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先輩と後輩 その①

妹と銀も仲直りし、四条さんと琴乃さんの勘違いは続いているものの、それを除けば、何一つ変わらない平穏な日々を送っている僕であった。

しかし、そんな日々も永遠には続かない。いつか必ず終わりはくる。人生ってのはそういうものだ。


というわけで、今この状況だ。簡単に説明しよう。四条さんと鉢合わせた。別にそれだけなら、あらどうも、で済ませられる話なんだが……。

こればかりはそうもいかない。登校中に出会ってしまったのが運の尽き。学校へ行くとなれば、当然制服を着る。

制服を着るとなれば、当然男用の制服を着る。ここまで言えば、もう分かっただろう。つまりは……


「何故あなたが男用の制服を着ているのかしら?」


となるわけだ。どうにかこうにかなったと思えば、すぐにこれだ。僕の高校生活はバラ色に染まるどころか、灰色に塗りつぶされちまう。このままじゃ。

何か上手い言い訳をしなければ……。


「人違いじゃ……ないでしょうか?」


ナイス! これはなかなか上出来だ!


「あ……ええ、確かに言われてみれば……人違いな気がしなくもないわね……」


僕は知っている。こいつが実は馬鹿で天然なことを。


「お、俺の名前は……そう! 来節くるぶしだ! 君の言う、来栖さん、って人とはまったくの別人だよ。そ、それじゃあ……そういうことで!」


ふぅ……やり過ごせたか。それにしても迂闊だった。四条さんとは同じ学校だってことは知ってたけど、まさかこんなところで会うとは。明日からルート変更だ。


「よう! 俺の親友の来栖渚! 今日も朝から浮かない顔してんなぁ……。お前って本当に高校生か? 生気が感じられないぞ、お前からは」


「……」


「ん? どうした渚? 具合でも悪いのか?」


最悪だ。こいつは本当にいつもいつも……。


「来栖……渚……と言ったかしら、今?」


後ろから、冷静かつ冷徹な声で僕の名前がゆっくりと呼ばれるのが聞こえた。もちろん言ったのは四条さんだ。

よりにもよって向坂のやつ、なんで僕の名前をフルネームで呼んだりしたんだよ。こいつは疫病神だ、絶対に。


「言ったけど……君は誰? も、ももも、もしかして渚の妹かぁぁぁぁ!? やばっ! 全然似てないけど超可愛いじゃん! おいおい渚~こんなに可愛い妹がいるなら紹介してくれてもいいじゃんかよ~今度お前の家に遊びに行くからな!」


なんでお前が、僕に妹がいること知ってるんだよ。だいたいこいつは妹じゃなくて四条さんだし。


「もう……いいから少し黙っててくれ……向坂……」


「はぁぁぁぁ!? もしかして……お前自分の妹を独り占めする気だなぁぁぁぁ!? そうはさせん! 俺はお前の家知ってるんだぞ? 今度無理やり押し入ってやるからな!」


「ふざけんじゃねーぞ!? お前に僕の凛子はやらん! お前みたいな空気の読めないやつならなおさらだ!」


こいつ妹のことだけじゃなくて、僕の住所まで知ってやがるのか!? 一体どこから僕の個人情報が漏れてるんだよ。

まさか売られてたりしないよな? 心配になってきた。


「俺のどこが空気読めないってんだよ!? それを言うなら、お前だって全然空気読めないじゃないか! 遊びに誘ってやってもまったく来ないし! 人のこと言えねーじゃねーか!」


僕と向坂は四条さんの存在をすっかり忘れて、お互いの悪口を言いあうことに熱中していた。

だが、そんな僕らのアホなやりとりにしびれを切らしたのか、四条さんはいつもの落ち着いたトーンではなく、声を荒げて叫ぶのであった。


「あなたたち!? いい加減にしなさいっ! これは私と渚の問題ですっ! そこの無駄に爽やかなあなた、とっとと引っ込んでもらえますか!?」


無駄に爽やか。そいつは確かに言えてるな。


「お、俺のことか? そうか……そうか俺って、無駄に爽やかなんだな! なんかちょっと……嬉しいかも」


こいつ馬鹿だ。


「褒めてないわ」


はい、ナイス突っ込み。


「それで……早く事情を説明してもらえるかしら? 何故あなたがその制服を着ているか、何故私に嘘をついたのか。全て、きちんと、話してちょうだい」


事情……て言われてもな……。僕男なんです、と言えるわけもなく。上手い言い訳も思いつかない。


「あなた……やっぱり男、なのね?」


四条さんの目つきは鋭く、決して僕から視線を外そうとはしない。それなら……いっそのこと、正直に話してしまおうか。

四条さんに事情があるように、僕にだって事情がある。もしかすれば、理解してもらえるかもしれない。

意を決した僕は、答えの出ない議論にけりをつけるように、無謀な挑戦をした。


「四条さん、聞いて欲しい話がある」


四条さんは黙って頷く。


「僕は……実は僕は……男なんだ!」


時が止まった。そう錯覚してもおかしくないほど、周囲は静まり返り、そしてこの場にいる誰もが微動だにしなかった。


「…………どうして……どうしてあなたは私を……いえ、私たちを、騙すようなことをしたの……?」


息絶え絶えになりながらも、かろうじて僕に言ってきたのは、何故僕が女装をしていたのかではなく、何故みんなを騙したのか、という問いだった。


「僕だって騙そうとしたわけじゃない。けど……事情があったんだ僕にだって! 四条さんと同じように、僕にだって事情があったんだよっ!」


「私と同じ? 事情? 馬鹿なことは言わないでちょうだい。そんないかにもな言い訳は聞きたくないわ」


四条さんは腕を組んでそっぽ向いてしまう。僕の話しを聞こうとはしない。気づいたら僕は、四条さんに理解してもらおうと必死になっていた。


「言い訳じゃない! 僕だってあの仕事をやりたくてやってるわけじゃないんだ! 僕だって……僕だって! 普通に生活したいさ……けど……だけど琴乃さんに束縛されてる限り、僕には自由なんてないんだ……」


頬に手を添え、あなたのことなど知ったものですか、とでも言わんばかりの呆れた顔をして、四条さんは言う。


「それを言い訳と言わずして、なんと言うのかしらね。琴乃さんに束縛されてる? ふん。そんなものはただの言い訳。いえ……言い逃れだわ」


言い逃れ。そう言われた瞬間、僕の身体を稲妻のようなものが駆け巡る。


「言い逃れだと!? 琴乃さんは……あいつは僕を脅してきたんだぞ!? だから仕方なく僕は命令に従ったまでさ。お前なんかに僕の何が分かる!?」


僕の怒りをもろともせず、あくまでも冷静な口調で言う。


「ええそうね。確かにあなたの事情なんて知らない、知ったこっちゃないわ」


「じゃあ――」


人差し指を突き出し、僕の発言を中断させる。そしてこう言った。


「私にはあなたの事情が分からない。けど、あの店長はどうかしら?」


「え?」


店長? きっと琴乃さんのことだろう。けど、それが何だって言うんだ? 琴乃さんが僕の事情を理解してる、とでも言いたいのか?

そんなの当たり前じゃないか。僕を縛り付けている張本人なんだから。


「あの店長はね……ああ見えても、ちゃんと人の心は理解できているわ。そうね、これは私の独り言だと思って聞いてちょうだい」


何言ってやがる? 琴乃さんはそんな人間じゃない。その証拠に僕は巻き込まれたじゃないか。あの人の私情に。

だが、そうは思うものの、僕のなかで一つだけ引っ掛かるものがあった。そう、四条さんをぴゅあラブで受け入れた理由だ。

もし、四条さんの言うことが真実なら……人の心を理解しているという琴乃さんが、情けをかけたということか?四条さんに。


「店長が言っていたのよ、あなたのことが心配だって」


僕のことが心配? 意味が分からない。当惑している僕のことなど気にせずに、四条さんは話を続けていく。


「あなたって、過去にいじめを受けたことがあるのでしょう? あの人がそう言っていたわ。まあ、手短に話してしまいましょうか。あの人は、メイド喫茶であなたを働かせることで、あなたのコンプレックスを克服させよう、そう思っているみたいだわ」


「ちょ、ちょっと待て! どうしてあそこで働くことが、コンプレックス克服につながるんだ!? それこそさっぱり意味がわかんないぞ!?」


「だから言ったでしょう? 私の独り言だって。あなたは黙って聞いていなさいな」


そう言って四条さんは肩を竦めた。


「……分かったよ……黙って聞く」


咳払いを一つして、さらに話を進めていく。


「私にだって分からないわ。あなたのコンプレックス克服とあの仕事が、どう関係してくるのかなんて。けれど、私はこうも言われたわ。できるだけあなたに協力するように、と」


協力……。


「その時は、あの人が何を言っているのかはさっぱり理解できなかったわ。でも、今なら多少は分かる気がするの」


もしかしたら……琴乃さんは……。


「きっとあの人は、私にあなたが男だと気づかせたかったのでしょうね。だからこそ、私に協力するようにと言ったのでしょう。その証拠に、実に様々なヒントをもらったわ」


「ヒント?」


「ええ。あなたがいつも更衣室ではなく、トイレで着替えていること。それから、女性の割には随分と胸がないということ。たまに口調が男っぽくなること、などかしらね」


四条さんは、ここまでお膳立てされても僕のことを男だと気づかなかった。挙句の果てには、レズだと勘違いした。やっぱり、四条さんってちょっと抜けてるとこあるよな。


「まさかという思いが捨てきれなかったけれど、ここにきてようやく納得したわ」


「そうかい、そりゃどうも」


四条さんは、「ふふ」と上品に笑う。しかしそれも一瞬のこと。再び険しい顔つきで言う。


「そうは言ってもやはり、あなたが私たちを騙していたことは気にくわない。私はね、渚。こう思うのよ……別に男がメイドやっていようが、かまわない。可愛ければ問題ない、と」


可愛ければ問題ないか。似たような台詞を、どっかの誰かさんにも言われたような気がするな。


「だから……あなたはもう男であることは隠す必要はないわ。確かに、いくら私が気にくわないと思おうが、あなたからしてみればそんな秘密を言えるわけがない。その気持ちも分かる。それなら、今までのことはチャラにして、新しく生まれ変わればいいのよ」


「生まれ……変わる……?」


「そう……生まれ変わる。来栖渚から……来栖渚へと」


「お、おいおい……それじゃあ結局僕は僕のままじゃないか……」


「いいえ、同じではないわ。名前などは意味をもたない。そんなものは記号に過ぎないわ。いい? 大事なのは心よ? あなたは、生きながらにして生まれ変わる。そういうことよ」


生きながらにして生まれ変わる。その言葉は何故か、僕の心を掴んで離さなかった。


「僕に……そんなことができるのか?」


「どうかしら、私には分からないわ」


いじめられた過去。そうして卑屈になった自分。女みたいな顔と声。それらを全てひっくるめて、僕は変わることはできるのだろうか。

そうだな、きっとこれら全てを変えることなどできない。できやしないのだろう。


けど、こうして僕を認めてくれる人だっている。最終的には自分次第ってことなのだろう。別にこのまま変わらなくたっていい。

そうしなければいけない義務なんてない。だけれども、このままの人生を送る、それでいいのだろうか。


今からだって遅くない。今からだって遅くはない。きっとそうだ。初めて琴乃さんと出会った時、僕は琴乃さんに自分にはない強さを感じた。

僕もこうなれればどれだけ幸せだろうか、そう思った。バイトだって拒絶することはできたはずだ。けどそうしなかった。


それはきっと、自分を変えたかった……今の自分を変えたかったからだ。琴乃さんのもとで仕事をする。

そうすることで、僕は何かを変えようとしたんだ。もう答えなど出てる。僕の答えは、こうだ!


「四条さん。僕は決めたよ……」


「そう。答えが出たのね?」


そうだ。僕はもう逃げない。正面から立ち向かってやるさ。


「ああ、僕は生まれ変わる。ぴゅあラブの皆にも、お客さんにも、僕が男だってことを言う。


それで……それで、認めてもらう。四条さんが僕を認めてくれたように、みんなにも認めてもらう……これが、これが僕の答えだ!」

これでいい。これでよかったんだ、きっと。四条さんは、色んな意味にもとれそうな笑みを浮かべながら言う。


「それはよかったわね、あなたにも答えが見つかって」


「あなたにも? ってことは、四条さんにも何か答えが見つかったの?」


「ふふっ、そうかもしれないわ」


七月の暑い日差しを右手で避けながら、四条さんは空を見上げる。つられて僕も、目を細めながら空を睨み付けた。


「そっか。それはよかった、ってやっば! もうこんな時間じゃん!? 急がなきゃ」


少し話過ぎたな。ていうか、気づいたら向坂のやついなくなってるし。いつの間に逃げやがったんだ、まったく。

とにかく急がなくては。そう思って、全力で駆け出そうとする。しかし、後ろから大きな声で呼び止められる。


「待って!」


後ろを振り返れば、そこにはスカートの端をギュッと握りしめ、やや頬を赤らめている四条さんの姿があった。どうしたのだろうか。わざわざ僕を呼び止めたりして。


「どうした? お前も急がないと遅刻するぞ?」


「渚、いえ……先輩?」


先輩だとぉぉぉぉ!? 女子高校生の口から発せられる、先輩、というあまりにも甘美な響きに、僕は思わず頬を赤らめ、その場に立ち止る。


「先輩、私のことは……四条さんではなくて……加奈子かなこと呼んでちょうだい? その……だって私たちは、同じ高校に通う先輩と後輩でしょう? だから……その……そういうことで、いいかしら?」


「お、おう。分かった。加奈子で、いいんだな?」


「も、問題ないわ……」


僕は恥ずかしそうに足をモジモジさせているこの後輩が、愛おしくてしょうがなく思えた。

僕には妹がいるため、正直年下の女の子はみんな妹みたいに思えてしまう。そのため、年下の女の子ってのはずっと恋愛対象外なものだとばかり思っていた。


だが、どうやらそれは僕の間違いだったようだ。大間違いだ。いや、別に加奈子に惚れたとかそういうわけじゃないんだ。

そうじゃなくて、加奈子もなかなかいい女じゃないか、と思っただけだ。


確かに、僕に加奈子と呼ばれたことによって、目を泳がせ、小動物のように身体をビクビクとさせているこの後輩を前にして、純白の肌を真紅に染めているこの後輩を前にして、思わず抱きしめたくなるようなこの後輩を前にして、恋愛感情など皆無だと言うのは大変困難である。


だがしかし。だがしかしだ。恋というものは瞬間的に成立するものではない。時間をかけてゆっくりと実らせていく、いわば果実のようなもの。

その証拠に僕は、汗で少し透けたブラウスから覗かせる、その妖艶な肌を目の当たりにしてもなお、加奈子に愛を告げたりはしていない。

つまるところそういうことだ。


「先輩……?」


はっ! 危ない危ない。少々深く考えすぎていた。

決して加奈子のブラが透けて見えないものかと、ガン見していたわけではないが、どうやら自然と目線がそこにいっていたようだ。

それに気づいた加奈子は、慌てて胸元を隠す。


「ちょっと、先輩っ!? あなたどこを見ているの!?」


「あ、ああっ! 悪い悪い! ちょっとボーっとしててさ」


「まったく……発情期の猿は残して、私は先に行かせてもらうわ」


僕の前へと駆けだす加奈子。まあ、駆けだすと言っても、女の子特有のあの走り方だ。僕はすぐに追いついた。

しばらく加奈子のペースに合わせながら走っていると、注意していなければ聞き逃してしまうほどの小さな声で、加奈子はぽつりと言った。


「これからもよろしく、先輩」


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