第六話 認識阻害の魔術
「あの、遊帆さんは …… 元の世界に …… 帰れなかったのですか? 帰らなかったのですか?」
香澄は、この質問をしようとした時から、ズキリ、ズキリと脈打つ様な頭痛がしたが、最後まで言いきった。
ずっと、気にはなっていたが、何故か聞けなかったのだ。香澄は、これまでの会話の内容を
、混乱なく冷静に受け止めている自分の思考に違和感を感じていた。
アレクシリスと遊帆の表情を探るように視線を向けると、香澄は、また頭に何か引っ掛かりを感じた。
「香澄ちゃん、すげえな。認識阻害の魔術にそこまで抵抗出来るなんて …… 凄い精神力だよ」
遊帆は、心底驚いた表情で香澄を見ていた。香澄は、頭痛を堪えながら尋ねた。
「認識、阻害の、魔術 …… ですか?」
「 …… っ! 遊帆殿!」
「そうだよ。認識阻害の魔術を …… 」
アレクシリスが、慌てて遊帆の言葉を遮ろうとした。しかし、遊帆はやや低い威圧する様な声でにアレクシリスに語りかけた。
「いいだろう? アレクシリス。せっかく、俺の滞在が許可されているんだ。多少の予定変更も、折り込み済みなんだろう? 」
アレクシリスは、しばらく遊帆を睨んでいたが、諦めたように頷いて何かを了承した。それを確認した遊帆は、香澄に向き直り先程の軽い口調で喋りだした。
「翻訳魔法についてご理解頂けたところで、もう一つ、香澄ちゃんには、俺が認識阻害の魔術をかけさせてもらっている。ほんの、軽い暗示の様なものだよ」
「 認識阻害 …… ですか? 翻訳魔法は理解できます。ですが、認識阻害なんて怖そうな魔術を、何故かける必要があるんですか?」
香澄は、あまり深く考えてはいけない、何故か考えないようにしていた。ちょっと気を緩めると、ぐるぐる思考が回り、頭の芯が熱に浮かされてぼんやりとしてきて、自分が、正常な判断が出来ない状況になるのだった。やっとの思いで不快な気持ちを、押さえて抗議した。
「そんなに、恐がらなくても大丈夫たよ。認識阻害の魔術の目的は、香澄ちゃんの精神の保護だ。あえて注意力や思考を散漫にしたり、感情の起伏を鈍くしておいて、パニックや精神崩壊を起こすのを防いでいるんだ」
「それが、理由ですか?」
香澄の額にうっすら汗が滲んできた。遊帆は、目を細めて微笑を浮かべながら話しを続けた。
「今は、ある一定以上に思考や感情の幅が振れない様に、周りに対する認識や思考能力を鈍らせている程度のものだよ。いきなり、ここは異世界だなんて言われても、理解出来ないだろうし、過去には衝動的に自傷や暴力を振るうものもいたそうだ。そして、一番警戒すべきは、魔力の暴発だ」
「魔力の暴発 …… ?」
香澄は、また何か頭の中が引っ掛かる感じがした。急に頭から血の気が引いて、前に組んだ手がぷるぷると震えだし、さっきまでの安心感が消え、一気に不安になっていた。香澄が震える自分の手を見つめていると、アレクシリスはベッドの横で片ひざを床に着き、香澄と目線を合わせた。アレクシリスの手が優しく香澄の両手を覆った。そして、今度はアレクシリスが説明を始めた。
「そうです。もう、気が付いているでしょうが、大気に含まれた『毒』とは『魔素』のことです。異世界には存在しない『魔素』が異世界人の身体に影響すると、昏倒してほとんどの者は意識が戻らなのです。身体の問題ではなく、魂の問題だという説もあります。未だに解明されていません。しかし、『魔素』に順応出来た『落ち人』は、膨大な魔力持ちになる事が多いので、国は『落ち人』を保護します」
遊帆は腕を組み、香澄とアレクシリスのやり取りを興味深げに見つめていた。
そんな室内でメイラビアは、壁まで下がり無表情で沈黙して気配を消していた。
「『落ち人』が、生まれて初めて触れる魔力に翻弄されて、耐えられず暴走し、辺り一帯を巻き込んで死亡する事故が、過去の記録には幾つもありました。その為に『管理者』の私が居るのです。『管理者』は、『落ち人』の体調や魔力を管理して導く役目を負っています。『落ち人』の魔力の暴発を抑える実力を持っている者が任命されます」
「『管理者』 …… アレクシリスさんが …… ですか」
香澄は、ゆっくりと息を吸ったり吐いたりしながら、たどたどしく言葉を発した。
「そもそも、この『管理小屋』に、貴方を意識も戻らないうちに連れて来たのは、治療に大量の魔力を使用した為に、目覚めたとき、魔力の暴発が起こる可能性が高かったからです。私は、貴女の魔力の暴発を防ぐのが任務です。遊帆殿の認識阻害の魔術は、段階的に解除してもらいます。だから、不本意でしょうが、今は受け入れて欲しいのです」
香澄は、魔力の暴発の可能があるなんて、恐ろしい話だと思った。認識阻害の魔術の所為か、再び頭がぼんやりしてきているのと、アレクシリスの手が、優しく彼女の手を包んでいるので、あまり不安を感じなくなった。
香澄は、アレクシリスのあくまでも認識阻害の魔術は、『落ち人』の精神的な保護の為だと言う理由に納得はいった。
「でも、思考や感情に干渉されてるのは、気分の良いものではありません。遊帆さん。時々感じる違和感や、頭の中で感じる引っ掛かりが、認識阻害の魔術なのでしょうか?」
遊帆は、腕組みしながら首を捻った。
「香澄ちゃんが、どんな風に感じるまでは、俺にも分からないんだ。認識阻害にしても、条件付けは大雑把だから、思考のコントロールや洗脳の様な事は出来ないよ。香澄ちゃんが魔術に抵抗するから、違和感を感じるんだと思う」
「そういえば、遊帆殿。さっき、彼女が目覚めた時、私はこの部屋に居たのに、直接触れるまで存在を認識されませんでした。認識阻害の魔術の効果が過剰だったのではありませんか? 彼女を怖がらせてしまったではありませんか!」
「怒るなよ。アレクシリスが『管理者』なら、俺の時の様なことは無いだろが、俺が来るまで念のため、外部刺激を必要最小限にした弊害だろうな。香澄ちゃんのだいたいの限界が分かってきたから、これからは大丈夫だよ」
「怒っているわけではありません。私を悪者にしないで下さい」
「うわ~、怒ってないって言いながら、酒飲むとネチネチ愚痴って嫌み言う絡み酒のくせに~」
「飲むと真っ黒の腹の内を隠せなくなる人に、言われる筋合いはありません」
香澄は、二人のやり取りを聞いていて力が抜けていくのを感じた。
「とにかく! 俺は、同郷の『落ち人』として、香澄ちゃんを手助けしたい。アレクシリスの事は、信用して大丈夫だよ」
「私は、『管理者』として、貴方がこの世界を受け入れる手助けをします」
「そうですか。 …… 遊帆さん、アレクシリスさん、ありがとうございます。こられから、ご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
香澄は、にっこり笑って頭を下げた。遊帆とアレクシリスは、一瞬、戸惑ったような表情をした。
「い、いや、こちらこそよろしく。香澄ちゃん」
「 …… よろしくお願いします」
何故か、男性陣が、妙にそわそわした感じになる。解せぬ! そんな空気に、涼やかな声が割って入った。
「では、そろそろ宜しいでしょうか? 詳しい説明やお話は徐々に、まずは、彼女には静養が必要です。女性のお世話をさせていただくので、男性陣にはご退室いただきたいのですが?」
メイラビアに追いたてられて、二人は部屋から出ていった。
そして、香澄は、メイラビアがいることを、すっかり忘れていた事に茫然とした。あまりの忘れっぷりに、認識阻害の魔術の弊害だと思いたかった。実際、そうなのだろうか? 何だか他にも忘れているような気がするが、それよりも人間関係を優先させた。
「す、すみません。メイラビアさんも、ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。香澄ちゃん」
香澄は、メイラビアまで『香澄ちゃん』と呼ぶので、異世界は親しみを込めて名前を呼ぶのに、『ちゃん』付けは常識なのだろうかと思った。なぜなら、無表情だったメイラビアが、女神の様な微笑みを返したからだ。
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