第十七話 真紅の女王
ここは何処だろう……?
香澄は、ソファーの上でマントを下敷きにして、あひる座りをしていると気がつき、腰を上げて引き抜こうとした。
あれ……?
香澄は、膝にも腰にも力が入らず、脱力して再び同じ場所に、へたり込んでしまった。
あの避難通路で、香澄は痛い思いはしていない。マントに包まれて、荷物のように運ばれただけだ。そう、荷物の様に上下左右に振り回されて、ぶん投げられて、落ちる寸前にキャッチされたりしただけだ。……だけだった。
マントの暗闇の中、盛大に香澄の三半規管は揺さ振れたせいで、乗り物酔いのように気持ち悪い。頭も身体も、フラフラしているのだ。黒猫皓輝が心配そうに見上げている。
香澄は、潤んだ丸い目で見つめる黒猫を、もふもふする事が出来ないくらい、具合が悪くて青い顔をしていた。
「貴方達! 香澄にいったい何をしたの?!」
香澄の目の前の美女が、叱責の声をあげた。
もの凄くいい匂いのする。明るい真紅の豊かな髪と、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳をした、ゴージャスで妖艶な美女がいた。所謂、派手なクリスマスカラーなのに、気品に満ちた至高の宝石のように美しい女性だ。
ここは、シックな大きな机を中心に、本棚が壁を埋めた広い部屋だった。
香澄の目にも、高級な調度品だとわかる数々の家具や雑貨に囲まれている。窓の数は少ないが、天井近くまで高さがあるせいか圧迫感を減らして、日中はとても明るい部屋なのだろうと想像できた。部屋の窓側のガラス張りのアルコープに、香澄の座るソファーは置かれていた。
正座をした二人のゴツい体格の騎士が、その美女の前で小さくなって叱られているというカオスが展開されていた。
香澄はクラクラしながら、美女のその容姿から、彼女が誰なのか予想がついた。ランスグレイルから、彼の家族について、たくさん話を聞いていたからだ。
「香澄、大丈夫かしら?」
「はい。あの、もしや、アレクサンドリア女王陛下ですか? すごっ……! 三児の母には見えな……とっても、お美しいです!」
香澄は、性格上あまり他人を褒めたことがない。照れが先に立って、相手を褒める言葉が出ないからだ。今は頭の中もフラフラとしているので、何も考えずに感じたまま感想を述べてしまった。
実際、香澄の頭は左右に揺れている。そのせいで、最上級の礼儀を示すべき相手に、香澄はそれはそれは残念な態度しかとれていなかった。
「香澄、ごめんなさい。私が、速やかにと依頼したせいです」
フレデリクとグレイルードは、罠で溢れる避難通路を、かなりの速さで駆け抜けて、香澄を無傷で運んできた。
避難通路は、侵入者防止の為に逆に通路をたどる者には、自動的に様々な罠が発動する。罠の発動を止める方法は、保安上存在しなかった。それを二人はかいくぐり、王宮深くの国王の執務室に直接到達したのだ。ある意味、称賛に値するのかもしれない。
「香澄姫、調子に乗って申し訳ございません。少しだけ、その、振りまわし過ぎました。谷間を跳ぶのに、少し距離があったので、投げた方が早くて安全だったものですから……うわっ?! 陛下!」
フレデリクが跪いて、焦りながら香澄に謝罪した。途中から、フレデリクの下半身に、氷が張り付いていった。ブーツは完全に氷の中に閉じ込められている。
「香澄殿、その、最近は身体を動かす機会が減っていてしまったものですから……。フレデリクと競い合う機会など、滅多にないもので、つい罠をワザと起動させて難易度を上げてしまった。申し訳ないことをいたしました!」
グレイルードも、跪き頭を下げた。こちらも足元から、霜のようなものが衣服をおおっていった。
二人の後ろでアレクサンドリアは、微笑みながら怒りのオーラを醸し出している。アレクシリスと同様の冷気を伴う魔力なのだろう。アレクサンドリアの漏れ出る魔力で、室内が凍えそうに冷えてきた。
ええ、わかっています。お二人とも会話でしか分かりませんでしたが、とっても楽しそうに罠をかいくぐり、剣を振るっていらしたようですから……!
香澄は、悪態をつきたいのを、心の中でグッと堪えて、努めて笑みを浮かべた。
「御二方、ここまで安全にお運びいただき、ありがとうございます。道中、痛みも苦しい事もありませんでした。ただ、ちょっと乗り物酔いのようになってしまっただけです。少し休めば大丈夫ですよ……」
黒猫皓輝が、『香澄様、笑顔が怖い……』と、言っているようだが、香澄自身はそんな顔をしているつもりはなかった。多分……。
「竜族との同盟の関係上、香澄の保護を、『茨の塔』に依頼するのが最善の策だと思います。ですが、竜族だけでなく、ファルザルク王国側も『茨の塔』に表立って接触や干渉することが難しいの。魔術師団は、『茨の塔』の派生組織であって、ファルザルク王国の国軍とは微妙に立ち位置が異なるのです。あちらに引き渡す前に、どうしても逢いたくて、無理を言ってしまったの。ごめんなさい」
真紅の女王陛下は、香澄に頭を下げたのだった。
「いいえ、わたしも一度お会いしたかったのです。あの、女王陛下、お世話になります?」
香澄は、一国の女王陛下に対してどうかとも思ったが、頭の動きがまだ鈍くてそれ以上告げられず、しかも自信がなくなり、語尾に疑問符を付けてしまった。
「ふふっ。可愛い方ね」
そんな香澄を、アレクサンドリアは優しく見つめて微笑んだ。女神の微笑みで、春が訪れた様に室温も上がり、騎士達の氷も溶けて消えた。
女王陛下は、二十五歳になるマリシリスティア王女の母親なのだから、間違いなくアラフォーだろう。
しかし、中身五十歳の香澄の目にも、女王は間違っても同世代に見えなかった。まだ三十代になったばかりに見えるのに、威厳すら感じさせる美しく輝かしい女王陛下だ。
香澄も見た目だけなら、彼女の娘だと言ってもおかしくない姿だ。ぼうっとした頭で、あひる座りのまま、アレクサンドリアと見つめ合ってしまった。
「グレイルード殿、何でしょう、これは? 麗しい美女がお互いを見つめあう図なんて、倒錯の香りがいたしませんか?」
「フレデリク、貴様はその腐った頭を持って、とっとと竜騎士団に戻れ!」
「御意に! その前にグレイルード閣下、ご報告が一つございます」
「何だ?」
「私は早めに『囁きの森』地下の通路に隠れていましたが、ランスグレイル殿下も、アレクシリス団長殿も、私の存在に全く気がついていませんでしたよ」
「これは、後ほど二人とも鍛え直しですね。しかし、早めに着いた割には、合流地点に来るのが遅かったようだが?」
「アレクシリス団長殿と香澄姫が、良い雰囲気で急がせるのも不粋だと思ったのです」
しれっと答えるフレデリクは、ずいぶん愉しげだった。近衛騎士団長と竜騎士団員が、所属が違うのにずいぶん親しげなのを、香澄は不思議に思った。それに、香澄は、フレデリクがアレクシリスとの会話をどこまで知っているのか気になった。
「フレデリクさんは、アレクシリスさんの副官なのですよね?」
「おや? 香澄殿、『アレク』でなくてよろしいのですか?」
「 …… ! 話を聞いていたのですか?」
「香澄姫、アレクシリス団長殿は、貴女に正式に婚約を申し込まれましたよね。えっと、『いずれは本当に結婚いたしましょう』でしたか?」
香澄は、真っ赤な顔をして慌てた。
「婚約したフリですから! 確かに、結婚を申し込まれ、ました! そうでした! 返事はまだ保留のはずですよね。ああっ! 即、お断りすれば良かったのに!」
香澄は、自分の鈍さに、今さらパニックだ。
「おや、おや、詰めの甘いことだ。愛する女性の口説き方を、シシィにきっちり教えておけば良かったですね」
「それに、今は婚約もフリでも良いそうですよ」
「あら、香澄? アレクシリスと正式に婚約成立しているのよ。私が許可致しましたもの」
アレクサンドリアは、香澄に爆弾を投下した。
「仮のお話ではないのですか!」
「正式な婚約でなければ意味がないのですよ。竜族は、番の関係を重要視します。ファルザルク王国でも結婚は神聖な誓約です。竜族といえど、いずれアレクシリスの妻になる香澄を、無理矢理でも奪うわけにはいかなくなるからです。川端香澄はファルザルク王国が保護した『落ち人』です。盟約に従いファルザルク王国が、貴女の保護と権利を守ります。それは、竜族と交わした盟約の根幹でもあるのです。それを曲げて、正当な理由なく貴女の保護を主張するのは、盟約の破棄を意味します。ただし、政治的な理由で貴女をアレクシリスの婚約者にした訳ではないのよ。私は、アレクシリスが心から望んでいると知った上で許可いたしました。あの子の幸せは、私達の願いでもありますもの。もちろん、どうしても香澄が嫌なら、状況が落ち着いたら婚約解消すれば良いわ」
香澄は外堀がすっかり埋められている現状を理解した。結婚は、本人達の意思もだが、家族の賛成も必要だと思う。家族に反対されながら、異世界人の香澄が、ファルザルク王国の王家の一員として、生きるのは無理だ。だがしかし、問題は二つある。
「わたしの保護はファルザルク王国と竜族との間に確執にならないでしょうか?」
「香澄は不本意でしょうが、間違いなくなりますわ……。しかし、それに関して貴女が責任を負う必要はありません。私が、女王として竜族の盟約違反に遺憾の意を表しただけの事です。竜族との交渉は、私達にお任せ下さいね」
政治的な事など、この世界に詳しくない香澄に判断出来ない。女王陛下のお言葉に甘えて従うしかないだろう。問題はもう一つある。それを、今告げるべきか、香澄は悩んでいた。
「御苦労でした。フレデリクは、竜騎士団に戻りなさい」
アレクサンドリアは、フレデリクに向き直り命じた。
「では、陛下、アレクシリス団長殿の補佐に戻ります」
「竜族の交渉は、アレクシリスに任せます。香澄の所在は正直に話して、その後の交渉日時を、なるべく長引かせなさい。蘇芳の動向に特に注意を払うようにして、藍白が表に出るようならば、直ぐに報告をしてちょうだい」
「御意に!」
フレデリクは、女王陛下の足元に跪いた。ドレスの裾をそっと手にして口付けしようとした。
これ、『騎士っぽい!』と、香澄が感嘆の声をあげそうになったが、フレデリクの脇腹をグレイルードが蹴とばして、それを阻止した。フレデリクは、一瞬で蹴りが入るのを避けて二、三歩下り頭を優雅に下げた。
「フレデリク、我が国にその様な習慣はないだろう?」
「我が妹から『機会があれば、お兄様に是非一度やっていただきたいわ』と、言われていましたのでつい……」
「つい? 貴様、不敬罪で斬られたいのか?」
グレイルードは、不機嫌そうにアレクサンドリアを背にかばった。本気でフレデリクを斬るつもりはないのだろう。アレクサンドリアは、そんな二人を前にして平然としている。
「ほほほ、あのおバカさんったら、また妙な事を考えているのね。メリンジェニスは、暇だと碌なことを考えないのですね。ふふっ、まだ仕事量が少ないのかしら?」
「フレデリクの妹って、ウインズワース侯爵令嬢のこと? 国王秘書筆頭のくせに、相変わらず腐った思考の持ち主だねー!」
「レンドグレイル、ノックもせず、許可を得ないうちに陛下の執務室に入って来るのはやめなさい」
「はーい。父上、ごめんなさい。なんだか、面白そうなお話だったから邪魔してはいけないかと思ったのです」
レンドグレイルと呼ばれた少年は、悪戯っ子の様に舌を出して肩をすくめた。
お読みいただき、ありがとうございます。
【 登場人物年齢覚書き】
海野遊帆 35才
ランスグレイル 18才
レンドグレイル 18 才
マリシリスティア 25 才
アレクシリス 26 才
アレクサンドリア 44才
アレクトレス 46才
グレイルード 53才
藍白 約60才
杜若 約70才
多分、あってると思います。グレイルードが、おっさんになってしまいました。しかし、この世界の人々は魔力が多いと、老いにくく長生きする設定にいたしましょう!




