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妹は引きこもり その②

「僕のハート、あなたのお口にと~~~どけ! はい、あ~ん」


学校から帰ったら即出勤。着たくもないメイド服を着て、やりたくもないことをやらされる。

逃げ出したら社会的死亡、やり遂げても精神的死亡が待ち受けているというまさしく板挟みな状況。


さあ、君たちならどちらの死を選ぶ。あ、ちなみに僕は、僕っ子として売り出してる。

流石にあたし、などと女っぽく話すのは抵抗感あるからな。

席は順調に埋まって行って、今日もぴゅあラブは大忙しだ。


ここでまたまた、カランカランと客の来店を知らせるベルが鳴り響き、僕たちメイドは一斉に出迎える。

どんなに忙しくとも、客が来れば僕らはすぐに駆けつける。


「「お帰りなさいませ、ご主人様!」」


深々とお辞儀をしてチラッと顔を見ると、そこにはどこかの学校の制服を着た、まだ中学生くらいの女の子が立っていた。

垢抜けてはいないけれど、素朴な感じが男性ウケしそうだ。それにしても、この子は客?だろうか。

今までにも女性客はいたけれど、ここまで若い人は見たことない。


「あれ、凛子ちゃんがいなくなってる!?」


凛子? その単語が嫌に頭に張りついていく。まさかな。


そんなことより、この少女は来店したのになかなか店に入ろうとしない。

さっきから、店の入り口でチラチラと後ろを気にしてばかりいる。


「ご主人様? どうかなさいましたか?」


見かねた僕は、とりあえず店に入れという意味をこめて少女にそれとなく促す。


「はうっ!? 超絶美少女!? やっべえ! まじやっべえ!」


な、なんだこいつは? 新手の嫌がらせ?

恐らく僕はもの凄く当惑していたのだろう。そんな僕を見て我に返ったのか、少女はまた普通のテンションに戻って話し出す。


「あ、ごめんなさい! 友達と一緒に来てたんですけど、どっかいっちゃいました! すぐ探して戻ってきます!」


「は、はい……い、行ってらっしゃいませ、ご主人様」


わけの分からない客だったな。その場で硬直していた他のメイドに指示を出し、僕らは再び接客へと向かう。


ドタバタと少女が去って行ってから、約五分。

またしても少女のご来店だ。


「さあ、この店で一番人気の渚ちゃんを指名させてもらおうかぁぁぁぁぁ!」


ドン、とあまりにも勢いよく扉を開けるもんだから、ベルは吹っ飛び”チン”というあと一歩で卑猥になってしまう音が申し訳程度に鳴った。


周りの客もメイドも「うわ、また来たよ」と言いたげな表情を浮かべている。

それが普通の反応だし、僕もそうするはずだった。

けど、この豪快な少女が連れてきたもう一人の少女を目にした僕は、思わず口を半開きにしたまま数秒間完全に固まってしまった。


「えーと、えーと……それで、噂の渚ちゃんというのはどなたのことでしょうか?」


自分の名前を呼ばれてもなお、僕は呆気にとられていた。

周りのメイドに「渚さん、なんか指名されてますよ?」とヒソヒソ声で教えられてようやく意識を取り戻すのであった。


「あ、はい……僕が渚です」


やっべぇぇぇぇ! 気が動転して、めちゃくちゃ普通に喋っちまった!

大丈夫だよな? まさか今ので男だってばれたりしないよな?


「うっひょぉぉぉぉぉ! まさかの僕っ子!? やばい、やばいやばいやばい! うあぁぁぁぁぁ!」


よかった、ばれてないみたい。それと、この人もの凄く怖い。

救いを求めるわけではないが、この恐ろしい少女の後ろでちょこんと立っているもう一人の少女に視線を送る。だがしかし


「な、な、渚ちゃぁぁぁぁん! かっわいいよ~う……うへへへへ……」


お前もかよぉぉぉぉ! 


最近の中学生はみんなこんな感じなのか!? 違うよな!? 違うと言ってくれ! 頼むから!

だって、だって自分の妹がこんな変態だったなんて思いたくないだろ!?


プールの塩素で色落ちした、その茶っこくて長い髪。

えくぼは恋の落とし穴と言わんばかりに、笑った時にできるその愛くるしいえくぼ。

そしてある種病的なほどに青白く、だが透明感があって思わず触ってみたくなるほどのその綺麗な肌。


間違いない……こいつは間違いなく僕の妹の凛子だ。何がどうなってる?

だってこいつは、引きこもってるんじゃなかったのか?

だうたい、なんで兄である僕の顔を見てもなんの反応も無いんだ?


いや、反応はあったことはあったけど……僕の妹はあんな変態チックな喋り方じゃなかったはずだ。

きっとこれはなにか悪い幻に違いない。こいつは妹ではない、幻だ。

いつも通りに接客しよう。こいつは妹じゃない、こいつは妹じゃない。


よし、なんか落ち着いて来たぜ。


「は~いぴゅあラブナンバーワンメイドの渚ですっ! 今日も一生懸命ご主人様のお世話をさせていただきますねっ? それではご案内致しま~す」


僕の一撃必殺営業スマイルに衝撃をうけたのか、二人の少女は口元をだらしなく開けていた。


「うへへへへぇ……」


「凛子ちゃん! このメイド喫茶、ヘビロテ間違いなしですね!」


僕の身体中を舐めまわすような、ぬるい視線をどうにか潜り抜け、二人の少女を席に案内する。

この店ぴゅあラブではメイド指名制度があり、指名されたメイドは付きっきりでその指名主の接客をしなければならない。


まあ追加料金とか発生しちゃうけどね。

そして、非常に残念なことに、この二人の変態に指名されてしまった以上僕は相手しなければならないのだ。


「メニューをお持ちしました。呼び方のオーダーはどうしますかっ?」


「うちはお姉ちゃんって呼んで欲しいです!」


鼻息をふんふん鳴らしてそう言ったのは、最初に入って来た騒がしい少女であった。


「かしこまりました、お姉ちゃんっ!」


「あたしは、お兄ちゃんって呼んで欲しいかな」


おいおい、よりにもよってお兄ちゃんかよ。ただでさえ妹に似ててやりずらいってのに。

お兄ちゃんと呼べと? これはもう嫌がらせ他ならない。


「かしこまりました、お兄ちゃんっ!」


とは言っても、やるしかないよな。今日一日でこの仕事が完全に嫌いになったわ。


「それでは、ご注文が決まりましたら渚ちゃ~んって呼んでくださいねっ?」


そう言って僕は、その場を足早に立ち去ろうとした。

しかし、この二人のやりとりを前にして、僕は今日で二度目の活動停止をしてしまう。


「銀ちゃん……あたしもう鼻血でそう……渚ちゃんが可愛過ぎて、鼻血でそう……」


「凛子ちゃん! こんなとこでくたばるわけにはいかないんだよ!? だってまだ、あ~ん、もやってもらってないんだよ!? 頑張らなくちゃ凛子ちゃん!」


なんで女なのに女に興奮してるわけ? さっぱり分からん。

そうして二人に恐れおののいていると、琴乃さんからフォローが入る。


「こら、渚? なにボーっとしてんの?」


「はっ、すいません……ちょっと意識が……」


「いいからとっとと戻りなさい」


「はい……」


琴乃さんと小声でやり取りして、僕はどうにか正気を保った。


ほどなくして二人からメイド特性オムライスの注文が入る。

まあこんなものは、はっきり言ってしまえばレトルトなわけだ。

料理のできない僕でもちょちょいのちょいさ。

その上値段は900円ときたもんだ。要するに詐欺です、こんなもの。


「お待たせしました、お姉ちゃんお兄ちゃん。渚の愛情た~っぷりのオムライスですっ」


出来立てのオムライスを、ゆっくりと二人の前に置く。

内心では「おらさっさと食って帰れ」と僕は思ってるわけだ。


しかしこれはあくまでも営業である。

だからこうして最大限の作り笑いをかましてやったのさ。


「渚ちゃんの愛情たっぷり!? そりゃもう貪り食べるしかないね!」


なんてはしたない。女子中学生が使うような言葉じゃないだろ、貪り食べるなんて。


「食べ終わった食器も舐めまわしたいぐらいだねっ!」


お前もかよ!? こんなやつらより僕のほうが女子力高いんじゃないだろうか。

そうして僕が悶々としていると、ツンツンと腹をつつかれた。


「でさでさ、渚ちゃんってどこの高校通ってるの?」


お前は男子高校生かっての。店員にナンパすんじゃねえよ、まったく。


「お姉ちゃんごめんね。それは秘密だよっ?」


これこそ営業スマイルならぬ、メイドスマイル。

例えどんな客を相手にしてもその笑顔が崩れることはない。

そう、まさしく鉄の仮面を被るが如きこの笑顔。破れるものか、お前らなんざ若造二人に。


「なんとなくなんだけど、あたしのお兄ちゃんに雰囲気似てるんだよね、渚ちゃんって」


胃が焼けるような焦燥を感じた僕は、一瞬ではあったけれど少し笑顔に陰りを見せてしまう。


まさかこうも容易く破られるとは……。


必死に焦りの表情を隠しながら、どうにか僕は答える。


「そ、そうなんですか? それは凄く光栄なことですね……」


お兄ちゃんに雰囲気が似てるだと?

僕はいまだにまさかな、という思いが捨てきれずにいた。


「へぇ~。凛子ちゃんのお兄ちゃんって、名前なんて言うの?」


僕はメイドらしからぬ真顔のまま思わず息を呑み、その返答を静かに待った。


「渚だよ? 名前が一緒だったからつい変なこと言っちゃった。ごめんね渚ちゃん?」


「いえいえとんでもないです……」


その後、どういう接客をしたかは覚えてない。頭が真っ白になっていた。

きっとその後はただ、機械的に仕事をやり遂げたのだろう。


「お先に失礼します」


そう一言、店長の琴乃さんに告げ、焦りと疑問とを抱えたまま帰宅した。


「あら、お帰り」


帰宅して早々、ちょうどリビングからお袋がでてきた。今日のあの一件をもって、あの二人の少女のうちの一人が僕の妹だと確信した。

最初こそ、ただの似た人で済ませられたかもしれないが、妹のあの”僕と名前が一緒”という発言で、そうはいかなくなってしまった。


引きこもりのはずの妹が何故あんなところにいたのか。

いや、内容はどうであれ、あんなに元気そうに友達とはしゃいでる妹を目の当たりにして、引きこもっている理由を聞かないわけにはいかなかった。


「お袋。凛子は部屋にいる?」


「いるけど、どうしたの? そんな怖い顔しちゃって?」


「凛子は、ほんとに男性恐怖症なのか?」


店員はみな女性だが、あんなに男ばかりが集うメイド喫茶で、男性恐怖症の妹が平然としてられるわけがない。

妹のすぐ後ろの席には男性が座っていた。それでも、特に気にする素振りも見せずに、友達とはしゃぎ合っていたじゃないか。


「いきなり何を言い出すのかと思えば。なんで今さらそんなこと私に聞くのかしら?」


「う……」


言えない……僕のバイト先のメイド喫茶で、男性恐怖症とは思えない様子の妹を見たなんて。


「根拠もないのに嘘だと決めつけるのは良くないわ。あなたらしくないわよ?」


根拠ならある。なのに言い出せない。それが悔しくて、奥歯をギリギリと噛みしめる。

いやそうだな。ここは一つ、メイド喫茶のことは黙っておいて、普通に街で妹を見かけた、という体で話をしてみよう。


「お袋、実はさ、街中で凛子を見かけたんだよ。あいつ女友達と楽しそうに話してやがった。でもさ、男性恐怖症だってんなら、街を歩くだけでも一苦労なんじゃないか?それなのに、男を気にするような素振りはなかった。これはどういうことだ?」


見かけたのはメイド喫茶だけど、まあこの嘘にお袋が気づくとは思えない。

お袋は、少し何かを考えてるような顔をして、それからすぐに僕に言った。


「あんたの言いたいことは分かったわ。確かに、凛子のことを疑う根拠もあるみたいだしね。けどね、男が怖い、って本人が言ってる限りは、あたしたちはそれを信じてあげることしかできないのよ。例えそれが嘘であっても、嘘をつく何かしらの理由があるんだろうからね。とにかく、凛子が自分から話してくれない限りはそっとしておいてあげたほうがいいわ」


お袋は、口では納得しているかのように言っている。けど心の奥ではどうなんだろうか。

本当に、このままでいい、そう思っているのだろうか。違う。きっとそうは思ってない。こんなに苦しそうな顔してるのに納得しているわけがない。


「お袋……」


お袋の表情を見れば、今までどんなに悩んできたか容易にうかがえる。そんなお袋を前にしてもなお、僕は何もしてあげられることがないのか?


「お父さんも私と同意見だわ。凛子に任せましょう……」


お袋は力なく言うと、そのままリビングへと戻って行った。

凛子に任せる? そうした結果がこのざまじゃないか。いつまで経っても僕や親父と話そうとはしない。しかも、顔も見せやしない。

確かに親父もお袋も、妹のために色々と手を尽くしたのは分かる。それでもなお妹は変わろうとはしない。

何がダメなんだ? 何故妹は引きこもったままなんだ?


そんなことはすぐに分かりそうなものだ。それなのに今の今まで気づかなかった。僕はとんでもない馬鹿だ。大馬鹿者だ。

なんで僕は妹にもっと、歩み寄ってやろうとしなかった。初めて、妹が引きこもりになった、と聞いてもなお僕は親父やお袋に任せっぱなしで、まるで自分には関係ないかのような態度をとった。

だけどそれはもうやめよう。親では踏み込めない領域にも、兄の僕なら踏み込めるじゃないか。


それなのに僕はそうしなかった。理由は単純だ。

恵まれた環境にいるのに、引きこもりなどに成り下がって、自分の人生を棒に振ろうとしている、そんな妹に心底腹が立ってしまったのだ。


前にも言ったが、僕は小学校六年間、散々いじめられてきた。それでも登校拒否になんかならなかった。

いじめを耐え抜いた。私立中学に進学する時も、都内一の名門中学に入ることを条件として自らに課し、必死に勉強した。

別にそれが両親への恩返しだと思ってはないが、少なからず両親は僕の努力を認めてくれていた。


じゃあ妹はどうだ。中学受験をやめ公立へと通い、しかも、いじめられたのかどうかは分からないが、進学と同時に引きこもりになった。

今では、妹の大好きだった水泳すらもやめている。


何もかも中途半端なことしやがって……。


今さら兄貴面すんな、そう言われても仕方ない。

けど、今妹に歩み寄ってやらなければもう一生このままになってしまうかもしれない。今しかないんだ。今しか。


意を決した僕は、何の迷いもなく三階へと上る。昨日までは、この階段を上るのもどことなく苦痛だったが今日は違う。

右足、左足ともに、上れ、上れ、と叫んでいる。さあ、もう妹は目の前だ。扉を開けばすぐそこにいる。

コン、コン。軽くて高い音が広がっていく。


「凛子、大事な話がある。開けてくれ」


「……」


やはり返答はない。が、諦めるわけにはいかない。もう一度、扉越しに話しかける。


「お前、今日は学校行ったのか?」


「……」


回りくどいのはやめるか。


「今日メイド喫茶行っただろ? そこ僕のバイト先なんだ」


ガタッ、と椅子から立ち上がるような音が聞こえる。驚くのも無理はないよな。従業員は女しかいないはずのお店で、てゆうか、メイド喫茶で、自分の兄がバイトしてるなんて言ってきたら衝撃だ。


「久々にお前の顔見たけど、元気そうじゃねーか。友達と一緒だったし、なにより引きこもりとは思えないほどはしゃいでたし」


まだ何も答える気はないらしい。


「お前たちが指名したメイド、ああ、渚ちゃんのことだけど、あれは僕だ」


さすがに鈍い妹でもここまで言えば理解しただろう。この状況を。


「何で僕が女装して、メイド喫茶でバイトしてるのかは――まあ、諸事情があってだな。……とにかく、そろそろこの扉を開けてくれないか?」


「……」


困ったな、まったく動くような気配がない。扉には鍵がかかってるからどうしようもできない。妹が自主的に開けてくれない限り、部屋に入る手段がない。

もうしばらく話しかけてみよう。


「悪かったな……その……ちゃんとお前に歩み寄ろうとしなくて……」


きっと妹は僕の詫びなんか期待していない。待っているのは、この言葉だろう。


「けどな、甘えんじゃねえ……何もかも人のせいにすれば済むとでも思ってんのか? そうやって自分の殻に閉じこもってれば……自分は傷つかなくて済むって思ってんのか……? 違うだろ!? いい加減目をさませ! お前が僕や親父と口を利かない理由なんざ分かんねーよ! けどな、そうやって引きこもって何か変わったか……? 周りは? 自分は? 変わったことはあるか? 何も変わりやしねえだろ? 自分が変わんなきゃ何も変わらない。そうだろ……?」


扉に向かって何か物を投げつけている。扉は閉まっているのだから、僕にそれは届くことなどない。

そんなこと分かってはいるのだろうが、きっと感情が昂ぶって物に八つ当たりするしかないのだろう。


「……うるさい」


小さな声がひっそりと聞こえる。


「……あたしのこと……何も知らない癖に……」


「ああ」


「お兄ちゃんなんかと……話したくなんかない……」


「また逃げるのか?」


「逃げてない……あたしはいつだって、逃げてなんかない……」


「じゃあ何で僕や親父と話さない? 何で毎日学校に行かない? 答えてみろ」


「それは……」


言葉に詰まっている。別に僕は妹をイジメてやろうなんて思ってない。ただ本心が聞きたいだけだ。


「お前、男性恐怖症ってのは嘘なんじゃないか?」


やはりこれがよく分からない。どうしてもそうは見えないのだ。


「嘘じゃない……もん……」


「メイド喫茶に来た時、店中男だらけだったけどあれはどう説明するんだ?」


「うぐ……」


すぐに言葉が出てこないのは嘘ついてるからなんだろう。顔を見たわけじゃないが、今妹がどんな表情を浮かべているかすぐに想像がつく。

昔からの癖で困ったときはいつも口を右手で覆う。きっと今もそうしてることだろう。


「あの友達とは仲いいのか?」


このまま追及しても埒が明かないので、いったん話を変えることにした。


「うん……」


「名前は?」


僕とこのまま会話を続けるべきか戸惑ったのだろう、少しの間をあけて、僕の問いに答える。


「……銀ちゃん……」


「そうか。その銀ちゃんっていう友達がいるのに、なんで毎日学校行かないんだ? 店で見た感じ、親友みたいだったけど……。友達がいないから、学校に行かないってんならまだ理解できる。けど、そうじゃないんだろ?」


「それは……」と、また言い淀んで、何かを考えているのか


完全に妹は沈黙した。仕方がない、僕の話でもするか。


「僕がさ、なんでメイド喫茶で働いてるか知りたい?」


「……うん……」


僕はあの時のことを振り返り、少しずつ話をしていく。


「スカウトされたんだよ。あの店の店長に。ああ……もちろん僕は断ったぞ? けど、あの店長が聞かなくってさ……。言いくるめられて、気づいたらメイド服着て、あそこでバイトしてたんだ、僕は」


扉の前で腰を下ろし、そして扉にゆっくりと背中を預ける。


「不思議なことにさ……誰も僕が男だって気づかないんだよ。知らないうちに人気ナンバーワンになってて、その上メイド長にも指名されちゃってさ……ほんと、世の中めちゃくちゃだ」


後ろからクスッ、と小さな笑い声が聞こえる。


「ガキの頃……この女顔、女声が原因で、僕がいじめられてたの知ってるよな?」


「……うん……」


「やっぱ今も、この二つはコンプレックスなんだ。だけど……たまにこう思ったりもする。このコンプレックスのおかげで、普通の人じゃ味わえない人生を送れてる、ってな」


「……それは、いい意味で、ですか?」


妹の口ぶりからは、もう僕への怒りなどは感じられなかった。


「両方だよ。いい意味でもあるし、悪い意味でもある」


「そう……ですか……」


「あ、でもこれだけは勘違いすんなよ? 僕は一切、女装には興味ないからな」


「その割には……随分イキイキとメイド服着て、働いてましたけどね?」


痛いところをつかれた。


「その言い草だと、まるで僕が女装趣味の変態兄貴、とでも言いたそうだな……」


「そこまでは……思ってませんよ」


そこまで? じゃあ、どこまで思ってるの、と聞きたい気持ちで山々だったが、もしここでとんでもないこと言われたらしばらく立ち直れない気がしたので、聞くのをやめておいた。


「やっぱり……お兄ちゃんには敵いません」


「へっ?」


唐突に、予期せぬことを言われたので、思わず情けない声を出してしまう。


「昔からそうでした……。お兄ちゃんはいつも、あたしより、何十歩も先にいるんです」


「そ、そうか?」


「そうです。追いかけても追いかけても、あたしじゃ決して追いつかない。あたしにとって、お兄ちゃんの存在は、憧れであるとともにコンプレックスでもありました」


妹にとって僕の存在はそんなに複雑なものだったのだろうか。妹は休むことなく、さらに話を続けていく。


「あたしが中学受験をやめたのは、お兄ちゃんのせいなんですよ? どんなに一生懸命勉強しても、いっこうにお兄ちゃんみたいに頭が良くならない。それを見かねたお父さんは、あたしに受験するな、って言ってきたんだから……」


初めて聞いた。親父が妹にそんなことを言ったってこと。親父の言いたいことは分かる。

けど、たかだか小学校六年生の女の子にそんなこと言ったら、見捨てられたと思ってしまうんじゃないだろうか。


「あと……あたしが学校に行かない理由……言ったほうがいい?」


会話の途切れ途切れで、敬語になったり、ため口になったりする。恐らく、僕との距離感が、まだいまいち分からないのだろう。

なにせ、こうしてまともに話すのも三年ぶりぐらいだからな。


とりあえず僕は妹が学校へ行かない理由を聞くべく、いまだ姿を見せない後ろの妹へと返事をした。


「ああ、知らないな。ちゃんとあるのか、理由が?」


「あるよ。簡単に言えば嫉妬、かな?」


「嫉妬? どういうことだ?」


「あたしに対する嫉妬だよ……」


妹に対する嫉妬が原因で、妹は学校に行かなくなった。これは、要するにイジメってことだろうか。


「恋愛トラブルとか?」


「近い……かな……」


さっきからやたらと歯切れの悪い言葉ばかり。しばらく黙って、妹の口からハッキリとした理由を聞くのを待つことにした。


「……」


「……わからない?」


なんで僕が分かると思ったんだ。分かるわけがないだろ、どう考えても。


「なあ……そろそろ話してくれよ? 僕にはよく分からない」


「そっ……か……」


ふぅ、と深呼吸するのが聞こえる。


「あたしが……来栖渚の妹、来栖凛子だから……妬まれたんだよ?」


はあ? なんでお前が僕の妹だからって妬まれなきゃならない? 理屈が分からん。


「やっぱり……お兄ちゃんは鈍感なんですね……」


「いやいや……僕にも分かるように説明してくれ……」


そう僕が言うと妹は、わずかながら先ほどよりも声を荒げて言う。


「お兄ちゃんさ、小学校の時、お兄ちゃんのファンクラブあったの知らないでしょ?」


「ふぁ、ファンクラブ!? そんなの初耳だ……」


「やっぱり」そう言ってから、こちらの様子を知ってから知らずか、さらなる爆弾発言を投下していく。


「他の小学校にも、お兄ちゃんのファンクラブの会員いたぐらいだもん。すごかったよ、ほんとに」


おお……そいつは凄いな……。


「想像してみて……そんな人気者のお兄ちゃんの妹がどんな扱いを受けるか」


「人気者なわけあるか! だって僕は、小学校六年間、いじめられてたんだぞ!? それをどっからどう見たら、人気者になるってんだよ!?」


「だからお兄ちゃんは鈍感だって言ってるの! 思い出してみてよ。お兄ちゃんは男子にしかいじめられてないんじゃない? つまりはそういうこと」


ま、まさか……僕がいじめられてたのは……男子による嫉妬?


確かに言われてみれば、女子からいじめられたことは一度もなかったな……。


「理解した……?」


「恐らく……」


「で……?」


やたらと機嫌の悪そうな声色の妹。こいつ……こんなおっかないやつだったっけ?


「で、とはなんでしょうか……?」


対面してるわけじゃないのに、妹の気迫に負けて、情けなくも敬語になってしまった。


「あ・た・しの気持ちが分かったかってこと?」


「あ、ああ。その……お前も色々苦労したんだなぁって」


「まったくよ。中学に進学して、ようやく解放されたと思った。けど、結局何も変わらなかった。あんたのせいで、学校に行けば学年問わず、あんたの写真撮ってこいとか、今すぐあんたと絶縁しろ、とか言われて、散々な目にあったんだから……」


あ……あんた……? 僕はとうとう、お兄ちゃんからあんたに格下げなのか……?


「それが……学校に行かなくなった理由?」


「ご名答」


おいおい。これ完全に僕のせいじゃん。甘えてんじゃねえ! とかカッコつけて叫んでしまった自分がとても恥ずかしい……。

妹からしたら、お前のせいじゃねーか! って思ってたわけだ。ああ、なんだか申し訳ない。


「ええっと……凛子? その……なんだ、悪かった……お前のこと何も知らなくて」


ここは潔く謝ろう。今度は僕が引きこもりになってしまいそうだ。


「けどさ、なんで男性恐怖症なんて嘘ついたんだ……? お前が学校行かない理由はよく分かった。けど、嘘ついた理由はいまいちピンとこない。教えてくれないか?」


「それは……」


今までの威勢の良さは嘘みたいに、今度はか細い声で、一生懸命何かを言おうとしている。


「それは?」


「そ……そ……それ……は」


「早く言えよ」


しびれを切らした。さすがの僕も。


「べ、別になんだっていいでしょ?」


いや、なんだってよくはない。けど、男性恐怖症が嘘だ、ということが分かっただけでも十分だろう。

だって、嘘だということは今後は親父や僕と話せる、ということなのだから。これにて一件落着かな。


「それでさ、一体いつになったらお前その部屋から出てくるわけ?」


「はあ? なんで部屋から出なきゃいけないわけ?」


「……いや……別にいいけどさ……」


口調がいきなり、いまどきの女子中学生みたいになりやがった。


「そんなにあたしの顔が見たいんだ? きも、まじドン引き」


こいつは本当に僕の妹なのだろうか。僕の妹がこんなにうざいわけがない。


「まあ……久々に顔見てちゃんと話したいかな、って思ってさ」


しばしの沈黙。そして。


「ふっ、ふ~ん。まあ、そんなに見たいって言うなら、ま、まあ見せてあげないこともないけど?」


「ああ、頼む」


この上から目線は非情に腹立たしいし、別にこんなこと言われてまで妹を見たいわけじゃない。

けど、もしここで「ああ? お前の顔なんざ見たかねーよ」なんて言おうものなら今度こそ完全に兄妹としての絆が消失してしまう。

そこでここは、兄である僕が腰を低くし、妹を担ぎ上げてやったというわけだ。


「ちょ、ちょっと待ってて」


そう言うと、何やら奥の方へドタバタと騒がしく駆けていった。外からでは何をしているか見当がつかない。

僕はただ立ち上がって、扉が開かれるのを待つしかなかった。

もしかして着替えてるのか? そんなことを考えながら、しばらくすると、ほんの少しだけ扉が開いた。


「お、お待たせ……」


「あ、ああ。こちらこそ」


意味不明な返答をしてしまったことは気にせず、ようやく出てきた制服姿の妹をジッと見つめる。

制服のままってことは、着替えてたわけじゃなさそうだな。にしても――


「やっぱり、変わってないな」


旧友に再会したかのようなコメントをする。家の中で一緒に暮らしていたとはいえ、もう三年近くも、家で妹の顔を見ることはなかったのだ。

なんだか感慨深いものがある。


「そりゃそうでしょ。あたしはあたしなんだから」


妹は得意げな顔をして、バンッ、と中学生にしては、大きめな胸に手を当てた。

どことなくその表情にはあどけなさがあり、懐かしい感情がこみあげてくる。しかしここは、しっかりとけじめをつけなければ。

あと少しで頬の筋肉が緩みそうになるのを、なんとか堪えて僕は神妙な面構えをする。


「凛子、僕はお前の兄貴失格だ。お前の悩みに気づいてやれないどころか、勝手に勘違いしてお前に腹を立てた。自分でも情けないと思う……ごめんな……。けど、こうして今、ちゃんとお前と向き合って話して、一つ分かったことがある」


思わぬ僕のまじめな物言いに、大きな目をキョトンとさせて次の言葉を待っている。


「お前の兄貴でよかったよ」


そう言ったものの、恥ずかしさから鼻のてっぺんを右手で擦ってしまう。

妹の様子を横目でうかがえば、そこには頬を紅潮させ両手を後ろで組み、俯いて恥じらう姿があった。そうして妹は、目線は下のままで僕にこう言ったのだ。


「あたしはほんと、あんたが兄貴で迷惑してる。けど……けど……あんたが兄貴でよかったな、って思う時も、たまにはある……かも……」


いつからこんなに素直じゃなくなったんだか。昔はもっとストレートに物事を言うやつだったのにな。

けどまあ、こんな妹を前にして、僕はこう思った。こういう妹も悪くない、ってな。これにて妹は、晴れて引きこもり卒業となったのであった。


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