○四人目 下地健
備考・山口亮太の後輩、ラグビーサークル
亮太先輩は、すでにラグビーサークルは辞めています。
理由は詳しく話してくれませんが、お酒の席でまたやらかしたらしいですね。
あの人が駄目な人なんてことは周知の事実で、そんなことを恥じて辞めるなんて、本当に今さらなんですけどね。
えっと、いつ辞めたかですか? 今から一年以上前ですから……、亮太先輩が一回目の四年生をやる前ですね。退部しても、たまに飲みに誘ってくれるというか、誘ってくるので、完全に疎遠になっているというわけではないです。
いつも赤い服を着ている理由は、赤はテンションを上げる色だからと、聞いたことがあります。雑誌か何かで見た微妙なコラムを、効果がそんなに見られないままずっと真に受けているのも、あの人のおかしなところです。
事件、ですか?
……えぇ! そんなことがあったんですか! 今から三ヶ月前……。先月亮太先輩と飲んだんですけど、そんな話しは聞きませんでしたよ?
……意外ですね。あの人、自分の身の回りであったことは良かったことも悪かったこともネタにして、面白おかしく話す人なんですよ。自慢できるようなことがあれば、自慢もしてくるちょっとうっとうしいところもある人なので、そんなことがあれば話すはずですよ。
それにお酒が入ると、言うべきでないこともぺろーって言っちゃう人なんです。それでまた、部内で面倒なことにしちゃったりもしたので。……もし、それが本当でしたら、わざと……だと考えた方がいいかもしれません。自分たちにも言っていないってことは。
……………………。
……ごめんなさい、少しショックでした。
でも、そんなだいそれたことをやる人でもないと思います。よほど、その事件で嫌な思いでもしたんじゃないでしょうか。それが、自分たちにも話していない理由だと思います。格闘技なんてやらなくても、それが重大なことはわかりますよ。……のどや、頸動脈を切る危険なんて。
川野弘人さん。亮太先輩の話に時々出てきました。なんでも、根暗なストーカーみたいな人なんですよね? 先輩の学科でボーリングに行ったときに、揉めたというのは何回か聞きました。
もう聞かれました? あぁ、まだなら話しましょうか。
なんでも、先輩が二年次のときの学科のボーリングイベントで、亮太先輩が毛嫌いしていたその弘人さんという人が、ストライクを取ったことがきっかけだそうです。
ストライクを取ったら普通、ハイタッチするじゃないですか。その時も、その弘人さんがハイタッチに迎えられながら、席に戻ってきていたんです。亮太先輩は、内心彼の手に触れたくはなかったらしいんですが、それで無視するのも大人気ない。ここは空気を読むべきだろうと、彼に手を差し出したそうなんです。まだ、表立っては、二人が険悪になっていない頃です。
すると彼はそれを見て、少し身を引き「えっ」と言って、ニヤついた笑いを浮かべたそうです。当然、わざわざ我慢して気に入らないことをやっているのに断られたということで、亮太先輩の心中は穏やかでない。かといって真面目に怒るわけにもいかないので、ちょっとした仕返しとして、「おーい」と言って、彼のお腹を、軽くはたいたそうです。亮太先輩を知っている身としては、先輩の引きつった笑いが目に浮かびます。あの人絶対怒りはしないんですけど、イラついた時は顔に出るんですよ。
お腹をはたかれたその、弘人さんですか、予想以上に怒ったそうです。もともと目が細く、亮太先輩いわく「開いているのか閉じているのか分からないようなツリ目」なのだそうですが、それが人並み以上に、カッと開いたそうです。そしてそのかっ開いた目のまま亮太先輩に向き直って、突然蹴ってきた。普段は「いるかいないかわからない、人形みたいなやつ」ですからキレた。そうですね、この言葉がしっくりときます。突然キレたことにも驚いたし、何より、目を思いっきり開いたその顔が、とても笑えたそうです。そんな理由で、格闘技やってるくせに黙って一発蹴られたそうです。
蹴られて椅子にもたれかかると、当然、絵としては彼に見下ろされるかたちになります。自分が嫌いで、見下している対象に見下されるというのは、とても腹が立ったそうでして、格闘家にあるまじきことに、彼を前蹴りで蹴ってしまった。
最低です。もちろん、それでも手加減はして、六割くらいの力だったと言います。亮太先輩の自己申告なので、疑うべきものではありますが。六割の力でも先輩ほどのガタイで、キックボクシングをやっている人間が蹴れば、相手は後ろに飛びます。
尻もちをついた彼は、蹴られた腹を抑えながら唸っていたそうです。それを追撃するほど、亮太先輩も落ちぶれてはいません。ただしそれで怒りを治めるほどの人格者であるわけもなく、立ち上がって背筋を伸ばし、彼に向けて微笑みを浮かべることにしました。
それは亮太先輩の性格の悪さをあますところなく表した、とてもいやらしい微笑みだったのでしょう。痛みが少し治まって、再び亮太先輩を見上げた彼は、再び目をかっ開いて跳びかかろうとしたそうです。
そして彼は、一緒に来ていた学科のメンバーに押さえつけられました。亮太先輩は、心配そうにこちらを窺っていた店員のところに向かい、騒いで申し訳ない、もう解決したから安心してくれと伝えて、一人で金も払わずに帰ったそうです。
まぁ、いつもはそんな人じゃないんですよ? そこまではっきりと人を嫌うのも、悪意を持って人に接するのも、実際には見たことないですし。自分たちが知る亮太先輩は、不真面目で面白くもないけど、見ていて笑える人で、知り合いと悲しんでいる人に優しい、人情に厚い人です。自分の同期が好きだった人に振られたとき、酒を奢って、一緒に泣いてくれるような人です。
尊敬しているかと聞かれれば、断じてNOと答えますが、好きかと聞かれれば即答で、ちょっとだけ好きと答えられます。
まぁ、アホなんですがね。他にもアホエピソードはありますよ。例えば極度のシスコンで、酔って女の子の話しになれば、決まって自分の姉の可愛さを語りだします。
もう十分ですか? それは残念。
まぁもし亮太先輩がわざとやったのだとしても、自分は先輩のことを好きでいますよ。