんとすることを理解してくれたようで、こくりと頷くと、姫君をつれていこうとした。
姫君は?姫君はご無事か?
確かめたくても目がかすんでよく見えない。
意識ももうろうとしてきた。
そして、遠くから
「王に選ばれた騎士だとかいって、偉そうにしてるくせに、たいしたことないな。」
と得意げな声が聞こえてきた。
「お前は僕の黒魔術で倒れた一人目のやつだよ。ありがたく思うんだね。」
そうか、俺は黒魔術師に殺されたのか。
できれば騎士として、剣にて倒れたかったものだ。
「とりあえず、今日はこのくらいにしとこうかな。じゃあね。」
ああ、暗くて重い。
これが死というものだろうか?
いやだ、死にたくなんかない!
そう強く願うと体の中心が急に熱くなってきた。
そして、その熱がやがて体中をつつみこんでいく。
自分の体が小さく、そして軽くなった気がする。
俺は天上におわす太陽神のもとへ行けるんだろうか?
それとも地下深くで罪人を苛む闇の神のもとへ落ちるのだろうか?
ああ、なんだかふかふかするし、すごく眠い。
体中に毛が生えたような暖かさだ。
死とは、毛深かった。
「いやあああっ!可愛い黒猫ちゃんんん!!!」
「ぐげっ。」
なんだなんだ!
突然の圧迫プレスに眠気が吹き飛んだ。
「く、くるしいいい………。」
だが、苦しいだけではなかった。
柔らかく、いい匂いもした。
天国と地獄が一度にきたか?
「はあああ〜!黒猫可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い。」
俺を苦しめる柔らかいものの正体を見ようと目をあけて、驚いた。
「ミラベル姫!?」
いつも無表情の姫君がだらしなく頬をゆるめて、ウットリとこちらを見ていた。
それを見たら、鼻がピクピクして、ヒゲがぴんっとのびた。
ヒゲ?
俺は髭はキチンと毎朝剃ってるし、こんなに自在に動かせないなず。
様子がおかしい。
両手で頬を叩く。
ポニャ。
なにか、手のひらが分厚いし、頬が、いや顔中が毛だらけだ。
「んっ?」
自分の体を見下ろすと、真っ黒な毛玉だった。
俺はこんなに毛深かったか?
手はまるでグーをしてるように丸い。
ぶらぶら揺れる尻尾がある。
なんだこれは。
まるで猫みたいだな。
「騎士殿が猫として生まれ変わられましたわ。」
かの侍女が驚愕の表情で見下ろしている。
猫?
俺が、猫になった?
頭から足まで、両手でなで回す。
確かに、以前の騎士として鍛え上げた肉体ではなくなっていた。
「にゃ、にゃんじゃこりゃあああああああああーーーーー!」
「可愛いー!!!」
俺は姫君の胸の中で息絶え、ではなく、気絶した。
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