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影法師は忍ばない  作者: 雨森汐也
『紫鏡』
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5.彼は吸血鬼と踊る


時制は少し前に遡る。

琴彦は長谷川家を出ると、軽やかにアスファルトを蹴って空に高く跳躍した。空中で体を捻るとその姿は一瞬でカラスに変わった。

「かあ、かあかあ」

カラスは小さく鳴くと、冬の夜空、オリオンの真下を滑空していった。


カラスが町外れの森に入ると、びりびりと空気が痺れてきた。夜の森は少しの明かりもない。全て、感覚だけで飛んでいる。

近くの茂みに苔むした神社の残骸が見え、頭のない地蔵が佇んでいる。

冬の澄んだ空気が牙を剥く。翼が空気を切るたびに、ひゅううんと綺麗な音がした。

カラスの目の前に、"見えない壁"が現れる。

これが、カミサマとヒトの世界を分けた結界の壁。『境』への玄関口だ。

一度カラスは空中で助走を付けると、一気に"見えない壁"へ突っ込む。

"見えない壁"とカラスがぶつかった瞬間に、閃光が走る。

光の中から、人間の姿に戻った琴彦が現れて地面に手をつき着地した。

「境界一つ越えるだけで一苦労だ。全く丁度いい制度はねぇのか。」

独りごちに言いながら、森の先を目指して歩き出す。ヒトの世界は周囲は明かりが一切無かった暗闇だったが、『境』は灯篭が何本も建ち、オレンジの灯りがぼんやりと浮かんでいた。

ここは、『(さかい)』。現代に最も近い、カミサマとヒトの共生する世界だ。

『カゲボウシ』である琴彦にとっては第二のホームグラウンドと言えるだろう。

「おや、おや、おや」

「ことひこ、ことひこさま」

しばらく歩いていると、琴彦の足元、膝よりやや上しかない背丈の子供ーー式神の童子が灯篭の陰から二匹ぽてぽてと駆けてきた。

「なんのごようでごさいましょう」

「いかがしてここへこられたのでしょう」

琴彦は膝に手をつき、なるべく目線を童子に合わせた。

「時詠社殿まで少しな。ロシュは居るか?」

童子は二人で顔を合わせると、うんうんと何度も頷いた。

「います、います」

「ひとりざけ、ひとりのみです」

童子たちが無邪気に駆けていく。琴彦がその後に続いて、いくつかの分岐した道を抜けたのち森の中にひっそりと、厳かな雰囲気を漂わせる社殿が姿を現した。

時詠社殿(ときよみしゃでん)

悠久の時間と歴史を取り纏める、境の中でも重要な書庫のある社殿。

「ろしゅさまー」

「ろしゅさまー」

童子が社殿の入り口に呼び掛ける。返事は無かった。

「ロシュ。急用なんだ早くしてくれ」

何度か呼び掛けても返事が一切無い事に痺れを切らした琴彦が声を掛ける。

りん、りん、りん

琴彦の声に応じて、美しい鈴の音が聞こえてきた。

《そなたは卑しい男のう、琴彦よ》

中性的な声が、響く。

《今日は大事な用があるから引っ込んでおけと申したのはそなたの方ぞ、琴彦。》

琴彦は相も変わらず気怠げに声に返す。

「確かにその通りだ、それは認めるさ。だが急なんだ。」

《ほほう》

瞬間、琴彦のすぐそばを蝙蝠が掠めた。

「きゃー」

「きゃー」

童子が嬉しそうに悲鳴をあげる。

また一匹、もう一匹、一度見つけると次々見つかっていく。気が付けば、夥しい数の蝙蝠が社殿の前へ集まっていた。

そして蝙蝠は薄紅色の光を纏いながら人の形を形成していきーーやがて一人の麗人へと姿を変えた。

鼻筋が高く日本人離れした顔立ちは中性的とはまた違う美しさがある。

しかし、とても奇妙な格好をしていたのだ。

袖が地面にまで着いてしまいそうな水干を身に纏い、五本骨の紙張りの扇子を片手に持つ。そこまでなら、いくら顔立ちが日本人離していたとしてもこの社殿には見合っている。だが、それを一網打尽に否定しているものがあった。それがーー

「和洋折衷とはこのことだな。」

そう、翼だ。

それも鳥のように形の整った翼ではなく、蝙蝠のようにごつごつとした不揃いな翼。

そして、ちらりと覗く白銀に輝く牙。

翼をはためかせている訳でもないのに地面に足は着いていない。少しだけ浮遊している。

明らかに人間ではないその容姿。

「大事な用はもう大丈夫なのかの?」

目の前の麗人はほくそ笑む。

「粗方の事は見通しておるぞ、琴彦。『紫鏡』が出てきたのでおろう?」

「お見通しか。流石は時詠社殿の当主様だ」

『怪奇』をこれまで幾度となく記録してきた時詠社殿。

「ふふ、我を置いてけぼりにした事を後悔させてやろうぞ。」

現代の当主は、少し同性愛の強い異国の『吸血鬼』、ロシュだった。




社殿内の一室で童子が出した緑茶を啜り、琴彦は今一度ロシュを見据えた。

ロシュは畳に座らず、胡座をかいたまま空中に浮遊している。

「粗方の事は見通してるって、お前どこで観て(み)やがったんだ。まあ、結局は話す事になるが、『紫鏡』なんて俺は一切口にしてないぞ。」

琴彦の問いに、ロシュは扇子を顎にあて得意げに笑う。

「"気"、ぞよ」

「気?」

琴彦が首を傾げる。

ロシュはゆっくりと降下して、畳に着地する。

瞬時に操ったのか、タイミング良くもう一匹の童子が現れてロシュに古い文献を渡す。歴代の『カゲボウシ』が記してきた『怪奇』の記録、『影法師怪奇譚(かげぼうしかいきだん)』だ。

今は何冊目になるのか分からない怪奇譚を捲り、琴彦の前に差し出す。

水墨画で描かれた絵は、琴彦が相手した鏡の『怪奇』と一致している。

「この時期によく出没からの。それで『紫鏡』が現れた時の空気ーー"気"を覚えてしまったのだよ。飽きもせず毎回毎回……」

「俺と同じ年数しかここに居ないのによく言うぜ」

くっくっくと引き笑いするロシュに悪態をつく琴彦。

「残念だったの、琴彦。時詠社殿の当主は知識と経験を引き継ぐ。我は今千年以上の知識と経験があるぞ。」

緑茶を飲み干して、目線で返事する。すぐさま童子が駆けてきておかわりを注いだ。

「我からも訊こう」

「何故そなたは『紫鏡』と思ったぞ?」

「なぜでしょー?」

「なぜでしょー?」

童子も面白そうに訊ねてくる。琴彦は逆に、ケータイをロシュに見せた。

前に屈んでスマートフォンを見るロシュの端整な顔が歪む。

「何ぞ、これ」

「文明の利器だ」

開いているページは無論ウィキペディア。『紫鏡』の項目が開かれていて、ロシュは"都市伝説"と書かれた部分をなぞった。

「都市伝説は俺も好きでな。奴を見た時、ぴんと来たんだ。」

「ふむ、まあよい。その文献を読む限りでは現代人の間でも伝説となっておるのだな。」

ならば話は早い。ロシュが吸血鬼の赤い瞳を琴彦に向ける。

「現代人は単純に『紫鏡』は二十歳までにその"言葉"を覚えていると不幸な目に遭う、というものでおろう?『怪奇』の『紫鏡』も同じ原理ではある。」

「同じーーなら、成人した二十歳の意識の集合体なのか?」

ロシュは首を振りながら文献を再び指差す。

「逆ぞ」

「二十歳に成れない者の意識。寿命を亡くし、成長を忘れた者。それが『紫鏡』の正体。」

「二つの例がある。一つは二十歳より前に"死んだ"人間の意識。これならそなたもよく分かるのう?」

「ああ。死んだ人間の意識が『怪奇』に成る事はしょっちゅうだ。」

「もう一つは、"成長しない者"。抽象的な表現になってしまうがーー身体も思考も子供のままで、年月だけが蓄積されていくだけの人間よ。」

「そんな人間居るのかよ……」

半ば呆れ気味に琴彦は呟く。

通常の人間ではないものが今回は相手になろうとしているのだ。

「実際に相手をしてみないと分からぬがの」

ちらり、とロシュが琴彦を見る。

琴彦はそれに応えるように緑茶の残りを一気に飲み干すと、意を決して立ち上がった。

「行くのか」

「馬鹿野郎、お前も行くんだよ」

灰色の瞳と深紅の瞳がぶつかる。ロシュがやがて、麗人らしく微笑んだ。

「そなたはやはり強引ぞの。」

「言うな気持ち悪りい」

「ふふふ、まあ良い。我も琴彦の式神らしくーーどこまでも付いて行こうではないか。」

「だからお前が居ないと始まらないんだよ、全く……」

琴彦は気怠げに、ロシュは楽しそうに社殿を出て行く姿を、童子ははしゃぎながら見送って行った。

「いってらっしゃいませー」

「うしろにはきをつけてくださいませー」









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