第七話 香澄とトイレと白竜
「改めまして、ご挨拶させていただきます。魔術師、海野遊帆の助手をしております、メイラビア=キプトと申します。『香澄ちゃん』が『管理小屋』に滞在中、身の回りのお世話をさせていただきます」
メイラビアは、一点を除いてとても好感の持てる、非常に丁寧な挨拶をしてくれた。
「あの、『香澄ちゃん』呼びは精神的に辛いのですが …… わたしの世界では、幼い子供や年下に対する呼び方なのです。でも、こちらの世界の常識なのでしたら構いません。受け入れます!」
「遊帆様に、淑女には『ちゃん』を付けて呼ぶのが礼儀だと伺いましたが …… 。失礼いたしました。香澄様」
「いえ、『様』もいらないです」
「お仕えする方の名に、敬称をお付けしてお呼びいたしますのが、私の矜持ですので、お気になさらないで下さい。それが例え、腐れ外道魔術師だったとしても …… 。ですから、どうぞお許し下さい」
香澄は、涼やかな美女の背後にどす黒い何かを見たが、スルーする事に決めた。
「魔法は、生活にも活かされています。この『管理小屋』は、『落ち人』が暮らす為にいろいろ工夫されています。ここは貴女の部屋で、廊下の奥に『管理者』である、アレクシリス様の部屋がございます。向かい側が私の部屋ですので、ご用意がございましたら、いつでもお声をおかけください」
「ありがとうございます。これから、わたしはどうすればいいのでょうか?」
「『落ち人』は『管理者』と共同生活を送りながら、魔力の制御と常識を学ぶことになります。『管理者』の部屋以外は、自由に出入りして構わないので、お元気になられたらご案内いたしますね。この部屋の右側の扉は風呂と洗面所とトイレに、左側の扉が廊下に出られます」
「メイラビアさん! ぜひ、トイレに行きたいです! …… すみません。だいぶ我慢してました!」
香澄の状況を理解した、メイラビアは手早く使い方を説明してくれた。
異世界由来の公衆衛生を国中に取り入れたという、トイレは水洗だった。お馴染みの白い陶器の便器に木製の便座に蓋が付いていた。ウォシュレットはさすがに無かった。
そして、便座の蓋に描かれた魔方陣に、手を触れると水が流れる、人の魔力が原動力の魔法だった。
香澄が試しに魔方陣に軽く触れると、ぱあっと光り、ちゃんと水が流れた。香澄は、魔力を使った感覚はなかった。
「メイラビアさん、魔力制御が出来ないわたしが、魔力を使って大丈夫なのでしょうか?」
「普段の生活に使用される単純な魔方陣では、魔力の暴発は起こりません。この『管理小屋』にある生活用品の魔方陣なら、安心して触れていただけます」
香澄は、水回りはだいたい同じ原理だからということ聞いてから、メイラビアにはトイレから出てもらった。香澄は、ようやく用を済ませ、魔方陣に触れて流した。メイラビアから、消臭機能付きだそうだと聞いた時、トイレ事情を改善した、先人の努力と執念を感じた。
香澄は、トイレを出た横にある洗面所で魔方陣に触れて手を洗った。正面を見ると、鏡ではなく鮮やかな色彩のステンドグラスの窓だった。 サイドの金具が内開きの窓の取っ手兼カギになっているようだった。香澄は、換気用なのかもしれないと思い、何気なく取っ手を上に引きあげ開けてみた。
「あれ?」
窓の外に、直径二十㎝程のオブジェがあった。金色の半球が一つあり、中心に黒い縦線、周りは白い鱗模様の壁がもこりと蠢いている。黒い縦線が中心点からゆっくり拡がり膨らんだ。香澄は、しばらく見つめあっていた。確かに、見つめていた。香澄は、窓をそおっと閉めた。
変な汗が香澄の身体中から、だらだら流れていた。見つめていた。白い鱗の、巨大な爬虫類系の金色の瞳が …… 。香澄は、ゆっくり、ゆっくり、後退り洗面所を出て扉を閉めた。メイラビアの姿を探すが、どこにも居なかった。認識阻害の魔法のせいで、また姿が認識出来ないのかもしれなかった。なにしろ、香澄はパニック寸前だ。さっきから、彼女の頭はズキン、ズキンと脈打ち、何かが感情を押さえ込もうとしている感覚がしていた。
「メイラビアさん、いませんか? メイラビアさん!」
返事はない。部屋の外に居るのだろうか?
コツ、コツ、コツ。
ベッドの反対側の、厚地のカーテンに覆われたままの窓のほうから、ノックの様な音がした。
「メイラビアさん?」
返事はないが、香澄はとりあえず窓に近づいた。
一応警戒しながら香澄が、そおっと、カーテンを開くと …… 。そこには、首をかしげて覗きこむ金目の白い巨大な爬虫類 …… の背中に鳥の翼が優美に生えた、 …… 竜がいた。
「ド、ドラゴン! またしても、異世界テンプレ!」
さっき、洗面所の窓の外にいた白い竜だろう。何度も首を傾げながらキラキラした金色の瞳で、まるで、香澄の姿を観察しているようだった。
白竜は、鰐よりも丸みのある大きな頭をしていた。鹿の様な対の角と副角がその周りに並び、まるで冠のようだ。その首筋から背中、尻尾にずらりと突起が並び、白鳥の様な翼は鱗と羽根の中間の様な作りをしていた。煌めく翼は、バサリと羽ばたくたび羽根が舞い散りキラキラ輝いた。
窓の外は、大きめのベランダだったが、その手摺を止まり木にして、白竜は巨体をこちらに近付けてきた。鼻先で窓を開けようと押すが、キンッと硬質な音がしたかと思うと、窓はピクリとも動かなかった。
そして、グイグイと押しても動かない窓に苛立ったのか、白竜はすうっと息を吸い込み思いっきり炎を吐き出した! 炎の色は青白くそれだけ高温であることを示していた。
「ヤバい、ヤバい、ヤバいでしょう!!」
香澄は、慌ててベッドの裏側に避難した。おそらく、十秒程だったが、一気に炎を吐ききった 白竜は、遠目にも何だか満足気だった。
どこからか、パリンと高い音が響いてきて、窓がゆっくり内側へ開くのが見えた。信じられない事に、窓ガラスは無傷だった。
『キュオーン!!!』
白竜が、鳴いた。まるで、仔犬の甘え鳴きの様な声なのに、ガラスがビリビリ震える大音量だ。
そして、頭から部屋の中に突っ込んできた。頭だけでも1m以上はある。キリンよりは若干短めの首は徐々に太くなり、翼のある胴体へ続いていた。
ぐいっと、伸びてきた頭は、胴体が窓枠につっかえて、香澄のいるベッドの手前で止まった。振り返り、これ以上入れなかったのを確認すると、また、こちらに向かって、小さくキュオーンと情けなさそうに鳴いた。
「いや、ど迫力のデッカイ竜がキュオーンって …… 。どうなってるのよ、異世界!」
白竜には、部屋に入るのは無理だと、諦めて欲しかったのに、強引に部屋に押し入ろうとしている。
「いや、いや、いや、無理だからね! 入らないから!」
香澄は、叫んだ。しかし、白竜は大きな胴体を左右に揺らして胴体をねじ込もうと暴れ始めた。白竜の動きに合わせて、小屋全体がグラグラと揺れだすのだった。
「わー! 待って! 壊れる! 壊れる!」
危機意識も阻害されているのか? 香澄が、迂闊なだけなのか? 咄嗟に白竜の鼻先を押さえようと、香澄が両手を伸ばすと、するりと躱さた。香澄は、焦って隠れようと、ホールドアップで後退ろうとすると、白竜の金色の瞳が細まり、パクリと彼女の胸元の服をくわえて引っ張っぱった。
「ひいっ! マジで、く、食われる! 食欲的な意味で!!」
香澄の服だけをくわえた口の隙間から、ズラリと牙が並んでいるのが見えた。必死に踏ん張り抵抗しようとしますが、あっさりベランダまでズルズルと引っ張られた。
「アレクシリスさん!! 助けて!!」
お読みいただき、ありがとうございます。