ロリコンじゃない、シスコンだ その①
今日はいつもとは違い、朝早くから起きていた。朝早くと言っても午前十時だけど。
それはひとまず置いておいて、僕は朝から非常に焦っていた。
何故焦る必要があるのかと聞かれれば、僕はこう答えるだろう。
僕の妹と学校の後輩が喧嘩しているから、とな。
事の発端は今から少し時間を遡って、午前九時四十六分のこと。
この時はまだ僕は寝ていたのだが、どうやら妹は既に起きていたようだ。
両親は不在。どこに行ったのかと言えば、二人は海外旅行でワイハーへ行ったのだ。つまりハワイ。
そんな四十後半に差し掛かってもなおラブラブな二人は放っておいて、話を戻そうか。
そんな兄と妹が二人きりの来栖家のチャイムが鳴る。
僕が睡眠中となれば、来客に対応するのは必然的に妹になる。
ここまで話したところで、何が問題なのかさっぱり分からない人が大勢いるだろう。
だがもう少し待ってくれ、事件はこの時に起きたのだ。
ここから先は僕の想像だが、恐らくはだいだいあっているはず。
「はーい」妹は来客者に対応すべく、玄関へと向かう。
いつも口を酸っぱくして言ってるが、こいつはインターホンを確認しない。
もし変な人が押し入ってきたらどうする、と注意しても、聞く耳を持たないのだ。
そしてだな、妹が扉を開けた先には一人の女の子が立っていた。
きっとここで、妹は不思議に思ったはずだ。
あたしの愛してやまないお兄ちゃんには友達がいないはず。
それなのに今、どうしてあたしの大好きなお兄ちゃんと同じ制服を着た女の子がここに、しかも夏休みに、こんなところに立っているのだろうと。
あくまでもこれは想像だから、実際のところ妹がどう思っているかは知らない。
けどきっとこんなところだろう。だてにお兄ちゃんやってないからね僕は。
なになに? 想像じゃなくて、妄想だろ、だって?
はは、上手いこと言うじゃねえか。
座布団を一枚と言わず何百枚とやるから、そのまま座布団に埋もれて死んでしまえ。
ごほん。それでだな、妹は目の前にいる、女の子にこう言ったはずだ。
「失礼ですけど、どちら様ですか?」とな。
相手はこう答えただろう。
「四条加奈子です。渚さんはいらっしゃいますか?」
まあこんなことは誰でも予想できるわけだ。
しかしここらがさっぱり予測不可能だ。
僕が目を覚ましたのは、玄関から大きな声が聞こえてから。
眠い目を擦りながら僕は起きる。
そりゃ我が家の玄関から、なにやら揉め事のようなことが起きれば、そうせざるを得ないだろうさ。
重たい足取りで部屋を出て階段を下りて行けば、その先には我が妹と我が後輩が睨み合っているわけですよ。
もうね、思わず頭を抱えたね。何をやっとるんだこの二人はって。
事情を聞いても、やれあんたが悪いだの、あたしは悪くないだの、正しく意味不明だ。
何がどうなって二人は喧嘩してるのか分からない。
そもそも初対面で喧嘩できるのが僕としては不思議でならない。
とにかく事態を収拾しようと思った僕は、加奈子を家に招き入れて、僕の部屋で話し合いをしようとした。もちろん三人でな。
長らくお待たせして済まなかった。そうしてようやく冒頭に戻る。
「……」
でたよ。だから女って面倒なんだよ。
喧嘩してたかと思うと、すぐにだんまりを決めこむんだもの。
これじゃあ埒が明かない。仕方なく僕は話す。
「だからさあ、お互い黙ってちゃ分かんないって。何があったのか話してくんないと、僕にはどうすることもできないんだぞ?」
まず最初に発言したのは加奈子だった。
「別にあなたに、どうこうしてもらおうという気はないわ」
いやだったら早く帰れよ。
だいたい、朝から僕に何の用事があったというのか。
「あたしもその意見には賛成。ていうかさ、なんであんたここにいんの?」
「はぁ……お前らが喧嘩するからだろうが……」
投げやりに言葉を投げ捨てる。
僕の言葉が火種となったのか。二人は再び喧嘩を始める。
「そもそもの話として、あなたが先輩の彼女だとか、ふざけたことをぬかしたのが悪いのでしょう? どっからどう見たって、あなたみたいなお子様が先輩の彼女だとは思えないわ。さっさと白状しなさいな、私は妹ですって」
僕は呆気にとられて固まった。加奈子の口から爆弾どころか核弾道ミサイルばりの発言が発射されたため、そうせずにはいられなかった。さらに追い打ちは続く。
「う、嘘じゃないもん。あたし渚の彼女だもん……」
「あらそう……? ということは、先輩はあなたみたいな子が好きな、ロリコン、ということでいいのかしら?」
僕はわずか一秒で反論した。だって違うし。僕はロリコンじゃない。
「違うから! 僕はロリコンじゃないからね!? こいつは僕の妹の凛子だ! だからロリコンじゃない」
妹の頭をガシガシと掴みながら、僕はあらぬ誤解を解こうとした。
しかし、加奈子の攻撃は休まることはない。
「犯人はみんなそうやって言うのよ。僕はやってない。僕はロリコンじゃないとね。もし本当にそうではないと言うのなら、証拠を見せなさい?」
僕はこの時、初めて痴漢の冤罪をかけられた人の気分が分かった。
いくらそうじゃないと言おうが、その言葉は相手に響くことはない。
どういう訳あって妹がこんな嘘ついたのかは分からない。
けど、妹の勝気な性格を考えれば、こいつが加奈子に謝るとは到底思えない。
残された道は一つ。僕がこの手で、凛子が妹である証拠を突き出すのみ。
その道のりは決して容易ではない。だが逃げ出せば僕はロリコンというレッテルに未来永劫、苦しむこととなるだろう。
ならばやるしかない……僕ならできる。自分を信じろ。
「ほら、どうしたのかしら? 何か言ってみなさい?」
そうだ! これなら加奈子を信用させられるんじゃないか?
くっ……あまり気は進まないが、やるしかない!
僕は加奈子の目をしっかりと見つめて言った。
「証拠ならある、今取ってくるから、ちょっと待っててくれるか?」
僕の真剣な眼差しに、加奈子は少し圧倒されながらもいつもの調子で言う。
「ふ、ふん。持ってこれるものなら、持ってきてみなさい。私がそれで信じるかどうかは保障しないけれど」
「かまわない。僕は必ず、お前を納得させるブツを持ってくるさ」
なにやら心配そうな顔して僕を見る妹。まあ見てなって。
ゆっくりと立ち上がり、扉に開いて階段を下りる。
大見得きって、ああは言ったものの、本当にこれでいいのかと自分でも不安になる。
加奈子は僕を信じてくれるか、そんなことは分からない。
けど、今大事なのは僕がロリコンだという誤解を解くこと、それだけだ。
今までにいくつの困難を乗り越えてきたことか。
無理だと思っても、最後には必ずなんとかなったではないか。
人生は複雑怪奇なんかじゃない、単純明快である。
「さあ、僕と勝負だ……加奈子!」
洗濯機へと向かった僕は、とあるブツを片手に部屋へと戻る。
これさえあれば大丈夫。そう自分に言い聞かせて歩みを進めていく。
昨日の夜に脱ぎ捨てられたものだと言うのに、何故かほんのりと温もりを感じる。
違う。これはきっと錯覚だ。
加奈子という一人の強敵を前にして、僕は情けなくも怖気づいているのだ。
片手にブツを持ったまま、両手で頬を、パンと叩いて自らを鼓舞する。
「よし……」
一言呟き、軽く深呼吸してから勢いよく扉を開け放つ。
「ふはははは……待たせたな二人ともっ!」
僕は片手で強く握りしめていたブツを、頭上に突き上げる。
「ちょ……ちょ……あんた……そ、それ……」
「せ、先輩……それは……?」
口をパクパクとさせ今にも倒れそうな凛子と、両手で口を塞いで驚愕している加奈子。
そんな二人目がけて、僕は声高に言った。
「これは妹のパンツだ! 見ての通り縞パンだ! どういうわけか、凛子は縞パンしか穿かない主義みたいでねえ……黒と白、緑と白、ピンクと白、全て白を基調としたパンツばっかだなんだぜ?」
「そ、それがどうした言うのかしら……?」
それがどうした、か。やはりこれだけでは伝わらないか。
それなら、この僕の口でしっかり伝えるしかないな。
「いいか、よく聞け! 妹がどんなパンツを穿いてるか、そんなこと知ってるのは兄貴しかいない……」
茹でられたタコのように、顔を真っ赤にさせている妹を一瞥し、そして再び加奈子へと視線を戻す。
「それだけじゃないぜ……もしこいつが僕の彼女だと言うなら、果たして僕は恥じらうことなくパンツなんて代物を触ることが出来ただろうか? 否、そんなことはできやしない! 僕はなぁ……これが妹のパンツだからこそ、こうして握りしめることができたんだよ! 兄は妹のパンツなんざには興奮しないのさ。これが決定的な証拠だっ!」
決まった。これで僕はもうロリコ――
「この変態がぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ぶべらっ」
なんだ? 何が起きた? 何故僕は床に這いつくばってる?
一瞬の出来事に混乱し、事態がのみこめずにいた。
しかしその直後、妹の足によって僕の顔が踏み潰されたことで、僕は理解した。
「この変態、変態、変態、変態、変態っ! あんたなんか死んじゃえっ!」
ああ、僕はこいつに吹っ飛ばされたんだ。
「待て、待ってくれ、凛子っ!」
「なに? なんか言い訳でもあるの?」
僕は痛みを我慢してすかさず立ち上がり、ビシっと人差し指を突き出してそれを妹に向ける。
「あのなぁ、元を辿ればお前が悪いんだろ? なんで僕の彼女だなんて嘘ついたんだよ?」
少し冷静になった妹は、ばつの悪そうな顔してからいつもの如く言う。
「べ、別になんだっていいでしょ? あんたには関係ないし」
「なんだってよくないだろ。僕はお前のせいでロリコンだなんて勘違いされたんだぞ? 本当だったら、お前に土下座してもらいたいくらいだ」
沈黙を保ったまま、妹はなにも話そうとしなかった。
そこで、しばらく放置されていた加奈子が口を開く。
「そうね。もう十分その子が、あなたの妹だということは分かったわ。それに、あなたがロリコンだなんて、私は随分と大きな勘違いしていたみたいね」
良かった。これでどうやら誤解は解けたよう、だ?
あれ、なんでそんなゴミを見るような顔をしてるのですか、加奈子さん?
苛立たし気に後ろ髪をクルクルとさせながら、加奈子は言った。
「あなたはロリコンではなくて、とんだシスコン野郎だったようね? 見損なったわ」
野郎なんて下品な言葉を使うんじゃない、などと悠長なツッコミを入れてる場合じゃないよな、これ。
不幸が不幸を呼ぶじゃないけど、勘違いが勘違いを呼んじまったよ。
これどうすんだ? 僕やばくない?
加奈子は僕から妹へと視線を移す。
「私の名前は四条加奈子、加奈子と呼んでくれてかまわないわ。どうぞよろしく」
いきなりの出来事に驚いた妹は、あたふたと自己紹介を始める。
「あ、えっと、あたしの名前は来栖凛子です。あたしのことも、呼び捨てで凛子って呼んでください」
もちろん驚いていたのは妹だけじゃない。僕もだ。
加奈子は左手を差し出して、握手を求める。
それに応じる形で妹も手を差し出して、互いにがっしりと握手をする。
僕と妹はわけの分からないまま、二人で目配せをするが状況は変わらない。
しびれを切らした僕は加奈子に話しかけた。
「あ、あのさ、加奈子? いきなりどうした?」
もの凄い形相で僕を睨みつけ、そのままこう言ったのであった。
「黙りなさい、このシスコン野郎が。私はもう決めたわ」
「決めた? 決めたってなにを? て、ていうかその顔怖いんですけど……」
加奈子は胸を、ポンっと軽く叩く。
「私は今日からこの家に居候させてもらうわ。あなたたちの関係は極めてグレーゾーンよ? このままいけば危険だわ。だから私がしばらく監視役を引き受けるけど、いいわね?」
「良いわけあるか! だいたい、僕の両親がそんなこと許可するとは思えないしっ!」
いや、それよりも、あなたたちの息子さんと娘さんの関係がいかがわしいから私が監視します、なんて親に言われたら僕の立場が危ういじゃないか。
「な、なあ凛子? お前はどう思う?」
妹は引きつった笑みを見せた。
「あ、あたしもさすがにそれは、やりすぎ……だと思う、かな?」
「ほらな? 妹もこう言ってるんだし……って加奈子さん?」
加奈子はわなわなと身体を振るわせて、みるみる顔色を青白くさせていく。
「まさか……妹もブラコン……? 相思……相愛?」
「「違うっ!」」
なんて勘違いしてやがる、こいつ。
「ええい! うるさいうるさい! もう私がやると言ったからにはやるわ! 異論は認めないわよ……」
「そ、そんな……勘弁してくれよ……」
こうして、来栖家には期間限定の新しい家族が加わったのであった。