兄妹コンプレックス(終)
ようやく完結です。今までありがとうございました!
加奈子と僕は恋人となった。あの日のキスは、今でも鮮明に覚えている。あんなにも刺激的な一日は今までにあっただろうか。
生まれてこのかた大したことのない日常を過ごして来た僕にとって、あれはあまりにも非現実的だ。
あの日、家に帰ってからもしばらく夢うつつであった僕は、あれは夢だったんじゃないかと何度も思ったものだ。
でも、あれは間違いなく現実であって、決して僕の悲しい妄想などではない。
こんなにも幸せな出来事があったものの、その裏ではとても悲しんでいるやつもいる。僕と加奈子が付き合ったことで悲しむやつ、つまりは僕の妹の凛子のことだ。
これまた非現実的な話だが、凛子は僕を好いていて、そして僕がその好意を拒絶した。それからというもの、僕ら兄妹の間には途轍もない溝が生じた。
このまま一生関わらないでいてもいいのだろうか。このままずっと、互いを避け合っていてもいいのだろうか。
そう、いいはずがない。
僕らは兄妹なのだから、それでいいわけがないのだ。
だからこそ僕は、こうして再び妹と向き合うことを決めた。僕は今、妹の部屋の前までやってきたんだ。あの時と同じように、妹を引きこもりから助け出してやった時と同じように、僕はまた、妹を助け出してみせる。
助けるなんて言葉を使うと大袈裟に思うやつらがいるのかもしれない。けど、なにも大袈裟なんかじゃない。
妹は傷つき、そして心を閉ざした。
この状況をひっくり返すために僕は奮闘する。だからこそ僕は助けるなんて言ったのだ。これをそう言わずして何と言おうか。
この瞬間だけ、僕はヒーローになる。誰にとってものヒーローなんかじゃなく、妹のためだけのヒーローだ。
色んな思いが頭を駆け巡る中、僕は扉をノックした。
「……僕だ。話したいことがある、開けてくれ」
「……」
ごめん、やっぱり無理。あんなことを言っておいてなんだけど、やっぱり無理かもしれない。だってこの扉を開けてもらわなきゃ、僕が妹と話すことはできないんだもの。
うわ、まじ情けねえ……! せっかくカッコつけたのに台無しじゃないですか!
頭を抱えてしどろもどろしていると、ゆっくりと扉が開いた。
ビックリしてしまい、一瞬ではあったがその場でぼーっと扉を眺めていた。
「何か用?」
そう短く吐き捨てられた妹の言葉でハッとして、僕は扉を完全に開けてみる。中を覗いてみれば、ベットで不機嫌そうに足を組みながら、こちらを俯瞰している妹がいた。
「よ、よう……久しぶり……」
「はあ? なに久しぶりって? まじ意味わかんないんですけど」
そりゃそうだ。一緒に暮らしている妹に向かって、久しぶりは意味わからなさすぎる。
「ああ、あのさ……いま時間大丈夫?」
時刻にしてちょうど夜の十時。お訪ねするのには、少々常識外れの時間ではあるが、まあ妹の部屋になら問題ないだろう。
「平気。あたし忙しいからさっさと要件言って」
いやいや、あきらかにそうは見えないんですけど。可愛らしい寝巻に着替え、もう完全に寝る体勢の妹を見てもなお「そうか、お前忙しいのか」とは言う気が起きない。
けど、ここでいちいち突っかかっていては、それこそ妹から出て行けと言われかねないので、僕は早々に話を切り出した。
「お前と仲直りしにきた」
「脚下。はい、じゃあもう出ていって」
風呂に入ったばかりなのか妹の顔は赤い。よく見れば、まだ少しだけ髪が濡れているので、どうやらそのようだ。
にしても、これはしめたぞ。
何をしめたかって?
いいか、よく考えてみろ。僕は仲直りをしに来たと言った。そして妹はそれを脚下したわけだ。
つまりだな、妹のほうも僕と喧嘩しているという意識があるわけだ。そうでなければ、脚下などとは言わない。
もし本当に妹は僕を完全に他人として扱うつもりなら、そうは言わないはずだろう。「喧嘩なんかしてないけど?」とか「意味わかんない」とかって言うはずだ。
それに加えて、僕を部屋に入れたりもしないんじゃないだろうか。これは決定的、このチャンスを逃せばもう一生不仲のままだ。
僕は大きく息を吸い込んで、拳をギュッと握りしめた。
「嫌だ。僕はお前と和解するまでこの部屋を出ない。お前がなんと言おうと絶対だ」
「なに言っちゃってんの? 迷惑なんだけど。早く出てって」
「嫌だ。絶体に嫌だ」
「ムカつくのよ……あんたのそういう態度! あんたはあたしの兄貴ってだけで、別に恋人でもなんでもないでしょ!? ずかずかとあたしの中に入ってこないでよ!」
ベットから立ち上がり、僕を一生懸命に追い出そうとする。しかし、いくら僕が貧弱とはいえ、この程度の力ではびくともしない。
「じゃあ僕がお前と恋人にでもなればいいのか?」
一瞬妹の力が緩む。しかし、すぐに怒りをあらわにして言った。
「ふざけんな! そんなことできるはずないでしょ!? からかうのもいい加減にしてよ!」
「そうだな、確かに恋人になんぞなるのは不可能だ。お前と僕は兄妹なんだから」
「もう……やめてよ……これ以上あたしの心を滅茶苦茶にしないで……」
妹はへなへなとその場にしゃがみ込む。
僕はな、別にこいつをいじめてやろうとか思ってるわけじゃない。僕とこいつが兄妹であるということを、改めて確認させてるだけだ。
僕は妹をとても大切に思っているし、できる限りの協力をしてあげたいと思っている。けど、だからといって妹を彼女にするなんてことは論外だ。
妹は僕を好きになってしまったことを悩み、そしてそれが原因で僕らはいがみ合っている。でも僕にはさらさら妹と付き合おうなんて気は無い。
じゃあ、どうすれば僕らは仲直りできるか。
散々僕は考えたさ。ああでもないこうでもないと試行錯誤した。けどやはり、結論は出なかった。
妹が僕を好きだという気持ちを変えさせることは僕にはできない。あくまでも変えるのは妹自身であって、僕がどうこうできるものではない。
じゃあどうするか。
そこで思いついたのがこれだ。悩みに悩み抜いた結果がこれである。まあ見てなって。
「凛子……お前は僕のことが好き、それで間違いないな?」
しばらくの間をおいて、妹は答える。
「……そうよ……あたしはあんたが好き……」
「僕が兄貴だと分かっていても、好きなんだな?」
「当たり前でしょ……? あたしにとって、兄妹なんてのは重要じゃないの……重要なのは、この気持ち……」
「僕は絶対にお前を好きになることはないと分かっていても、その気持ちは変わらないんだな?」
「分かんないよ……もしかしたらいつか……この気持ちは変わるかもしれない……だけど! 今はあんたのことが好きで好きで好きでしょうがないの! どんなに無理だって思っても、どうしてもあんたのことが好き!!」
こんなにも僕への想いをぶつけてくれる女の子は、もしかしたら生涯あらわれないかもしれない。
だけど、それでも、僕はこの妹の気持ちを踏みにじってでも、言わなきゃいけないことがある。
「ごめんな。お前の気持ちにはやっぱり応えられない」
「分かってるよ……そんなこと……もうそんなこと……分かってる……」
僕の心が抉られたように痛む。とうとう抑えきれなくなったのだろうか、大粒の涙で顔をぐちゃぐちゃにして、妹は号泣した。
僕はそんな妹の頭にそっと手を添えて、それから僕の思いを全て曝け出した。
「僕、女の子にここまで想ってもらったことは多分一度も無いと思う。お前が知ってるかどうかわからないけど、僕と加奈子は付き合うことにしたんだ。けどそんな加奈子でも、きっとお前ほど僕を想ってくれてはいないだろうさ」
「……」
「でもね、僕はこう思うんだよ。お前が僕のことを好きだって気持ちは、絶対に否定するべきじゃないし、咎めるべきでもないと思うんだ」
「……」
僕は目線を合わせるために、妹と同じようにその場にしゃがみ、そして真剣な眼差しで言う。
「だから凛子……お前は僕の事を好きなままでいろ! もし一生好きだってんなら、それでもかまわない! 僕とお前が老いぼれても、その気持ちはずっと大事しろ! 別にいいじゃねえか! お前と僕は兄妹である前に一人の男と女なんだよ! だから……だから! 僕はお前のその気持ちを一生背負って生きてやるよ!!」
凛子の顔を見ると、そこには不意打ちにあったような驚愕の色が見える。まさか僕がこんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。さっきまで散々、僕らが兄妹だからとかそんなようなことばかり言っていたのだから。
点けて間もない電灯のようなボンヤリ顔をしてはいるが、妹の視線は怠りなく僕をしっかりと捉えている。
やがて涙を堪えるのに全力を注いでいるかのような表情に変わり、ぐっとこみ上げ声を詰まらせた。
「ほ……本当……?」
「ああ、本当だ。僕はお前の気持ちを全て受け止める。だからさ、まあ短い時間ではあったけど、僕は加奈子とはしばらく付き合わないことにした」
けし粒でも探すように、妹は僕の目を見つめ続けている。
「だ、だめだよ! だって……だってだってだって! そんなあたしのわがままに二人を巻き込めるわけないじゃん……」
「わがままなんかじゃねえよ。女なら誰だって、そういう気持ちの一つや二つは持ってるもんだろ?」
「け、けど……それじゃあ加奈子は……加奈子だってあたしと同じような気持ち抱えてるんだよ!? だったら、あんたは加奈子の気持ちに応えてあげなきゃ……」
「それに関しては問題ない」
「え……?」
妹は息を凝らして僕をじっと見た。
「加奈子も了承済みだ。お前のこと、友達として大切だから、だってさ」
まあ一悶着あったよ?
そんなすんなり認めてくれるわけがない。
「やっぱりあなたは妹のほうが大切なの?」とか「とんだシスコンね」とかもうそれは酷い言葉をぶつけられたさ。
けどな、結局はあいつも理解してくれたんだ。
凛子の気持ちが痛いほど分かるからとかなんとかで、どうにかこうにかなったわけよ。
「そ、そんな……あたし……最低だ……あたし最低だよ! どんな顔して加奈子に会えばいいの!? あたしもう……加奈子に顔向けできない……」
「どうだろうな? まあどうせなら今、確認してみれば?」
「え……? ちょ、ちょっとどういうこと……」
僕は立ち上がって、扉のほうへと声を掛ける。
「ほら、そろそろ顔見せてやれよ?」
顔一杯に呆れたような表情を染みこませ、モデルさながらの綺麗な足取りでこちらへと近寄ってくる。
「え? え? ええええ!? な、なんで加奈子がここにいるわけ?」
妹は、もう涙なんかはどこかへ吹き飛ばしてしまうほどの驚きの顔をしてみせた。
「渚に言われたのよ。今日妹と決着つけるから、家に来てくれって」
「そ、そんな……」
「それで? 私にあわせる顔がない? ふふ、それは確かにそうね」
「ご、ごめんなさい……」
「でも、こうしてもう顔をあわせてしまったのだから、それはもう余計な心配だわ」
「……」
妹はどこか、大事な物でも落としてしまったような顔つきだ。
けどまあそんなに落ち込む必要ないっての。
だってほら、加奈子の顔を見てみろよ。こみ上げてくる笑いをどうにか我慢しているような、そんなおかしな顔してるだろ?
「ふふ、ほんとに話題に尽きない兄妹だこと。シスコンの兄にブラコンの妹。もう呆れて何も言えないじゃない」
「おいおい、そんな悪趣味な冗談はやめてくれよ? 僕のどこがシスコンだって?」
「ちょ、ちょっと! あたしだって別にブラコンじゃないもん!」
「あら? でも凛子はお兄さんのことが好きで好きでたまらないのよねえ?」
「ち、違うし! 別に好きじゃないし!」
「お前さっきと言ってることが矛盾してるぞ?」
「うっさい! このシスコン! 話しかけんな!」
「なんだとこのブラコンが!? お前の方こそ話しかけんな!」
「いい加減にしてちょうだい……。どっちもどっちでしょ? そうねえ――」
いつものように冷酷な顔つきなった加奈子は、上手いことでも思い付いたのか、ニヤリと笑ってこう言ったのだ。
「兄妹コンプレックス、なんて言葉を新しく作ってみてはどうかしら?」
「「ふざけんな!」」
はい、どうでした? これでタイトルの意味が理解できたと思います。ふう……疲れました。一生懸命書いた作品でしたので、完結してしまうのはなかなかさみしいものです。だからどうか、番外編としてこれからもいくつか書かせて下さい!ていうか多分書きます!それでは、皆さんまた会う日まで!