新入り、そして妹 その①
それは突然の出来事だった。
「今日は新入りを紹介するわ」
僕はいつも通りぴゅあラブに出勤し、着替えを済ませ、開店準備をしている最中だった。
そこでいきなり、店長の琴乃さんが従業員に集合をかけて、新入りとやらの紹介を始めた。
別に新入りが入ることなど、到底予測可能な出来事で驚くことはない。ただ、一つだけイレギュラーな事態が発生したのだ。事件は自己紹介で起きた。
「さあ、自己紹介お願い、四条さん」
琴乃さんが、四条さんと呼んだこの人が、件の新入りのようだ。
雰囲気はまさしく良いとこ育ちのお嬢様、って感じで、ヨーロッパの街中に飾られているような美を湛える顔立ちだった。
気になるところをあげるとすれば、髪の毛が銀色なことぐらいか。
とは言ってもまあ、それは悪い意味での気になる、というよりか、いい意味でだろう。
僕の話を聞いた限りでは、なにそれ超美少女じゃん、と思うかもしれない。けどな、そうじゃない。そうじゃないんだ。
確かに見た目は美少女、だがしかし、中身がな。
「私の名前は四条加奈子、烏帽子高校の一年よ。以後お見知りおきを。そうね、先に言っておきましょう。私は、あなた達みたいにこんな風俗紛いな店で働いてる人は、軽蔑して
るわ。だからあまりあなた達とは仲良くしようとは思っていないの。以上」
場の雰囲気が凍りつくとは、まさしくこのこと。僕を含めた従業員みんな、口をポカーンと開けて、呆然としていた。
そんな中で、琴乃さん一人だけがこの四条さんとやらに動じることなく話をする。
「四条さんは家庭の事情っていうか、家が借金まみれでどうしようもないってことでこのお店で働くことになったの。だから、みんなとは意見がぶつかり合うこともあるとは思うけど、どうか仲良くしてやってちょうだい」
家が借金まみれ? そんなこと僕らに言っても大丈夫なのか? 心配になった僕は、四条さんを見た。
しかし、案ずることはなかったようだ。四条さんは、依然として凛とした立ち姿で、僕らを観察するような目つきで見ていた。
これは、俗に言う女王様キャラってやつか。これを教育するのは、骨が折れるぞ、きっと。
教育係に任命されでもしたら、間違いなく骨だけじゃなく心も折れるね。
まっ、所詮は他人事か。どうせ琴乃さんがそれを引き受けるのだろう。
「それじゃあ、渚。あんたこの子の教育よろしく」
「は?」
今こいつ何て言った?
「聞こえなかったの? 四条さんの教育よろしく、そう言ったんだけど?」
嘘だろぉぉぉぉぉ!?
何で僕がやらなきゃならない!?
新人教育は、いつも必ず琴乃さんがやってたじゃないか! それなのに何で? 何で僕が!?
「異論は認めないわ。それじゃ、解散」
周りのみんなを見渡せば、ご愁傷様って顔してるやつもいれば、自分じゃなくてラッキーって顔してるやつもいる。
要するにみんな、他人事なんだ。さっきまでの僕がそうだったように。
「よろしくお願いするわ、渚さん」
「よ、よろしくお願いされました……四条さん……」
「あら、あなた忠誠心がありそうで良いわね。あたしのことは四条さんではなくて、四条様とお呼びなさい?」
無茶苦茶だ……。妹といい、琴乃さんといい、四条さんといい……僕の周りは滅茶苦茶なやつばかりだ。
「かしこまりました、女王様……」
僕が皮肉まじりそう言ったが、まったく意味は通じていないのだろう。
僕が女王様と言ったことで、期待も興味もなく暗然としていた顔が、一気に獲物を前にして舌なめずりするような顔へと変わった。
「ククッ、女王様……。良い響きね。ゾクゾクしてきたわ」
僕は違う意味でゾクゾクしてきた。今すぐまわれ右して帰りたい。
「さあ……私にメイドの極意を教えられるものなら、教えてみなさい!」
なんで上から目線なんだよ。あくまでも、僕が教える側なんだが。
けどまあそんなこと言ったら「黙りなさい、愚民」とか言われかねないので、僕はおとなしくやり過ごすことにした。
「じゃあ……まずは挨拶から。客が来店した時は、お帰りなさいませ。出ていく時は、いってらっしゃいませ、だからな。間違えて、いらっしゃいませ、とか言わないように注意してくれ、いいな?」
「問題ないわ。私はこれでも、その辺の知識はわきまえているの。正直、あなたに教えてもらわなくとも、これといった問題はないのよ。感謝なさい、この私に」
さっぱり意味がわからん。どの辺に僕が感謝する要素があったのだろうか。
「はいはい」
「その投げやりな返事、気に食わないわね。まあ、いいでしょう。それで、これから私はどうすればいいのかしら?」
そうだな。これと言って僕は琴乃さんから指示を出されていない。
もうすぐ開店だし、このまま四条さんに付きっきり、ってわけにもいかないだろう。琴乃さんに聞いてみるか。
「琴乃さんに確認してみるよ。ちょっと待ってて」
「ええ」と四条さんは言って、僕からを視線を外し、直立不動の姿勢を崩すことなくその場で待機した。
こう外見だけ見れば僕好みの清楚なお嬢様ではあるが、中身はSっ気たっぷりの女王様。世の中ってのは、何でこう上手くはいかないのかね。
まあ今はとにかく、琴乃さんに早く聞きに行こう。このまま長く待たせていたら、四条さんに文句を言われかねない。
そう思った僕は、足早に店の奥へと歩いて行った。
「琴乃さん、今大丈夫ですか?」
いつものように、僕たちメイドが懸命に働くのとは裏腹に、店の奥でコーヒー片手に呑気に雑誌を読んでいる琴乃さん。
そんないかにも暇そうにしている琴乃さんではあったが、念のために話しかけても平気か確認するのであった。
「見て分からない?」
いや、暇してるのは分かる。けど、僕なりに気をつかってあげたんだが。
さすがに「今暇ですよね?」なんて聞くのは憚れる。それなのに、どうしてこの人はこうも高圧的な態度なのか。
「はあ……」
僕の口から思わずため息が漏れる。
「それで、何か用?」
左手に持っていたコーヒーを置いて、いかにも機嫌が悪そうに足を組み直し、琴乃さんはそう言った。
「四条さん、この後どうしますか? 僕も仕事がありますし、四条さんの面倒をずっと見ているわけにもいきませんから。とりあえず今日は、僕の仕事ぶりを見てもらうってことで、いいですかね?」
当然「それでいいわ」と、言われるものだと思っていた。しかし、意外な一言を投げかけられる。
「だめ」
は? だめ? だめって何が? 僕は困惑する。
「え、ええと……じゃあ、どうすればいいですか?」
琴乃さんは髪を掻き上げて、訝しげな顔をした。
「あんたの目は節穴?」
「すいません。意味が分かりません」
「はぁ……。あのねぇ……あの子は本物のメイドなのよ?」
本物の……メイド?
「四条家と言えば代々、数多くの優秀なメイドや執事を生み出してきたこの辺じゃ有名な家柄よ? 聞いたことないの? あの家に生まれた限り、みな仕える者として鍛えられ、家来として一生を終えるのよ?」
驚いたな……。生まれた瞬間から女はメイド、男は執事。それが決まっている。そんなしきたりに、いまだに縛れている人がいるなんて。
「そ、それじゃあ……四条さんも……そう、なんですよね?」
「そういうこと」
「あ、でも……なんでそれならこのお店に――」
そこまで言いかけて思い出した。初めの自己紹介で、四条さんの家は借金まみれだ、という話を聞いたことを。
「あんまり詳しい話は聞いてないわ。けどね……どうも、四条さんのお父さんは執事をやめて遊びほうけて、借金を踏み倒しちゃったみたいなの。それで、四条家の信用はガタ落ち。まき沿いをくらった四条家は、そのまま全員一斉解雇ときたもんよ。ほんと、現実でこんなことが起きるなんて、笑えないわよね、ふふ」
おいおい、その親父とんでもない屑野郎じゃねえか。しかも笑えないとか言ってるくせに、ちょっと笑ってるし。
人の不幸は蜜の味ってか。そいつはいよいよもって、笑えない。
「それで、お金に困ってる四条さんを琴乃さんは助けてあげたってことですか?」
琴乃さんは頬杖をついて、気怠そうに言った。
「別に。生憎ながら、私はそんなできた人間じゃないわ。たまたま目についたから、たまたま雇った、それだけの話よ」
そう言って、読みかけだった雑誌をめくり、これ以上は話そうとしなかった。
「じゃあ早速、四条さんには仕事をやってもらいますね。それでいいですよね?」
雑誌に目を通したまま、右手をふらふらとさせる。恐らくこれは、オーケーということだろう。
ほんとに不精な人だ。たった一言なんだから、それぐらい口で言えばいいものを。
けどまあ少しは琴乃さんを見直した。案外この人にも、いいとこあるのかもしれない。
「四条さん、今日から仕事に入っていいってさ。よろしく頼むな」
僕は琴乃さんとの話を終えて、四条さんのもとへと戻って行った。
あんな話を聞いた後じゃ、どうにも四条さんの力になってあげたい、そう思ってしまう。
とは言っても、僕が同情してると分かれば四条さんはきっと機嫌を損ねるだろう。だからあえて、僕からは何もしない。
何か相談を持ち掛けられたりでもしたら、その時こそ力になってあげるべきだろう。
「そういうことであれば、今日から精一杯ご奉仕させてもらうわ。こちらこそよろしく、渚。それと、くれぐれも私の足を引っ張らないように」
このふてぶてしい態度は変わらない。それなのに、どうして僕は親近感を覚えているのか。まあいい。
別に悪いことじゃないしな。はは、なんだか笑えてきたぜ。
「なにをニタニタと、気持ちの悪い笑みを浮かべているの? 不愉快よ」
「んなことねえよ、別に笑ってないし」
「それは嘘。だって、今もまだあなたは笑っているじゃない。何を考えているのかしら? 言ってごらんなさい」
「四条さんみたいな人は、そんなに嫌いじゃないな、って思てさ」
すると四条さんは、雪のように白い肌に紅葉を散らし、前髪をいじりながら弱弱しい声で言う。
「ふ、ふん……。別にあなたに褒めてもらったところで、嬉しくなんかないわ」
そう言ってはいるものの、四条さんは頬をぴくぴくと痙攣させ、今にもにやけてしまいそうだ。
とまあ、こうして僕と四条さんは、わずかながらも親しくなったのであった。