第三十三話 寝酒は一杯だけ
ファルザルク王国大使館の食堂の隅で魔道具のランプのほのかな灯りの下、香澄と遊帆は差し向かい果実酒をロックで飲んでいた。
この食堂は、大使館の職員や滞在者が利用するため、二十四時間年中無休だ。しかし、深夜は、夜番の交代時の夜食が作り置きされているだけで料理人は不在だった。
香澄が知る社員食堂よりは、こじんまりしているが、清潔感のある良い空間だと思った。木製の味のあるテーブルと椅子が、整然と並べられている。テーブルのレイアウトを変えて、壁際のベンチも使えば、一度に五十名程は座れそうに見受けられた。
香澄は、夜半に目が覚めた。大使館の三階の一室を割り当てられて、とにかく早めにベッドに入り眠るように勧められた。香澄は、疲れているのに、三時間くらい眠ったところで目が覚めた。
明日は、早朝にアレクシリス達とファルザルク王国に向かう事になっている。
会談は、前回の続きから話し合われた。香澄がランスグレイルに襲われていなければ、中断する事はなかった議題に、今回は『異界の悪魔族』の襲撃の対策が加わった。会談は混迷を深めていた。
「香澄の保護を最優先にすべきです」
「異論はない」
「では、香澄様にとって、一番安全な場所は何処だと?」
「聖域であるキプトの町もファルザルク王国の王宮も『異界の悪魔族』の進入を許しているから、安全とはいません」
「聖域の中で、キプトの町が一番結界が弱まっている場所だ。わざわざ竜族の町を置いて竜族の魔力で補いながら護っている場所でもある。浸入を許してもすぐに対処する」
「今回のように、ですか? 我々の認識ではかなり危うかったのでは?」
「 …… ぐっ! それは、しかし …… !」
「ファルザルク王国に現れる『異界の悪魔族』は、大きな魔力は使えない。人の中に潜み、精神を徐々に操りやすくするのが精一杯の小物だ」
「操られた者が、何かしたらどうする? ランスグレイル王子がいい例だろう?」
「まだ、真相はわかっていません。決めつける事はしないでいただきたい!」
「ファルザルク王国の聖域、『管理小屋』の結界は強固だ。『異界の悪魔族』の黒い霧の侵入を許したりしない」
「香澄様を、ファルザルク王国に委ねる事は出来ない」
「竜族にその権利は無いはずだ」
「『管理小屋』は、結界に問題はないが、魔霧の森の中にある場所で『異界の悪魔族』も力を増す。外部から補給無しに暮らせない場所だ。黒い霧に長期間囲まれるような事があると逃げ場はないのでは?」
「では、どこが …… 」
「う、うむ」
「竜族、ファルザルク王国の両方が関わり、黒い霧と『異界の悪魔族』から香澄様を守れる場所か …… 」
さっきまでの、熱い議論が嘘のように静かになった。
「では、『囁きの森』では如何か?」
香澄は、沈黙を破った声の主を探したが、その場所に人影はない。不思議に思い、じっと見つめていると、そこに魔力の揺らぎがあるような気がした。
「そうか! 『囁きの森』の世界樹か …… !」
「ファルザルク王国の王城内でありながら、竜族の庇護下になる。聖域では無いが、世界樹の若木の守護がある場所だ。聖域に匹敵する!」
「魔霧の森の外で、黒い霧も活動が鈍り『異界の悪魔族』も弱り危険も減るはずだ」
「そうだな」
「じゃあ、それで決まりかな?」
香澄が見つめていた魔力の揺らぎが消えて、海野遊帆が現れた。遊帆は、濃紺に金の刺繍で複雑な文様や魔方陣が入れられた豪華なローブを着て、身長と同じ長さの細い杖を持っていた。
「き、貴様は、海野遊帆!」
「遊帆殿、何故出てきたのです!」
「いい、度胸だな! 竜族に『接触禁止』竜族の町に『立入禁止』の禁を破れば、殺されても文句はあるまい!」
「香澄ちゃんの目の前で、俺を殺すと?」
「貴様、外に出ろ!」
「嫌だよ」
「落ち着こう! 君は『契約竜』!一応、ファルザルク王国側の竜騎士なんだから!」
「っ! し、しかし!」
竜騎士の制服を着た一人が、今にも遊帆に飛びかかろとするのを、もう一人の制服の青年が止めていた。そんな二人を無視して、遊帆は、香澄に歩み寄った。
「香澄ちゃん。久しぶり!」
「海野さん、一発殴ってもいいですか?」
「香澄ちゃん! まさかの武闘派?! 理由は何だい?」
「認識阻害の魔術! 危な過ぎます! すぐに解術してください!」
「殴っていいけど、二人っきりの時でよろしくお願いします」
「お断りします!」
「その黒猫、面白いね」
「皓輝です。面白いじゃなくて、可愛いでしょう?」
「殺さないようにするから、解剖研究してもいい?」
「絶対に駄目です!!」
会談は、香澄の意思決定を必要としないで、ファルザルク王国の竜騎士団の契約竜の寮に匿う事で決着した。
『囁きの森』と呼ばれる竜族専用の寮には、世界樹の若木が植えられている。世界樹の若木には、数多の精霊が宿っている。『異界の悪魔族』は、精霊を避ける。理由は謎だが、精霊の多い場所に『異界の悪魔族』は現れないのだという。
香澄は、ファルザルク王国の王城へ行かなければならなくなった。勝手に議論されて、わけのわからないまま決められて、香澄は不満だった。しかし、会談に途中参加の遊帆の一言で心が決まった。
「香澄ちゃん。定期的にちゃんと身体のメンテナンスを魔術的にしないと、内臓からバラバラになっちゃうよ。俺は、ファルザルク王国所属の魔術師団の団長兼魔術師ギルドの『茨の塔』の魔導師だから、ファルザルク王国以外の場所には行けないよ」
「何それ?! 怖っ! え、遊帆さんって、役職がすごくないですか?」
「だから、『囁きの森』は香澄ちゃんの療養先として最適だから、安心して行くといいよ」
「はあ、そうですか …… わかりました」
香澄は、『禁断の秘術』について説明を求めたが、蘇芳と飯田亜希子も、人族の前で話すのを渋った。亜希子は、香澄に、全ての説明を『囁きの森』ですると約束した。
ファルザルク王国に香澄への説明に亜希子がついていく事が決まり、蘇芳は、キプトの町の聖域の強化の為に残ることになった。
藍白は、黙って成り行きを見守っていた。香澄は、気不味さから藍白の方を見ることが出来なかった。ただ、別れ際に藍白は香澄にこう告げた。
「香澄ちゃん。僕はここに残って、やらなきゃいけない事がある。だから、それが済んだら …… 後から追いかけて行くよ」
香澄、そう言って笑顔を見せた藍白が、とても儚げに見えて心配だった。
香澄は、カオスな会談を思い出し、すっかり寝付けなくなった。そして、水が飲みたくなり、キッチンを探し求めて部屋を出た。ひざ下丈の簡易ワンピースに厚手のストールを羽織った姿で階段を探した。洗面所の水が、飲料水として飲めるか、わからなかったからだ。
おそらく、一階にキッチンはあるだろう。廊下や階段は、魔道具の灯りで最低限の明るさを保っていた。絨毯敷きの廊下は、足音を消してくれて、他の人達の眠りを邪魔しないですんだ。子猫の皓輝は、香澄を追いかけてきた。香澄の歩幅に合わせて、足の間を8の字にトテトテ繰り返し歩いて周り、置いていこうとした事を抗議しているようだ。香澄は、皓輝を抱き上げて、ごめんねと頬ずりをした。そして、階段の途中で遊帆に声をかけられたのだ。
遊帆は、果実酒の瓶を片手に、自室に戻るつもりだったらしい。
「香澄ちゃん、眠れないの?」
「遊帆さんも、眠れないの?」
「俺は、いつもの事だよ。酒か薬かなら、酒のほうがマシだからな。香澄ちゃんは、いける口?」
「外で飲んで、潰れたことはありませんよ」
「じゃあ、一緒に飲もうか? 食堂でいいかな?」
互いの部屋では、外聞が悪いので、食堂ならばと香澄も同意した。
「あ、でも病み上がりだし、これアルコール度数意外に高いから、一杯だけにした方がいい。氷、もっといる?」
「はい」
ーーーーカラン。
何もない空間に、何かが集結して唐突に氷が現れて、香澄のグラスに落ちてきた。まるで、マジックの様だが、これが魔法なのだという。
「ありがとうございます。魔法って便利ですね」
「ははは、便利過ぎて不便だよ」
「フフッ、前にも聞いた気がします」
「そうだったかな?」
「そうですよ …… 」
「眠れないの、魔法や魔術じゃ治せないのですか?」
「自分に魔術をかけるのは難しいよ」
「何故でしょう?」
「何故でしょうね? 占い師が、自分を占えないのと似ているかな …… 」
「占い師はどうして自分を占えないのでしたっけ?」
「良い結果を期待して、冷静な判断が出来なくなるからかな?」
「なるほど …… 」
それから、二人は黙り込んだ。カラカラと氷がグラスに当たる音だけが響いた。静かな夜更けだ。互いに沈黙している時間も心地よく感じて、悪くないと香澄は思っていた。
そんな香澄の様子を、遊帆はじっと見つめていたが、小さな溜息を吐いてから、わざと明るい声で話しだした。
「香澄ちゃんに、先に謝っとくよ、すみませんでした」
「謝る理由は何ですか?」
「理由は二つ。認識阻害の魔術は、強制的に解術出来ない。自然消滅するから、それまで待ってくれる?」
「自然消滅って、どれくらいですか?」
「多分、一年くらい …… 」
「やっぱり、殴らせて下さい?」
「わはは、もう一つを聞いてからなら、どうぞ!」
「なんですか?」
「手帳を読ませてもらった」
遊帆の言葉に、膝に乗せた皓輝の背中を撫でていた、香澄の手がピクリと止まった。
「見た、ではなく読んだのですか?」
「 …… そうです」
「 ………… いいですよ、別に、他人の手帳は売り物になる程面白いらしいですから …… 」
「売れるの?」
「売ってるお店を、報道番組で見た事ありますよ。使用済みの過去の手帳を売りに来る人、買いに来る人、書き込まれた量が多いほど高値が付いてましたね」
「それは、何とも言えないなぁ。他人にプライバシーを公開する趣味は俺にはないよ」
「他人の手帳を読み込んだ人の言う事じゃないですね」
「違いない!」
二人で、ひとしきり笑い合った後、真面目な顔つきをして、遊帆が口を開いた。
「その、多分、今日じゃないのかな」
「ああ、そうですね。それどころじゃなくなりましたが …… 」
「旦那さんの一周忌だったんだね。死因が複雑な理由で、香澄ちゃん、旦那には苦労させられたんだな」
「 ……… 」
香澄は、曖昧な笑みを浮かべて沈黙していた。勝手に手帳を読んだ遊帆を責める気持ちも、旦那の命日についても、何処か遠い他人事のように感じていた。そうだ、何も考えず心を閉ざしていれば、傷ついたりしない。不用意な言葉で、誰かを傷つけることもない。
「それで、手帳を見てわかったけど、多分、俺と香澄ちゃんの世界はちょいズレている」
「ズレている?」
「祝祭日の違いだよ。俺の世界は、祝祭日は全て連休になる様に何月何日ではなく、何月の第何月曜日って感じに決まっている」
「それは、法改正が進んで …… ああ、日付けは、遊帆さんがこちらに来てから五年後だったのですね」
「そう。もしかして、証明は出来ないけど、同じ世界から異世界転移はされないのかもしれない。平行世界から条件に合う奴をどんどん引き寄せて落としているのかもしれないな …… 」
「何者が、何のために落としているのでしょう?」
遊帆は、空になった自分のグラスに、果実酒を注ぎながら香澄の問いに答えた。
「それこそ、神様か何かだろうな …… 召喚の魔術は、尋常じゃないくらい膨大な量の魔力が必要だからな」
「わたしは、竜王リングネイリアが『禁断の秘術』を使って召喚したそうです」
「『 禁断の秘術』? 詳しい話は聞いてる?」
「いいえ、お預けをくらってます。『落ち人』でも『迷い人』でもないわたしは、何者なのでしょうね …… 」
「香澄ちゃんは『招き人』だな。『禁断の秘術』で招かれた人だから、あれ? 正しくは『招かれ人』か?」
「どちらでもいいですから、もう一杯だけいいですか? この果実酒、美味しいです!」
結局、一リットル程の瓶に入っていた、アルコール度数の高い果実酒を空にして、二人はそれぞれの寝室に戻った。
翌朝、二日酔いの頭痛に苦しみながら遊帆は竜に騎乗することになった。
香澄は、あの後しっかり眠れたおかげで、体調は万全だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
お酒は、二十歳になってからお飲み下さい。




