足立が独立した日
東京都には二十三区があるのは殆どの人は知っているだろう。千代田、中央、新宿、港の俗に都心四区と呼ばれる地域は有名だし全国区だとは思う。それに渋谷も有名だ。
西の方ではついこの前まで草原と田圃しかなかったのに今や上流階級の人が住むと言われる世田谷。でも高級住宅地の田園調布は大田区なんだけどね。
そんな事はさておいて、世間から、というよりは、殆どの国民から半場バカにされている区もある。その代表が葛飾と足立だ。江戸川もと言いたいが、江戸川は都内屈指の金持ち区だ。恐らく二十三区でもトップクラスだろう。癪だがここは抜かす。
まあ、足立とか葛飾はろくなイメージがない。僅かに、葛飾は寅さんやこち亀の両さん。最近ではサッカーの「キャプテン翼」などで有名だ。足立は、やはり金八先生だろうか? 尤もあれには葛飾でも撮影していたのでお相子かも知れない。
足立はともかく、葛飾は不便だ。JRが殆んど通っていないからだが、江戸川との区境に近い南に自殺で有名になりつつある「新小岩」がある。そして北のハズレには「綾瀬」「亀有」「金町」があるのだが、残念ながらこの駅は今や千代田線の駅となっている。
区内の交通は京成電鉄に頼っているのが現実だ。区内に張り巡らされた路線で陸の孤島にはなっていないが、都心に出かけるにも乗り換えるのでめんどくさい。京成が乗り入れてる都営浅草線は都心を避けて走っているので役に立たない。
だから区内にはろくなスーパーが無い、イトーヨーカドーが綾瀬、四ツ木、亀有、金町にあるが、亀有を除いて規模は小さい方だ。それに千代田線は区の北のハズレを通っているので葛飾というより足立の為の施設となっている。
だから俺は買い物をするのでも一々綾瀬まで出かけるのだ。ここは駅の手前までが葛飾で駅そのものは足立になっている。だから正確には葛飾の駅では無いのだが……
そこには一応色々な店があり、買い物には不自由しない。「サボテン」の高いトンカツも買えるし、吉野家や松屋、すき家もあり値段に応じて牛丼も食べられる。それに、この辺りは原宿に一本で通えるので、南青山あたりで修行した美容師さんが多く住んでいる。都心に出店するには費用がかるので、この辺りに出店するケースが多い。だから美容室がやたら多いのだ。洒落た店構えの店が多く、その点では原宿に負けないかも知れない。この綾瀬の南に堀切という場所があるのだが、ここも美容室が多い。それは綾瀬で競争に負けた店がそちらに行くのだそうだ。美容室も中々大変だ。都心の流行の先端で修行した美容師ばかりなので、技術的には原宿を凌ぐそうだ。尤も俺は千円カットで済ませているが……
今日も原付きを動かして綾瀬に買い物に出かけたのだが、区の境まで来ると、柵が設けられていて、そこ何やら衛兵みたいな格好をした男が二人立っている。手にはマシンガンのような銃を持っている。まさか、映画のロケに入り込んでしまったのかと自分を疑った。柵の場所まで行くと
「すいませんが、本日午前零時を持って足立は独立を致し、足立区から足立国に名称も組織も変わりました。只今、独立を認証しない日本国との間で交渉が続けられています。その為、足立国に入国をする一般人の制限を行なっています」
衛兵は思ったより丁寧な言葉で説明してくれた。
「ただ、ヨーカードーに買い物に行きたいんですよ。それでも駄目なんですか?」
「いや、制限をしているだけです。所定の手続きを済ませれば、ここから一時間に二本出ているバスに乗る事が出来ます。現在、ここから足立国に入国する方法はこれしかありません」
「では、そのバスに乗る方法を教えて下さい」
俺が尋ねると衛兵は柵の左側にある昨日までコンビニだった建物を指して
「あそこが国境事務所です。詳しくはあそこでお尋ねください」
そう言った。確かに看板には「足立国境事務所」と書かれた看板が「ローソン」と書かれたロゴの上に貼り付けてあった。
「郷に入れば郷に従え」と言うけれど、今朝のニュースでも足立が独立したなんて言っていなかったぞ」
独り言のように呟くと先の衛兵が
「私も驚きましたよ。「自衛隊足立事務所」で昨日まで事務とっていたんですからね。それが一夜明ければ「足立国軍」の兵士ですからね」
そう笑って言うが、そんな顔で言う事かと思う。仕方ないので「足立国境事務所」のドアを開け、元レジカウンターの中に居る人物に問い合わせると
「入国のバスに乗るには日本国のパスポートと足立国が発行する臨時ビザが必要です。臨時ビザはこちらで発行しております。ちなみに費用は千円です。期間は七日間です」
「パスポートが居るんですか? これは驚いた……」
「国外に出るのですから当然です」
「でも日本は足立国を認めていないって……」
「でも、足立国は日本国を認めています。一日も早く国交を結びたいと思っています」
俺はここで何を言っても仕方ないと思い、一旦家に帰る事にした。家に帰って昨年グアムに行った時に作ったパスポートを持って来るつもりだった。
原付きのエンジンをかけて自宅に向かう。見れば葛飾の方からも警官がやって来ていた。日本側は警察だが、足立は一応国軍だ。そんな違いも面白かった。
家に帰ると箪笥にしまってあったパスポートを出す。まさか今年のうちに国外に出るとは思わなかった。
再び、原付きに乗って先程の「足立国境事務所」に急ぐ、到着すると、「足立国境事務所」の看板の隣に、何か書かれた紙が貼ってあった。
「日本国臨時出国審査所」
俺は、ここに至って「なるほど」と感心をしてしまった。足立側が入国のスタンプを押しても日本側が出国のスタンプを押さなかったら「不法出国」となるのだと悟ったのだった。
入り口のガラスドアを開けると僅かに昨日まで売っていた唐揚げの匂いが鼻をつく。そういえば綾瀬の「松の家」で四百九十円のトンカツ定食を食べるつもりだった事を思い出して腹の虫が鳴った。
いつの間に作ったのか判らないが足立側とは反対側(日本国側)にカウンターが造られていて、男女二名の係員が座っていた。
「足立に出国する方はこちらで出国の手続きをしてください」
何処かで見た顔だと思ったら中学の同級生の松尾だった。
「よお、どうしたい? そういえば国家公務員試験に合格したと聞いたが……」
「ああ、お前か……実家が近いからこっちに派遣されたんだ。仕方ない……貧乏くじだ」
松尾が私語を言うと隣のメガネをかけた、学校の先生みたいな女が
「松尾所長、私語はベッドの中だけにしてください。ここでは、ご遠慮願います」
そう言って睨んだ。この女、松尾と出来てるのかと思う。
パスポートに出国のスタンプを押して貰い、今度は足立側に向かう。係員は屈強な男だった。
あっけにとられる日本国側の係員松尾を尻目にビザの申請をする。形式ばかりの手続きをして千円を支払う。これで今日から七日間は足立に居る事が出来るのだ。そんなに用は無いのだがな。そして入国審査でスタンプされたパスポートを受け取る。
「ようこそ足立国へ! お買い物ですか? 観光ですか? お仕事ですか?」
そう尋ねるので
「サイトシーイング」
と答えてやった。
コンビニいや、事務所の外に出ると、バス停に一台のバスが停まっていた。ここから綾瀬駅まで歩いても十五分とかからないだろう。だが衛兵らしき者が
「現在は独立まもなくであり、若干の紛争状態にあるため、入国なさった方は、皆このバスに乗って戴きます」
そう言われては仕方が無い。第一衛兵は皆、本物の銃を持っている。ここは既に日本ではないのだ。あの銃で打たれても文句は言えないかも知れないと考えた。
大人しくバスに乗り込むと、バスは、ほぼいっぱいで、俺が乗り込むとすぐに発車した。するとガイドらしき女の子が前に立ち(多分制服からして東武バスのガイドさんだったのだと思った)
「皆様、ようこそ足立国へ。このバスは足立の入り口綾瀬駅へと向かっております。足立は消費税がありません! 買い物天国です。皆様には色々と特典もご用意しております。どうか足立での楽しいお買い物のひと時をお過ごしください」
そう言ってマイクを降ろした。そうか、消費税が無いのか! もとより綾瀬は物価が安い。だから俺も良く買い物に来るのだが、消費税が無いとなればこれは頻繁に来なくてはならないだろう。
やがてバスは綾瀬の駅前のバスターミナルに到着した。そういえば駅で乗り降りする人はどうするのだろうか? ちょっと興味が湧いたので駅に行ってみる。
綾瀬は常磐線の快速は止まらないので、これに乗車した人は何の問題も無いのだろう。降りられないのだから国内を通過しても仕方ないのかも知れない。これは、以前キューバの上空をアメリカの旅客機が何の通告も無しに通過していた事と同じだと思った。
見ていると、パスモやスイカで乗り降りする乗客には自動的に情報がカードにインプットされるみたいだ。綾瀬から乗る客に対しても同じらしい。
問題は切符、乗車券で来た客は改札の横で俺がやった通りのビザの発行と入国審査を行なっている。どうやらパスポートなどは、持っているはずが無いので身分証明者が代わりになるみたいだ。後日入国のシールが送られて来るので、それをパスポートに貼るシステムだと言う。では日本国側の出国はどうなるのか? と思ったのだが、それについては良く判らなかった。
駅を離れた俺は腹が減っていたので駅前の「松の家」に入る。ここは「松屋」が経営するトンカツ専門店で、トンカツ定食が税込み四百九十円で食べられるのだ。トンカツが食べたくなるとここに来るのだ。
店の自動ドアを開けて店内に入ると食券を発行する自販機に張り紙がしてある。
「日本国からお見えの方には四百円で提供しております」
そう書いてあった。消費税が無い上に観光客として優遇してくれるのか、それはありがたい。何回か来ればビザの千円も元が採れると思った。
買い物も、そうで、日本から来た観光客には特典が満載でビザにポイントが付いて来て、それを足立国内では現金として使えるのだ。
イトーヨーカドーのサービスカウンターで入国時に作ったビザを書類からカード型に変えて貰う。これで、七日が過ぎても、入国時に現金をチャージすればビザが認証される。ポイントが貯まっていれば、それで支払えるのだ。ポイントは凄い、買い物価格の十%が付くのだ。これは消費税分と特典分だそうだ。つまり、何時でも一割引という事だ。これは大きい。
このシステムが広く知れ渡ると足立国は買い物天国となって行った。日本国中から我も我もと買い物客が殺到した。色々な外国資本がそれらを狙って次々に大型店舗を展開する。
すると翌年の春節に中国から大勢の観光客が押し寄せ、嵐のように買い物客でごった返したのだった。
今や足立は商業国家として国連にも認知されている。日本もしぶしぶだが認知をして、色々な法整備を急いだ。
まず、ノービザでのお互いに行来出来るようにした事。犯罪における犯人引き渡し協定、入国管理の簡素化その他色々な協定を結んだのだった。
俺は、今日も買い物に綾瀬に行く。足立国には北千住という商都もあるのだが、俺にはどうも行き難い。綾瀬が性にあっていると思うのだ。
そういえば貯まったポイントで何を買おうか考える俺だった
了