エピローグ
「だからー、クッチは何度も説明してるだろー。法堂先輩御一行が予定より遅めに来てちゃんとハンバーグ食べて帰ったってー。」
『紫鏡』にお灸を据えて、三人が元の世界へ戻った後、これは後日談のようなその日中の話だ。
長谷川家のリビング、時刻はもう既に夜の九時を回っている。
元は米俵のような肉厚ジューシーなハンバーグが載っていた、であろう空の皿を見て、アキが残念そうに玄一に詰め寄る。
「ハンバーグ食べたかった〜、もうお腹ペコペコだよぉ〜」
「こんな時間に食ったら太るぞ」
淀が横槍を入れるがアキは引き下がらない。口をへの字に曲げて「何か作れ」と玄一に念を送っている。
長い間結界を張っていた彼女の疲労は相当なものになるだろう。
それを分かってか、珠城がアキを宥めるように言う。
「アキ、事情を話せばお母さんが何か作ってくれるかも知れないわ。どうせ玄一さんだって何も食べてないんでしょ?」
「本当?ねぇねぇクッチ、一緒にお願いに行こう〜」
「何でクッチ同伴なのさ!」
玄一の手を引いて、珠城の両親が居る一階へ駆け下りていくアキ。珠城は怪我をした肩をさすりながら二人を見送っていた。
「珠城」
ーー珠城が座るソファーの前に法夢がずい、と現れた。手にはタオル地の白いスリッパーーメロスがある。
「世話になったな、返す」
ぽい、と珠の足元に投げるが、珠城は履こうとしない。ただ、ソファーの上で胡座をかき、頬杖をつきながら相棒を眺めているだけだ。
「何だ、水虫気にしてるのか?」
琴彦が隣のソファーに座り冗談めかして言うが、(一瞬物凄い剣幕で睨んだが)珠城は反応しない。
「俺、水虫持ってないからな。」
場の悪くなった法夢が言う。やがて珠城が静かに伝えた。
「アンタがさ、もう一回、『境』で修行するならーーメロスはあげるよ」
琴彦と丹木が同時に珠を見る。メロス本人も驚いたように一歩退いた。法夢だけが表情を崩さず、珠城を見据えていた。
《本心なのか、タマキ》
俯きがちに、珠城が答える。
「あんまり、モノに頼るのも『カゲボウシ』としてどうなのかなって思ったんだ。」
しばらく間を置いて、法夢が切り出した。
「アキには伝えたんだけどよ、今回の件はーー」
「兄貴がお前らを試す為に仕組まれてたんだ」
「えっ?」「はっ?」「へっ?」
見事に三人の声が重なる。
「俺はその為のサクラだ。残念ながら家の鏡が全部割れたっていうエピソードも、『紫鏡』に繋がる為のヒントだから嘘っぱちだしよ。どちらかと言えば、俺が『紫鏡』を長谷川家の前まで誘導したんだ。」
「ちょっとマジで藤路神社潰しに行こうかしら」
「人の話は最後まで聞けよ」
今にも飛び出して行きそうな珠城を琴彦と淀が取り押さえながら、法夢の話に再び耳を傾ける。
「ただ、一つ勘違いしないで欲しい事は、『紫鏡』は兄貴が創り出した『怪奇』ではなくて本当に出現した『怪奇』だという事だ。」
《ふむ。それなら既に調べ済みの。》
ロシュが長谷川家の白い天井にぶら下がりながら口を挟む。
「兄貴はどうやら、『境』の重要な役職に就くらしい。それで今一番活躍している『カゲボウシ』のお前らを試そうとしたんだとよ。」
へぇ、と呑気に琴彦は返したが、淀は眉をひそめていた。
「それにしては、『カゲボウシ』でもないお前によく法堂先輩はサクラを頼んだな」
珠城はまだ藤路神社の事しか考えていない。
法夢は淀の疑問に、ため息まじりに答えた。
「氷魚先輩が『役目』を降りるからな。さしずめ俺はピンチヒッターと言った所か。」
"氷魚先輩が『役目』を降りる"。たったその一言で珠城は野獣から花の女子高生に戻った。先ほどのまでの暴走は何だったのか、今はちょこんとソファーに座っている。
琴彦は全ての疑問に合点がつき、はあと力なくソファーにもたれた。淀はまだ疑問が残り、怪訝そうに法夢を見ている。
「じゃ、最後に俺たちが外に出ている間、法堂先輩は何で長谷川家に来たんだ?」
「あ、悪い。それは兄貴達が腹減ってるって連絡してきたからハンバーグの話したら」
「くそっ、やられた」
淀ががっくりと沈む。結局ハンバーグは淀にとっても惜しかったらしい。
「兎にも角にもだ、珠城。メロスはモノじゃなくてお前の"相棒"だろ。頼らなくてどうするんだ。」
珠城に背を向け、長谷川家を後にしようとする法夢。
「脇役程度の俺にお前の相棒は釣り合わないよ」
最後の最後に、振り返ってーー彼は言った。
「主役は『カゲボウシ』なんだ、忘れるなよ」
『紫鏡』…end
これにて『紫鏡』、終了です。
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます。
次回もある予定です。また読んで、おこがましいですが、感想など頂けると幸いです!
それでは、ありがとうございました。