悪い虫には気を付けろ
「――え~、であるからして、皆さん。どうか有意義な夏休みを過ごして下さい」
校長先生のありがたいお話がようやく終わり、生徒たちはがやがやと騒ぎ出す。もちろん、渚の周りの生徒たちも同様であった。
「うっひゃぁぁぁぁ……ようやく終わったかぁ……ところで渚。お前でも夏休み用事あったりすんの?」
向坂め。なんて失礼なやつだ。その言い方ではまるで僕に用事がないみたいじゃないか。まあ、確かにないけどさ。せめてもう少しオブラートに包んで言え。
「別に……特にないけど? そういうお前はどうなんだ?」
「いやぁ……部活でほとんど用事が埋まっちまうな。もう少し遊ぶ時間欲しいところだが、もうじき俺たちが部活の中心になる。ここは一つ頑張らなくちゃな」
ああ、そうかい。そいつは確かに大変だな、僕と違って。
「せいぜい頑張ってくれよな、サッカー部の自称エースさんよぉ……」
僕の皮肉交じりの激励に、馬鹿なこいつは気づくこともなく、そうかそうかと上機嫌になっていた。
そのまま向坂と話すのも面倒だと思った僕は、さっさと教室に戻って、これから始まる担任の先生のありがたいお話を聞くべく、自分の席に着席して待っていた。
ほどなくしてから、友達とふざけながら帰ってきた向坂を一瞥し、窓の外へと視線を戻す。
しばらくボーっとしてると、担任の話しは終了し、無事夏休みを迎えることとなった。
さあ帰ろう、と席を立つとまたまた向坂に話しかけられる。
「なあ、渚。ちょっといいか?」
「なんだよ?」
あからさまに嫌そうな顔をしても、まったく向坂は気にしない。
「お前って何で部活やんないの?」
何でやらないか、と聞かれてもねえ。やりたいもんないし、ていうか、バイトが忙しくてそれどこじゃないし。
ああ、そういえば。昨日いきなりだけど、琴乃さんから夏休みはバイトを一か月休むように言われた。
理由は加奈子の面倒を見てあげてほしい、というものだった。
僕にはさっぱり意味が分からないが、やれと言われたからにはやるしかなかろう。っと話がそれたな。
「やりたいことがないからに決まってるだろ?」
「それもそうだよなあ……やりたいことが一つもない、てのはどうかと思うが、それも一つの選択だしな。まっ、お前らしい答えだよ」
どこら辺が僕らしいんだ? もしかしてこいつ僕のこと馬鹿にしてる? 向坂に不信感を抱く僕。
しかし、お前が僕のことをどう思っているのか、そう聞く間もなく向坂はさっさと部活へと行ってしまった。
「部活ねえ……」
どうも向坂の一言が気になった僕は、帰り道もずっと僕のやりたいことについて考えた。
けれどまあ、当然結論が導き出されることもなく、そのまま家に到着するのであった。
「ただいま」
家に入り靴を脱ごうと下を見れば、そこには妹の茶色のローファーと、もう一つ見慣れないスニーカーがあった。
一瞬だけど、まさか妹の彼氏? と焦るのだが、よく見ると女用の靴であることに気づく。
「なんだよ、友達のか」
彼氏でないと分かるとすぐに安心感がどっと押し寄せる。きっと妹がいる兄貴ならではの、あの感情だ。
端的に言えば「べ、別に妹のことが心配なんじゃないんだからね!」というやつだ。
要は、妹に悪い虫がついていないか心配なわけ。とは言っても、この靴は妹の友達のものだと分かった以上、心配ご無用なわけだ。
さてと、せっかく夏休みになってバイトもしばらくないことだし昼寝でもするか。
と思ったけど、今帰ってきたばっかだし部屋は蒸し風呂状態のはず。一度冷房を入れてから適温になるまでリビングに待機していようか。
そう思った僕は、階段を上って自分の部屋へと入った。で、すぐに出た。
念のためにもう一度部屋に入る。そしてまた出る。
あれ? 何がどうなってる? もしかして頭がこの凄まじい暑さのせいでやられちまったのか?
いやそんなことはない。そんなことはないはず。よし、三度目の正直だ。
キイ、とわずかに不気味な音をたてながら扉が開き、ソーッと隙間から中を覗く。
その直後、扉が一気に開け放たれる。突然の出来事に驚いた僕は、誰かの身体に覆いかぶさる形で倒れる。
「きゃあっ」と短い悲鳴が聞こえ、僕は顔を上げて声の主を確認した。
「「あっ」」
二人の声が重なり、互いに見つめ合った状態で固まる。もちろん体勢は乗っかったままで。
僕の右手には柔らかで、それでもってしっかりとした弾力のある未確認物体の感触が。
これはラッキースケベということにしておこう。僕は全神経を右手に集中させ、必死に脳みそにこの感触を焼き付けた。
そんぐらい別にいいだろ? だってラッキースケベだ――
「ぐふぁっ!」
「あんた何やってんの!? 早くどきなさいよっ!」
顔を高速ビンタではたかれて、勢いあまって壁際まで吹っ飛ばされた。
あのな、普通に痛い。もう痛すぎ痛いって言う気にもなれないから、仕方なく心の中で叫ばせてもらおう。
痛ってぇぇぇぇぇぇ! まじ痛ってぇぇぇぇぇぇ!
「あんたどういうつもり!? さっさと銀ちゃんに誤って」
痛みに悶えている僕に、追い打ちをかけるように腹に蹴りをいれてくる我が妹。
どういうわけか、妹の顔には笑顔がにじみ出ている。そんな狂気じみた妹を前に、僕は為す術なく耐え続けるしかなかった。
しかし、救世主はすぐ近くにいた。
「わっわっわっ、凛ちゃんそれ以上やったらお兄さん死んじゃうよ!?」
「こいつはそんぐらいやらなきゃ分からない超鈍感野郎なのっ! 銀ちゃんも惑わされちゃだめ」
お前の中では僕はどんだけ最悪な兄貴になってるんだか。
「凛ちゃんっ! 家族と仲良く! うちと約束したでしょ?」
この時ばかりは翼が見えた。天使の翼が。もちろん銀のほうにな。
「っくぅ……分かったよ。銀ちゃんがそういうなら……」
ようやく猛攻がおさまり自由になった僕は、早速銀に謝罪と感謝の意をこめて「悪いな」と、一言告げる。
「銀、そういえばだけど、お前って前から妹のこと凛ちゃんって呼んでたっけ?」
僕の勘違いじゃなければ、確か銀は凛子ちゃんって呼んでたはずだが。
意外にも僕の問いかけに反応したのは妹のほうだった。
「はぁ!? なにあたしの友達呼び捨てにしてんの? あんたにそんな権利ないから」
じゃあお前にはそういう権利あんのかよ。心の中で悪態をつく。
「まあまあ、凛ちゃん」
「そうだぞ。落ち着けよ凛ちゃん」
「あんたに凛ちゃんとか言われたくないんですけど?」
妹はジト目で僕を見ながら、恨めしそうに言った。
それにしても。銀との一件で一役買ってやったっていうのに、どうしてこいつは僕をここまで蔑むのかねえ。
別に妹に好かれたいから協力してやったわけじゃない。けど、こうもまったく好感度に変化がないと、少し残念な気持ちもする。
せめて呼び方を、あんたからお兄ちゃんへと戻して欲しいところだ。
「はいはい、分かったよ」
「分かればいいのよ、分かれば」
なんでお前が威張ってるんだか。銀に言われるならまだしも、関係ないお前にとやかく言われたくはない。
そもそも、呼び捨てにしていいって言ってきたの銀だし。
「僕の可愛い妹が、銀って呼び捨てにするな、ってうるさいからさ。妹がいる時は銀ちゃんって呼ばせてもらうわ」
「べ、別に可愛くないしっ」
ふん。僕には分かるぞ。妹の発言を通訳すると、「もっと褒めて! もっと褒めて!」と言っているのだろう。
まあ待て妹よ。あとでたくさん褒めてやるから、今はとりあえず銀と話をさせてくれ。
「それでさ。呼び方変わったみたいだけどなんかあったの?」
照れてそっぽ向いてしまった妹は面倒なので放置した。銀は僕の質問にすぐに答える。
「なんとなくです。なんとな~くそう呼んでみたかったので、つい」
銀は舌をペロっと出して、頭に拳をこつんとさせる。この仕草は可愛いな。
可愛いけど、ちょっと古い? 最近こんなことする子いないだろ。まあいいけど。
「それにしても――」
やたらと感慨深そうな顔をして僕を見つめる銀。
あまり女性(妹と琴乃さんは除いて)に見つめられることは慣れてないので思わずドギマギとしてしまう。
銀のつぶらな瞳の奥には僕の姿が映し出され、そのまた奥にも僕の姿があって、そのま――(以下略)。
要するに何を言いたいのかというと、僕は緊張しているのだ。高鳴る鼓動を押さえつけ、僕は次の言葉を待った。すると――
「ぴゅあラブの渚ちゃんって凛ちゃんのお兄さんだったんですね? うちびっくりしましたよ。まさか男だなんて――」
時間よ止まれ。そうじゃないな。時間よ戻れか、この場合。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うわっわっわっ。お、お兄さん大丈夫ですかっ!?」
「うっさいなあ……一体何事よ?」
僕は頭を両手で抱え込み、その場にバタリと倒れ込む。だってそうだろ?
さっきまで普通に話してたけど、よくよく考えてみれば銀は僕が男だって知らないはずだ。
いちよう常連のお客さんには僕が男だってことは、もう既に伝えてある。だから男だとばれることには何の抵抗もない。加奈子とも約束したしな。
けどな銀……お前はだめだ。
妹の友達に、女装してメイド喫茶で働いてるなんてこと知られるのは、さすがの僕にもきつ過ぎる。
兄としての尊厳どころか、人間性を全否定されかねない。
それにだ。僕のことはもうひとまず置いておいて。兄が女装してるなんてことが妹の友達にばれたら、妹の立場はどうなるよ?考えたか?
よし、それでは言わせてもらおう。兄もろとも妹まで迫害されかねないんだわ、これじゃあ。
それだけは避けたい。どうしたもんかな。
って待てよ。そもそもなんで銀は僕が男だとすぐ気づいた?
いや、これは僕の制服姿を見ればすぐに分かるか……。
ふむ。問題はそこじゃないな。何故この二人は僕の部屋にいたかだ。
だってそうだろ? 普通妹の部屋で遊ぶだろ? 妹の友達が来たら。
「さっきから難しい顔してますけどぉ……大丈夫ですか?」
大丈夫かだと? 答えはこうです。大丈夫ではありません。
「ほっときなって。兄貴も多感な年ごろなのよ、きっと」
お前は僕のお袋か!
いやそんなことより、こいつは一体どういうことだ?なんでこいつらは僕の部屋に?
んん……待てよ。まさか凛子が? まさかな。
「なあ、凛子?」
相変わらず僕のベッドが気に入ってるようだ。友達が来てるというのに、さっきからゴロゴロと僕のシーツを乱してばかりいる。もうちょっと銀を見習え!
銀は部屋の隅っこにちょこんと座って僕のことを健気にも心配してくれてるじゃないか。交換してしまいたいぐらいだ。
「なに?」
ほれ見たことか。僕が名前を呼んだだけで露骨に嫌そうな顔しやがる。
まあそんなことより、今はこれを聞いてみなきゃな。僕は妹に言った。
「なんでお前ら僕の部屋にいんの?」
「特に理由はないけど?」
じゃあ自分の部屋行けよ! 喉元まで出かかったツッコミをのみ込み、続けて言った。
「じゃあもう一つ。なんで銀は僕のこと、つまりはメイド喫茶の渚ちゃんのことを男だって知ってんの? ていうか、なんでメイド喫茶の渚ちゃんと凛子の兄である僕が、銀の中では一致しちゃってるわけ? おかしくない?」
「あたしが教えたから」
やっぱりか……まさかとは思ったけど。なんてことしてくれたんだよ、まったく。
「なんで教えたりしたんだよ……?」
怒る気力も失せて半ば投げやりになって聞く。
「そ、そりゃあだって……ねえ?」
「分かんねえよ。はっきり言え」
「だ・か・ら! そんぐらい察しろっての? あったまわる」
「ああ、もう分かったよ。お前に聞いた僕が馬鹿だったよ」
そう僕が毒づいて言うと、妹は寝っ転がりながら頬杖をつき、いかにも機嫌の悪そうな顔してみせる。
いつものことながらこいつと話すと疲れる。いくらこっちが気遣ってやっても必ず最後には逆ギレだ。
僕が妹だったら絶対にこんな風にはならないね。きっと僕ならお兄ちゃんに優しい妹になるはずだ。根拠はないけど。
「えっと、お兄さん?」
後ろから天使のささやきが聞こえたため、僕はそちらの方へと身体ごと向ける。
「うちらがお兄さんの部屋にいる理由、知りたいんですよね?」
ああ、そうとも。話が早くて助かるぜ。妹を一度睨み付けてから、僕は銀に言う。
「悪いな。僕の妹があまりにも話の通じないやつだから、申し訳ないけどそのあたりのこと説明してくれると助かる。あーあ、僕の妹が銀だった良かったのに」
どうだ! この一言はきっと妹にはクリティカルヒットなはず。
「はいはい。何とでも言えば? あたしこそあんたの妹なんて願い下げよ」
ぐはっ……こいつはクリティカルヒットだ。やるじゃねえか。
「お兄さん?」
あまりにも手痛い妹の一言に顔をしかめると、またもや僕を心配してくれた。
初めて会った時はとんでもない変態だと思ったけど、それは僕の勘違いだったようだ。
「それで、結局理由ってなんだ?」
「え、ええっと……これ言っちゃってもいいのかなぁ……」
恥ずかしそうに指をモジモジさせ、顔を赤らめ俯いた。
え? そんなに恥ずかしがることなの?と大変疑問と不安を感じたが、もう聞いてしまった以上戻れない。
ま、まあさすがに変なことは言ってこないだろ。そう自分に言い聞かせながら言葉を待つ。すると――
「お……お……」
お……お……?
「お兄さんが男の娘だって聞いたら居ても立っても居られなくて! どうしてもお兄さんの生態系が知りたくてハア……ハア……つい魔が差してお兄さんの部屋に入ってしまいました! ああもう男だろうが女だろうが可愛いハア……ハア……可愛いは正義ですよ、まったく」
「前言撤回だ! やっぱお前ただの変態じゃねえかぁぁぁぁぁ!」
なんで僕の周りには変態とか妹とか向坂とかしかいねえんだよぉぉぉぉ!
「変態だなんてそんな魅惑的な言葉でうちを陥れようったってそうはいきませんよ? お兄さんがその気ならうちはその何倍もの愛をこめてお兄さんを調教させてもらいます。例えお兄さんにチン――」
「バカ野郎! それ以上は口が裂けても言うんじゃねえぇぇぇぇ!」
チンってなんだよチンって。これより先の言葉を聞いて正気でいられるとはとても思えん。
「またまたぁ、お兄さん? 裂けるだなんて卑猥な言葉を使っちゃって! もう、うちに負けず劣らずの変態さんですねまったく」
だめだこいつ早くなんとかしないと。
「残念だけどこれ以上お前と話してると僕にまでその害が及びそうだ。悪いがもう帰ってくれ」
僕の部屋にいる理由は概ね理解した。僕の部屋でなにをしていたのかまでは聞かない。
ていうか怖くて聞けないし聞きたくない。それにしても、中学生でここまで性にオープンになれるのは凄い。
僕が中学生の時なんてせいぜい、おっぱいおっぱい言って喜んでたぐらいだからな。
良いのか悪いのかは分からんけど、それもちゃんとした才能ってやつだぜ、きっと。
僕がそうして感心とも寒心とも言えぬ思いで銀を見ていると、いきなり銀と妹が笑い始めた。
まったく状況が理解できなかった僕は、二人の笑いが収まるのを待つことにした。
「――それで……? 何をあんなに笑ってたんだ?」
僕はふて腐れながら、カーペットの敷かれた床に胡坐をかく。
最初に口を開いたのは銀だった。
「あ、いやすいません。ほんとに」
「いいよもう。僕もう怒ってないから」
僕はそう言って、話を続けるよう促すと、コホン、と一つ咳払いをしてから言った。
「実はですね。お兄さんを驚かせようと思って、凛ちゃんと結託してドッキリを仕掛けたんですよっ!」
楽しそうに話す銀を尻目に、僕はどの辺がドッキリだったのかを考えてみた。が、どこにもそんなものは見つからない。
一体なにをもってドッキリだと言ったんだ?
「すまん。ドッキリなんてされたっけか?」
そう言うと銀は腰に両手をあてて、やや前かがみになりなる。
「まさかお兄さん……気づかなかったんですか……?」
「ま、まあな」
僕は内心非常に焦っている。いや、ここは焦るより喜ぶべきなんだろうな。何でかって? そいつは教えられねえな。
ん? なになに? どうしても知りたい?
それじゃあ仕方ない。教えて差し上げよう。
簡単に言うとだな、銀の胸の谷間が見えちゃってるんだよ、チラッと。銀は今制服を着てるんだが、まあ季節は夏なわけだろ?
するとだな、暑さのせいからか第二ボタンまで開いちゃってんのよ。そんな状態で前かがみになろうもんなら、まあ当然ブラは見えちまう。
色は青な。ブラだけで済めば僕も「わーい、ブラが見えたぞー」って素直に喜べる。だがそうはいかない。
谷間だ。もう一度言おう、谷間だぞ? そう簡単に拝めるもんじゃねえよ。
華奢な肩と制服の隙間から覗かせるその胸の谷間を前にして、僕はどうしろと?
ああ、だめだ。鎖骨、谷間、鎖骨、谷間、の順番で目が釘付けに。この体勢のまま僕との距離をじりじりと詰められてしまう。
「ん? お兄さん?」
銀が首をかしげるとその刹那、髪が揺れてシャンプーの甘い香りが漂う。
「お、お兄さん? 顔……赤くなってますよ?」
心配そうに僕の様子を伺う。何を思ったか、銀は僕の首筋に左手を触れさせる。
「なっ……どうしたんだよ? いきなり?」
やや呼吸が荒くなった僕は、喉の奥から必死に声を絞り出した。
「もしかして、熱があるのかと思いまして」
首筋に触れていた左手が、すぅっとシャツの中へと潜りこむ。胸元へと到達し、ちょうど僕の心臓がある位置で止まる。
「鼓動、速すぎじゃないですか?」
「んなことねえよ……」
そうして左手はそのままで、今度は右手を僕の頬にあてる。少しだけ銀の手の平は汗ばんでいた。
銀の体温が僕へと伝わる。そして僕の体温も銀に伝わる。
不意に銀の左手が動かされたことによって、撫で上げられるような感覚が僕を襲い、あまりのこそばゆさから背筋がざわつく。
僕が見つめると銀はそれに懸命に応えるように、うっとりとした眼差しで見つめ返す。このまま時間が止まってしまえばい――
「あんたら何やってんの?」
「うおっ!?」「わっ!?」
思わぬ闖入者によって僕と銀のツーショットタイムは終了した。まあ、それも当然。
「このバカ兄貴。妹の友達になんちゅういやらしい視線を送ってんのよ! 変態っ!」
「ば、別にそんなじゃねえよ! なあ、銀?」
「……そ、そうですね……」
お、おい。なんだその意味ありげな照れ方は?
「ほら、なあ? 別に僕たちはやましいことなんざしてない」
「そ、そう? まあそれなら別にいいけど?」
機嫌をなおした妹は、再び僕のベッドに戻って行った。ぼすん、と思い切りダイブする妹。
そして縞々模様のパンツを惜しげもなく披露する妹。ああ、そりゃもちろん妹が自らスカートたくし上げて見せつけてるわけじゃないからな?
要するにだな、銀に同じく制服姿のまま、ベッドに飛び込んだりするもんだから勢い余ってスカートが全部捲れちゃってんのよ。
ほんとにね、もうアホかと。お前はアホなのかと問いてやりたいわ。いくら兄とはいえ僕は男だ。
その僕の前で無防備にもパンツ見せたりすんなよな。やれやれ。
僕はあまり気が進まなかったが、妹の捲れたスカートをもとに戻してやろうと思いスカートに手をかけ――ようとした。
だがここで、ある重大なことに気づく。なんと羨ま、じゃなくてけしからんことに、妹の尻に蚊がとまっていたのだ。
これはいかん。このままじゃ可愛い妹の血をこのスケベな蚊の野郎に吸い取られちまう。いや血を吸うのはメスだけだけど。
とにかくこんな野郎に血を吸わせるわけにはいかん。そう正義心が働いた僕は、縞々パンツに包まれた妹の尻をぺしんと叩いた。
「はう……ンッ」
妹は身体をビクンと跳ねつかせ身をよじった。その反動で持ち上がった妹の尻が顔面にクリーンヒットし、僕は力尽きた。
「痛ってぇぇぇぇぇ!」
あまりの痛みに床で悶えていると、妹からは猛烈な罵声が浴びせられる。
「いっきなり何すんのよ! 変態っ! 死んじゃえっ!」
「待て待て! 誤解だぁ!? 僕はお前の尻にいた蚊を殺そうと思っただけだ!」
「嘘つかないでよ! そんな都合よくあたしの、お、お尻に蚊がとまるわけないでしょ!? ほっんと最低!」
それがほんとにとまってたんですってば。
「お、お兄さん? うちもちょっと今のは許容範囲外かもしれません……」
くっ……お前まで妹の味方するのか。弱ったな。
「そ、そうだ! これ見てくれよ、これっ!」
僕は急いで手の平で殺した蚊を見せた。
「なにもないじゃん……?」
恐る恐る自分の手の平を確認した。しかし、そこには僕の汗ばんだ手の平しかなかった。まずい。そう直感で感じ取った時には既に遅し。
「そのまま一生……地べたに這いつくばってろ! このバカ兄貴ぃぃぃぃ!」
――その後僕に何が起きたかは、みんなの想像にお任せする。だけどな、僕はこれだけはみんなに伝えたい。伝えなければならない。
いいか? 悪い虫には気を付けろってな。
その後。すっかり機嫌を損ねた妹に部屋から追い出されてしまった僕は、リビングで一人ボーっと過ごした。
何時間か経った後、銀は部屋から出てきて、律儀にもリビングにいた僕のところに挨拶しにきた。
その時に、結局ドッキリとは何だったのか気になったので銀に聞いてみることにした。
「ドッキリ? ああ、それはつまりこういうことですよ。うちが変態のふりしてお兄さんを驚かそうって」
変態のふり? いやお前変態だろうが。よっぽどそう突っ込んでやろうと思った。けどこの話にはまだ続きがある。
「うちって、どういうわけか女の子にしかえっちなこと言ったりしたりできないんですよ? だけどここは一つ、お兄さんはもう女みたいなものだからいいかなって」
左様でございますか。そいつは驚きだ。ていうか、そんなのドッキリでもなんでもないじゃん。そういう事情知らない限り。
「じゃあさ。推測でいいんだけど……なんで凛子は銀に、僕が男だってことばらしたんだと思う?」
間髪入れずに銀は言った。
「うちには分からないですね」
そりゃそうか。こいつは銀であって妹じゃない。当たり前の話しだ。
と、こうしてまあ、僕は夏休み開始早々とんだドタバタ騒ぎに巻き込まれたのであった。