番外編 死闘は温泉旅行と共に
お久しぶりです。なんとなーく、渚たちに会いたくなったので、書いてみました。
「ねえ、兄貴ぃ……」
僕の身体に乗っかって、凛子はまじまじと目をあわせてくる。
少し動いただけで、ベッドは軋み、なんとも言えない雰囲気が漂う。
「ま、まあ落ち着け。な? とりあえず電気をつけて――」
僕の唇にそっと人差し指を添えると、凛子はくすりと、微笑する。
「だめ。このまま、動かないで……」
顔をぐっと近づけて、凛子の口が、僕の口に重なりそうになった。
しかし、まあ、『重なりそうになった』などと表現していることから、実際にはそうならなかったのだと、予測がつくと思う。
そうだな……結論を述べると、とある闖入者によって、凛子の奇行は防止できたわけだ。
「ちょっと……? あなたたち、何をしているのかしら……?」
かちりと電気のスイッチを押し、声の主は姿を見せる。
突然の光に目を細め、僕は言った。
「た、助かった……ありがとな、加奈子」
まだ乾き切っていない髪の毛を、一回、二回と手櫛をして、それから、浴衣姿の加奈子は、偉そうに腕組みをした。
「助かった、じゃないわよ、まったく。さっさと凛子から離れなさいな」
「離れなさいっていうか……こいつが勝手に部屋に忍び込んできて、それで乗っかってきて……だから、それを言うなら、凛子に言ってくれよ」
忌々しげに舌打ちをすると、凛子は勢いよく立ち上がり、加奈子のもとへと近寄る。
「あんたさ、渚にとってなんなの? 彼女なの? 友達なの? いっつもいっつもあたしの邪魔ばっかりして……いい加減にしてよ?」
ようやく軽くなった僕の身体を起こし、ひとまず状況を整理することに専念した。
まず、僕らがいる場所。
春休みという自由な時間をいかし、一泊二日の温泉旅行へと来ているわけだが、ざっとメンバーを紹介しておこう。
僕ら兄妹と加奈子については、もう説明するまでもないとして。
これに加えて銀と向坂、というメンツなわけだ。
どうして向坂がいるのか、やはり、疑問に思う人も多いだろう。
短い言葉でその疑問に答えよう。
商店街の抽選会で、向坂がこの旅行のチケットを当てたからだ。そして、僕を連れていってやるから、条件として凛子も同伴させろ、ということだった。
一応、渋々、凛子に状況を説明したうえで、どうするか聞いたところ、二つ返事で「行くしかないっしょ!」となり、今にいたる。
そのほかのメンバーについては、もう面倒なので説明しない。
勝手についてきた、とでも言っておこうか。
「はあ……。ちょっと渚……? 凛子をどうにかしてちょうだい……」
盛大なため息が部屋に響きわたり、僕は思考を一度、停止させる。
「どうにかしろと言われても、悪いのは加奈子だろ? お前がどうにかしろよ」
いつになく強気な僕を前に、加奈子は少し、驚いたような顔をした。
だが、それもわずかの時間。
すぐにお決まりのクールな表情で、言い返す。
「あら、心外ね。私はただ、少しアルコールの入ったチョコレートをあげただけじゃない。まさかこの程度で酔うなんて、想定外だわ」
ぷいっとそっぽを向いて、加奈子は着物の帯に、手を触れた。少し緩めにして結んでいるのが気になるが、まあ、まさか着物が脱げるなんてことはないだろう。
そして、同じく浴衣姿の凛子ではあるが――
「ちょっと? なに無視してるわけ? まじうざいんですけどー」
とか言って、肌蹴まくった浴衣に身を包み、凛子は一人で笑い出す。
どうやら、下着も何もつけていないようで、見てはいけないものを見てしまいそうで、恐ろしい。
いや、下着が見えるのであれば、僕は積極的に今の状態を維持させただろう。
けれど、すっぽんぽんである。裸である。生まれたてである。
そんな状態の凛子を、妹を、兄としては注意せざるを得ない。
「おい、凛子――」
名前を呼び、一言いってやろうと思ったが……。
「ねえ、兄貴ぃ……? あたしの裸、見たい?」
「はあ!? いくらなんでもそれはねえよ!」
「どうして……?」
わざわざ上目づかいで、僕を誘惑している。ちらりと見える胸の谷間は、まったく大したものではないはずなのに、酔っているせいか、頬が紅潮しているため、やけに色っぽく思える。
僕の視線に気が付いたのか、凛子は芝居がかった表情で、言った。
「なんかぁ……、この部屋暑くない? もう暑くて暑くて、汗がとまんないですけどぉ……」
ちら、ちら、と僕を見て、そして、浴衣をますます着崩していく。
布が擦り切れるような音がして、僕は思わず、息をのんだ。
「ちょっと凛子! 待ちなさい! わかった、わかったわよ! 私がすべて悪かったから、今はとにかく、部屋に戻りましょう? ね?」
「きゃあ! ちょっと……なにすんのよ……?」
露出してしまった凛子の肩を隠すようにして、加奈子は凛子を抱きかかえる。非力に見える加奈子ではあるが、意外と力もちのようだ。
「おおっ! これはいったい、どういう状況ですか!?」
部屋の扉を勢いよく開き、今度は銀ちゃんの登場だ。
「ああ、銀ちゃん。悪いんだけど、加奈子を手伝って――」
「え? なになに? 加奈子さんの浴衣を脱がせ?」
「言ってねえよ!? お前の耳はどうなってやがる!?」
「ん? んんん? お前の浴衣を脱がしたい? もう……仕方ないですね。渚さんなら、かまいませんよ?」
常日頃から、破廉恥なやつではあった。
しかし、ここまで会話が成立しないやつではなかったはずだ。
妙な勘が働いて、僕は銀ちゃんをじっと見つめる。
そこで、僕は気づいてしまった、悟ってしまった。
まさかこいつ――
「お前まで酔ってるんじゃ、ないよな……?」
ケラケラと笑って、銀ちゃんは言った。
「まさか! うちが酔うなんてことはありませんよ? でも……」
「でも?」
「うちが酔っているのだとしたら、きっとそれは、渚さんに酔ってしまっているということなんでしょうね、えへ」
ああだめだ。こいつまで、酔ってやがる。
「えい!」という、可愛らしい掛け声とともに、銀ちゃんは加奈子の浴衣を脱がしにかかる。
「おお、いいよいいよ! 銀ちゃん、あたしも加勢するよ!」
凛子が加奈子の両腕を拘束し、そして、銀ちゃんが一気に着物を引きはがしていく。
あまりにも一瞬の出来事だったので、僕は目を逸らすことさえできなかった。
しかし、まあ不幸中の幸いと言うべきか、加奈子は下着をつけ、その上に浴衣を着ていたので、全裸を目の当たりにせずに済んだわけだ。
上下を漆黒で統一した、お姉さん系の下着。控えめな胸と、大人っぽい下着が相反しているけれど、だが、その矛盾こそが素晴らしい。
なんというか、「ああ、背伸びをしてるんだな、こいつ」と思えるので、可愛い。
「渚! 見ないで! お願いだから見ないで!」
「み、見てないぞ。うん、見てない見てない」
じたばと暴れる加奈子であったが、凛子と銀ちゃんの二人がかりの拘束には抗えないようだ。
「ねえ、凛ちゃん」
「なに、銀ちゃん?」
「加奈子さんより、渚さんを素っ裸にした方が、面白くない?」
とんでもない思い付きに、僕は卒倒しそうになった。
僕の裸は面白いのか? とか考えている場合ではないことを理解し、すぐに逃げようとした。けど、できなかったんだ。
「渚……あなた、私の下着姿を見たんだから、あなたの裸も見せなさいよ……?」
なんと、なんと、下着のまま加奈子は、逃走を図った僕に飛びかかり、がっちりと拘束するのであった。
さらに、凛子と銀ちゃんまでもが僕に飛びかかってきたので、僕は床に押しつぶされる態勢になる。
あれ、もしかしてこれ、最高のご褒美じゃないか?
桃色吐息を吐きながら、髪の毛を乱れさせ、肩やら太ももやら谷間やら、露出しまくっている少女たち。
そんな見ているだけでも鼻血が出そうな格好をした三人は、いま、僕に、抱き付いているのだ。
正確には、僕を拘束しているつもりなのだろうけど、やはり、女の子の力なんてのはたかが知れている。
逃げようと思えばいつでも逃げれる。
しかし、そんなことはしない。そんなもったいないことをするわけがない!
柔らかい胸の感触が三つも、僕の背中にトリプルアタックしてくる。
「あれ、なんで渚さん、笑ってるんですかね」
「もしかしてもしかして~喜んでるんじゃない?」
僕は急いで真顔に戻し、そして、逃げるフリを続ける。
「バカ野郎! 僕の裸なんて見てどうする!? どうせならお前たちの裸を見せろよ!」
「「え?」」
「いや、違う、誤解だ。どうせなら、お前たちの裸の方が、見栄えがいいかなって、そう思ったんだよ」
酔っぱらっていた凛子と銀ちゃんは、お互いに顔を見合わせる。
そしてまた、加奈子に関しては、自分の行き過ぎた行為を反省しているようだ。
僕を押さえつける力は徐々におさまり、そしてようやく、事態は収拾しかけたのであった。が、しかし――
「確かにね……渚さんのしょぼい身体なんか見ても、つまんないですよね」
「そういうことだ」
ふうと息を吐いて、僕が一安心をすると、二人は行動に移す。
「というわけで加奈子さん、やっぱり加奈子さんの裸にしましょう!」
「え、ええ!? ちょっと、やっ――」
かなりの不意打ちのため、加奈子はまったく反応できなかった。
目を丸くして、ただ、脱がされるのを待つばかり。
「た、助けて! 渚! ねえお願いだから……いやぁぁぁぁぁぁ!」
その後、僕は窓から必死の想いで逃げ出し、(二階だったから、怪我せずに済んだ)、加奈子の裸を直視することはなかった。
良いのか悪いのかはさておいて、まあ、そろそろ締めの言葉を贈ろう。
いいか? たとえお菓子であっても、用法・用量はよく守って、アルコール入りチョコレートを食べましょう、ということだ。
「どうした渚? そんな浮かない顔しちゃって」
「別に、なんでもねえよ」
そしてこいつ、向坂行介は、約一時間半にも及ぶ僕らの死闘には、長風呂していたことで巻き込まれずに済んだというわけだ。
運が良いのか、悪いのか……これもまた、分からない。
「それにしても、なんであの三人は、俺たちからあんなに距離取ってるんだ?」
「さあな。恥ずかしいんじゃないか」
「恥ずかしい? どうしてだよ?」
「色々あるんだよ、あいつらにも」
そう言って、僕は三人の方に視線を向ける。揃いも揃って、自分の身体を抱きかかえるようにして、隠した。
なんだか複雑な気分だ。
凛子はジト目、銀ちゃんはそっぽを向き、加奈子は伏し目、と、僕に対する態度がよそよそしいのは、仕方ないか。
「なんだかなぁ……」
大きく背伸びをして僕は、青々とした大空に、一発あくびをかましてやるのであった。