第三十五話 ファルザルク王国へ
香澄は子猫の皓輝を、お散歩から回収したあと、準備万端で一階の居間に向かった。
香澄が階段を降りていくと、玄関ホールにメイラビアの姿を見つけた。昨日は、挨拶程度で話が出来なかったので、一言挨拶しようと近づくと、怒鳴り声が聞こえてきた。
「リックス、嫌だ! 俺は、絶対に嫌だ!」
「バーミラス!」
「海野遊帆を乗せるなんて、御免被る!」
「御免被るって、いつの時代の言葉だよ …… はあ、わかった。団長に言って、海野殿を送る任務は断ってくる。だから、機嫌直してくれよ!」
「 …… 」
どうやら、ファルザルク王国に向かうとき、バーミラスという名の『契約竜』が、遊帆を乗せたくないと言ってるらしい。
「困りましたね。あら? 香澄様、おはようございます」
「メイラビアさん、おはようございます。何かあったのですか?」
「いいえ、香澄様のご心配にはおよびません。竜騎士団の制服がとても良くお似合いですね。髪型も素敵です」
メイラビアは、にっこりと香澄に微笑みかけてきた。香澄は、メイラビアの態度を見て、そんなに深刻な事態ではなさそうなので安心した。
「メイラビア、すまない。俺は、あいつを許せないんだ!」
「バーミラス ……」
昨日、大使の後ろにいた竜騎士の青年だった。多分、さっき怒鳴っていたのは彼だろう。きれいな鉛色の髪と瞳をしている。ただ、つり目で神経質そうな印象で、香澄の苦手なタイプだった。
メイラビアは、複雑そうな困り顔をしていたが、バーミラスに黙って微笑んだ。それを見てたバーミラスは、バツが悪そうに玄関の重厚な扉の方へと離れていった。
香澄は、やはり色々と深刻な話なのだとわかり、竜族と遊帆の間に何があるのか、メイラビアに詳しく聞いてみようと思った。香澄は、この世界で出会った人々に、自分からもう一歩踏みこんで、関わりを持とうと思いはじめていた。
「メイラビアさん。やはり、困り事でしたか?」
「香澄様、心配いりません。いつもの事です。すべては、あの二日酔いで潰れている、どこぞの腐れ魔導師の自業自得が、まわりまわって少々困った事態になっているだけです」
メイラビアは、遊帆の愚痴をこぼした。香澄は、遊帆が二日酔いで潰れていると聞いて悪いことをしたと思った。
子猫の皓輝は、そんな香澄の心を察したのか上目遣いで見上げてくる。香澄は、心の中で、何もしないでと皓輝に伝えた。皓輝の気づかいは、斜め上に働いてしまう。その結果、遊帆の身が危険になりかねない。
皓輝は完璧に猫化していて、香澄のくすぐりに喉をゴロゴロ鳴らしている。
「昨夜、私が調子に乗って、遊帆さんに飲ませてしまったからです。飲みやすいお酒だったから、そこまで強いと思わなくて、すみませんでした」
「香澄様も、あの果実酒を飲んだのですか? あれは、甘いですが、人族には強すぎるお酒ですよ。香澄様は、大丈夫ですか?」
「はい。平気です」
「それなら良かったですが、アレに付き合って飲まれない方がよろしいですよ。かなり酒グセが悪いですから …… 騒いで、絡んで、飲み過ぎて、翌朝は必ず二日酔いになるのですから、駄目な大人です」
「いいえ、楽しいお酒でしたよ」
「 …… 彼も同じ異世界人同士で、話が出来て楽しかったのでしょう。昨夜は、ぐっすり眠れたようでしから …… 」
メイラビアは、口ではああ言っていたけれど、遊帆が心配なのだろう。まるで、母親か、奥さんのような心配の仕方だと思った。
「もしかして、メイラビアさんと遊帆さんは、結婚してらっしゃるのですか?」
「違います!」
香澄は、そんな力一杯に即答しなくても、いいだろうと思った。
「気を悪くしないでくださいね。二人の結婚を、竜族が許してくれないから、こんな騒ぎになっているのかと思っただけです。ごめんなさい」
香澄の言葉に、メイラビアは固まってしまった。さりげなく真相を聞いてみたかったが、背後から声をかけられた。
「おはようございます。香澄、メイラビア」
「おはようございます。団長殿!」
「おはようございます。アレクシリスさん」
朝日を浴びて、キラキラ輝く金の髪の王子様があらわれた。今日のアレクシリスは、騎士団の制服が少し豪華で、足先まである長いマントを着けていた。
「香澄、騎士団の制服も、良くお似合いです。こんな可愛い竜騎士を、初めて見ました」
香澄は、キラキラしい王子様が、こんなオバサンを褒めても何も出ないと思ってから、ハッとした。
そうだ。朝、鏡で散々確認したはずだ。今の香澄は、そんな褒め言葉に相応しい美少女なのだった。
社交辞令かもしれないが、アレクシリスに褒められただけで、何故か顔が赤くなっていく。香澄は、何を急に意識しているのかと、慌てて顔を押さえた。
アレクシリスは、そんな香澄の様子に嬉しそうに微笑みを浮かべていた。どうやら、遊帆に言われた事を実行するつもりらしい。
アレクシリスの背後に、こげ茶色の髪に琥珀色の瞳をした竜騎士の青年が立っていた。多分、竜騎士バーミラスの『契約者』のリックスだろう。
「バーミラス。リックスから聞いたが、どうしても、遊帆殿を乗せるのは嫌ですか?」
「団長殿には、悪いが、俺は嫌だ …… 」
「わかりました。では、リックスとバーミラスは、メイラビアを乗せてください。遊帆殿は、体調が戻り次第、別の竜騎士に送らせます」
竜騎士団は、普通の軍とは違って、上官の命令に絶対服従というわけでは無いようだ。
「アレクシリス殿、アレはそんなに具合が悪いのですか?」
メイラビアは、口にした言葉は荒いが、とても心配そうだった。
「いつものように、メイラビアに頼まれた薬草茶を飲ませてきました。だから、大丈夫です」
「アレクシリス殿、いつも、ありがとうございます」
「礼にはおよびません。メイラビア、出発準備が出来ているなら急ぎましょう。杜若が、風がざわついていると言っています」
「それは、大変です。わかりました」
メイラビア達が、大きな玄関扉から外に出ると、アレクシリスはさりげなく香澄の腰に手を置きエスコートした。
「香澄も準備が出来たのならば、行きましょう」
「はい …… 」
アレクシリスの近づく距離に、香澄の心臓は大きく音を立て鳴り出した。意識しない様にと考えると、逆に体温まで上がってくる。
香澄は、軽く腰を押されながら歩くと、いつもより体に力を入れないで済んで、楽なのだと初めて知った。
大使館の前庭で、杜若は青竜の姿で待っていた。風がざわついていると言っていたのに、外はほぼ無風状態だった。杜若の横に並ぶ、鉛色の竜がバーミラスなのだろう。香澄は、髪の色が、竜の姿の色なのだから間違いないと思った。
『風の精霊達が、ざわついている。魔霧の森では、いつ何が起きるか予測がつかない。アレクシリス、出発するなら早い方がいい』
「了解だ。リックス、バーミラス、メイラビア、準備が出来次第、出発する!」
『「「はっ!」」』
香澄は、メイラビアの返事が竜騎士団の団員でもないのに、さまになっていると思い苦笑した。メイラビアは、遊帆の美しき助手であって、騎士ではないのだから …… 。
香澄は、見送りに前庭へ出て来ている大使館の職員達の中に、藍白の姿を探したが見つからない。
そういえば、蘇芳と飯田亜希子に黄檗もいない。何かあったのだろうか?
「アレクシリスさん、蘇芳さん達はどうしているのですか? 飯田さんは、私達と一緒に出発しないのでしょうか?」
「ファルザルク王国と竜族は、同盟関係ではありますが、行動を共にしているわけではないのです。竜騎士の『契約竜』は、例外です。蘇芳達は、竜族独自の方法でファルザルク王国に入れますから、竜騎士団の寮で会えるでしょう」
「そうなのですか …… 」
「香澄は、私と一緒に杜若に騎乗してください」
香澄はアレクシリスに手を貸してもらい、杜若の背中の鞍に乗り込んだ。杜若の翼と背中の突起に足を掛けて、背中の鞍に座ると目線がとても高くなった。香澄は感覚で、だいたい二階の人と目が合いそうな高さだと思った。子猫の皓輝は香澄の左肩に乗っかり、しっかりとくっついている。
竜の騎乗用の鞍は、杜若の竜体の首の付け根の突起を利用してはめ込まれていた。馬の鞍とは形状がかなり違うが、二人で相乗りするのにはぎりぎりの大きさだった。乗り込んだ順番だからなのか、香澄が前に、後ろにアレクシリスが座る事になった。
アレクシリスは、ベルトのバックルに、固定ベルトを取り付けた。そして、香澄にも取り付けるようにと、固定ベルトを渡してきた。香澄は、国民的アニメ映画のワンシーンを思い出して、『落ち人』の影響なのかもと思い笑いそうになってしまった。あまり緊張感が無いのは『認識阻害の魔法』のせいだと、香澄は思う事にした。
アレクシリスは香澄の背後から腕を回して手綱を持っている。手綱の先も、鞍の先端部に固定されているのは、操縦が必要ないからだろう。
子猫の皓輝は、香澄の肩に張り付いたまま、長いしっぽでピシリ、ピシリと、アレクシリスの腕を叩いている。
香澄は、肩に乗った皓輝の鼻先を突いてたしなめた。皓輝は、アレクシリスと香澄がくっつき過ぎだと怒っているようだ。
鞍の構造上、どうしても密着してしまうのは仕方がない。手綱を握るアレクシリスの両腕に挟まれて安定感もあり、問題ないのだ。
「香澄、大丈夫ですか?」
「は、はい! よ、よろしくお願いします」
「出発!」
香澄は、アレクシリスに耳元でささやかれて、心臓が止まるかと思った。
皓輝の言うとおり、この距離感は問題がある。香澄は、アレクシリスの体温を背中に感じて、急に緊張してきた。さっきまで、平気だったのが嘘みたいに意識してしまう。香澄は、自分の感情がコントロール出来なくて動揺した。いったい、どうしてしまったのだろうか?!
これでは風景を愉しむどころではなくなってしまった。
杜若は、コウモリのような皮膜のある翼をゆったりと上下した。一回の羽ばたきだけで、信じられないほど上昇していったのだ。
香澄が藍白に拐われた時は、結界の球体の中だったので、何も感じなかったが、杜若が高度を上げていくのに、風の抵抗も浮遊感もないのが不思議だった。
大使館の職員達の手を振る姿が、どんどん小さくなっていく …… 。
大使館は、キプトの町の外れで、大きな円形の聖域のふちに建っているのがよく分かった。キプトの街並みがミニチュアの様に見えるあたりで上昇が止まった。遅れて、鉛色の竜のバーミラスも同じ高度に上がってきた。
杜若は方向を定めると、ゆっくりと滑る様に加速していく。かなりの速度で飛んでいるのだが、やはり、香澄は加速に伴う、様々な抵抗を感じなかった。
「香澄、びっくりしましたか? 初めて竜に乗った人は、あまりの快適さに大抵おどろきます。竜は、魔法で飛ぶので、激しく羽ばたく事もありません」
「すごいです! 揺れも不快感も全くありません! 」
『俺の結界魔法のおかげだ。他の竜体に乗るよりも快適なはずだ』
「とても快適です。杜若さんの結界は素晴らしいですね。ありがとうございます」
杜若は、少しだけ振り向いて目を細めた。香澄に褒められて、うれしかったようだ。
それにしても、魔霧の森は異様だと香澄は思った。
香澄は、魔霧の森にジャングルの様なイメージを持っていたのだが、針葉樹が多く、川縁や岩場などの空き地すら存在しない。ただ、森と霧があるだけだった。
もっとも、白い霧がほとんど覆い尽くしているので、隙間から垣間見る程度だった。
空はよく晴れているのに、日中も森の霧が消えないのなら、森の中には陽射しは届かないだろう。だったら、何故森が枯れないのか疑問に思った。魔素が霧として漂っているのも不思議だったし、広大な森林なのに、鳥や動物の鳴き声一つ聞こえてこない。香澄は、この世界は秘密や謎が多いと思った。
魔霧の森は、果てが何処なのかわからないくらい地平に広がっていた。
「アレクシリスさん。この魔霧の森は、どのくらいの広さがあるのですか?」
「この森は、聖域以外の場所は実態が明らかになっていないません。どれだけの広さがあるのか見当もつかないのです」
「そもそも、魔霧の森って、何なのですか?」
こうして、杜若とバーミラスが飛んでいる間も、風景はほとんど変わらなかった。アレクシリスは、答えに困っているようだ。
「人族は、魔霧の森の事を何一つしりません。いつからこの森があるのか、聖域とは何なのか、真実は何一つ解明されていないのです …… 竜族は、何か知ってるのでしょう。しかし、禁忌に触れるので、人族には話すことが出来ないそうです」
「竜族は、何か知っているのですね …… 」
香澄は、蘇芳と亜希子が『鍵』とは何か、人族の前では話せないと言っていたのを思い出した。禁忌に触れるので話せないという事なのだろうか? だったら、香澄に話せるのは何故だろう ……? まさか、香澄が『種族不明』だからなのか?!
ーーーー 突然、香澄の肩の皓輝が毛を逆立てた!
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