新入り、そして妹 その②
「ただいま~」
今日も仕事は大変だった。
けど、思わぬ友人もできた。
まあ、あっちがどう思ってるかは分からないけど。とにかくだな、今日は初めてあの仕事、あの店を、悪くはない、そう思えた。
「あら、なんだか今日は機嫌がいいわね?」
「まあな」
顔にでてたかな。いかんいかん。あんまり腑抜けてもいられない。お袋に問い詰められるのはちょっとな。
そう思って、親父とお袋に帰宅だけ知らせ、僕は自分の部屋に行った。
今日は、夕飯を外食で済ませたので、後は風呂入って寝るだけだ。勉強は……まあ、明日やろう。
どっかの誰かが、明日やろうはバカ野郎、なんて言ってたけど、僕から言わせてもらえばそれでも十分に立派じゃないか、と思う。
世の中には、明日勉強しようとさえ思わないやつだっている。そんなやつに比べれば、勉強しようと思えるだけ立派ってもんよ。
「さて、本でも読むか!」
これからの、夜の自由時間に胸を弾ませ、意気揚々とひとりごちった僕だっだが、扉を開いた瞬間に、そんな僕の幻想は打ちひしがれる。
「……お前……なんでここにいんの?」
お前、というのはもちろん、僕以外の誰かのことで、別に僕は幻覚を見ているわけじゃなく、ちゃんと僕の目の前には人が存在する。
いや……いっそのこと、これは幻覚であったほうが良かったのかもしれない。
はっきり言おう。今僕の部屋には、僕のベッドを我が物顔で占領している妹がいるのだ。
「あ、お帰り」
「『あ、お帰り』じゃねーよ! なんでお前が僕の部屋にいる!? てゆーかベッド荒すな! せっかく朝きれいに整えたのに!」
「いちいち細かいんだから、ほんとに」
「お前が大雑把過ぎるんだよ! この元引きこもりが!」
「うっさい! この女男!」
「うぐっ……お前……それだけはお兄ちゃん傷つくからやめて」
しばらく続いた妹との一悶着を終え、さっそく僕は本題を切り出した。
「それで。なんでここにいんの?」
もうこれで三回目の質問だ。
「逆に聞くけど、あたしがここにいちゃダメなわけ?」
なんで僕が質問してんのに、逆に聞いてきたりするんだよ。まずは僕の質問に答えろよな。
なんてことは言えるわけがないので、きちんと質問に答えてやることにした。
「別にそうは言ってねえよ。お前がここにいるのは……まあ、百歩譲ってやって、かまわない」
僕の言ったことに、妹は少し安堵したような表情を見せる。しかし、それも束の間。妹は僕に微笑みかけた。
これが本当に文字通りの意味で、微笑んでいるのなら、僕は歓迎したさ。けどな、こいつ顔は笑っているが、目が笑ってない。
その上、拳をきつく握っている。凛子さん……人は拳を握りながら笑えない、そうですよね?
このままでは殴られる。僕のお兄ちゃんセンサーがそう言ってる。とりあえず宥めるように優しい声で妹に言った。
「わ、分かった分かった! 少し落ち着け、な?」
「百歩譲って、ねぇ……?」
こいつはそこに怒ってたのか。沸点低すぎだろ。愛しく、か弱く、儚げだった僕の妹は、一体いつからこんな凶暴ツンツン性悪女になってしまったのか。
「その件については謝る。だからさ……その力のこもった両手を、ゆ~くっりパーにしてくれないか?」
なんだか、幼稚園生をあやしている気分だ。
「くっ……子供扱いしないで」
妹は唇を尖らせ、ぷいっ、とそっぽを向く。そういうところが子供っぽいんだけどな。
「はいはい……。それで? 結局なんで僕の部屋にいたの?」
これで四回目。さすがに僕も疲れてきた。妹は相変わらず機嫌が悪そうだったが、これ以上僕と言い争うのは不毛だと思ったのだろう。
僕と目をあわせることなく、静かに言った。
「あんたに、用事があるの」
ようやく本題に入ったか。にしても、用事ってなんだろう。あんまり良い予感はしないが、聞かないわけにもいない。仕方ない……。聞いてみるか。
「用事って何だ?」
僕をチラっと見たが、またすぐに視線は下へと戻る。
「銀ちゃん……覚えてる?」
銀ちゃん? ええと……確か妹の友達のことだよな?
思い出したくもないが、妹と一緒にぴゅあラブで騒いでた、あの子のことだよな。
「ああ、覚えてるぞ。それがどうかしたのか?」
普段の勝気な妹とは打って変わって、今はとても弱ってるように見える。まあ、僕もそんなに鈍感じゃない。
少し考えれば分かることだ。妹が僕に言った、用事とは何のことなのか。
「その銀ちゃんって友達と……喧嘩でもしたのか?」
びくっ、と身体を震わせる。この反応は当たりだな。そして顔を上げて「何で分かったの?」とでも言いたげな表情をしていた。
「僕はお前の兄貴だ。妹の考えてることなんかお見通しってわけ」
そう言うと、妹は一瞬面喰らったような顔してすぐに笑顔で飲み込んだ。
「あっそ。じゃあそんな頼れる兄貴に、頼み事してもいい?」
笑顔の中に時折覗かせる、その不安げな表情を見てもなお手を貸さないほど、僕らの兄妹関係は冷え切っちゃいない。
妹の頼みとあらば、喜んでこの来栖渚、引き受けようぞ!
「銀ちゃんと仲直りしたい……。喧嘩しちゃった銀ちゃんと……あたしは仲直りしたい! けど、どうしていいか……わからなくて。だからお願い! あたしに協力して!」
「ああ、ここは一つ。僕に任せろ!」
決まったな。これで妹の好感度マックス間違いなし。
「まずは、詳しい話を聞かせてくれ」
妹は、「うん」と小さく頷き、両手を胸の前で組んで、苦しそうに言葉を吐き出した。
妹の話をまとめる。僕の妹は、友人の銀ちゃんとやらと、雑談をしていたそうだ。いつもと変わらず、何気ない話をしていた。
そんなやりとりの中で妹は、あることを話題にしたそうだ。その話題というのは、家族のこと。
実は、銀ちゃんにはお父さんがいないそうで、母親の手一つで、ここまで育ててもらったのだと。
そんなことも知らずに、妹は我が家の親父の愚痴、みたいなものをこぼした。内容は、女子中学生なら誰しもが口にするような、よくあるものだった。
僕自身も、妹がどんなことを言ったのかは確認済み。ただ、銀ちゃんからしたら、妹の発言は許されざることだったのかもしれない。
というわけで、妹は銀ちゃんに口をきいてもらえなくなったのだと言う。
妹の話しを聞き終え、お互いに黙り込む。どうするべきか。そんなふうに考え、思考を巡らせていると、妹はこう言った。
「あたしね、はっきり言っちゃえば学校でぼっちなんだ。兄貴のせい、とまでは言わないけど、やっぱり兄貴が原因で色々とあたしも苦労した」
僕が原因。つまり、この前妹が話していた、僕の妹であるが故の女子からの嫉妬。にわかには信じがたい話だが、僕のことを好いている女子によって妹はいじめられた。僕が直接、妹に嫌がらせをしたわけじゃない。それでも、間接的に妹を困らせてしまったのは事実だ。こればかりは、謝っても謝りきれない。
「けど――」
いったん話を中断し、少し落ち込んだ素振りを見せた僕に、妹は優しく微笑みかける。
そして、話を続けた。
「けどね、そんなあたしを救ってくれたのは、銀ちゃんだった。家に引きこもって、学校にしばらく行かなかったら、わざわざあたしの家に来たの」
妹はどこか遠い目をして、視線を上に向ける。その瞳の奥には僕の姿ではなく、きっと友人の姿が映っているのだろう。
「その時、なんて言われたと思う? 銀ちゃん、『あなたを助けに来たよ』って言ったんだよ? ほーんと……いつの時代のヒーローだよ、って感じだよね……」
「はは、そうだな」
「でっしょ~? そんでね、あの当時のあたしに、そんな優しい言葉をかけてくれる人なんていなかったからさ。どうにも気持ちが緩んじゃって……気づいたら泣きながら、銀ちゃんに今までのこと全部、話してたんだよねぇ……」
「いい友達なんだな、銀ちゃんは」
「当然でしょ? それから、あたしの親友を気安く銀ちゃんとか呼ぶな。汚れる」
おいおい。今までの良い雰囲気が台無しだぜ、まったく。
「はいはい、分かったよ。そんで、具体的に僕はどう協力すればいいんだ?」
「どうすればいいか分かんないから、あんたに聞いてんでしょ⁉ そんぐらい自分で考えなさいよ!」
げし、げし、と僕の足を蹴り飛ばしてくる。別に妹の蹴りなんざ痛くも痒くもない。
そう言ってやりたい気持ちで山々だが、どうにも妹は、元引きこもりとは思えないほどのキック力で、僕の足を痛めつけてくる。
だがな、ここでカッコつけなきゃ兄貴が廃る。てなわけで、僕は妹にこう言ってやった。
「お願いします。どうか蹴るのをやめてください」
やっぱり無理だった。
「それで、なんか良いアイデアないの?」
蹴るのをやめた妹は、今度はベッドに思いきりダイブする。だからさあ、それ僕のベッドだってば。寝転がる妹を横目に僕は言った。
「無いことは無い」
「まじで?」
「ああ、まじでだ」
「もったいぶってないで、さっさと教えなさいよ!」
ベッドから上半身だけを起こし、目を輝かせながら僕を見つめてくる。
できれば…こんな方法は試したくないけど、こんなに妹が困ってる手前そうも言ってられない。
意を決した僕は、威勢よく妹に言った。
「僕のメイド喫茶を使おう」
「は?」
「僕の店に銀ちゃんを呼んで、お前と仲直りするようにそれとなく促す。どうだ、完璧だろう?」
妹はキョトンとした顔をする。
「いや、でもさ。あんたがいきなり、あたしと仲直りするように銀ちゃんに言ったら、あんた完全に怪しまれるよ?」
言われてみればそれもそうだな。そんなこと全然考えてなかった。
「ほんと……頭は良い癖に、こういうのはてんでダメだよね、あんたって」
妹は呆れたように僕に言う。いや、もう呆れられてんのか、これ。
「じゃあさ、僕とお前の関係は内緒のままで、銀ちゃんに悩みがないか聞いてみる。それで、銀ちゃんからお前の話題がでたら、後はまあ……流れでどうにか仲直りまでもってくよ」
「銀ちゃんがあんたの店に都合よくやってくるか分かんないよ?」
「その辺も含めて僕に任せろ! これでも、ぴゅあラブ一番人気のメイドだぜ? 僕に不可能などない」
「はぁ」、と一つ溜息をついて、妹は両足をバタバタとさせる。
「そんな上手くいくのかなぁ……」
不安げな妹を横目に、僕は自信たっぷりに言ってやった。
「大丈夫、僕を信じてくれ。とにかく今日はもう寝ろ。作戦は明日決行だ、いいな?」
「はいはい……もう好きにして」
妹には話してないが、僕にはとっておきの秘策がある。まあ、見ていろ。案外あっさり解決するぜ、きっと。