やっと、作られる
二〇一一年六月九日木曜日。わたしの通う大学のX学部に、一人の不審者が侵入した。
その不審者は以前から目撃されており、X学部の裏口を通る女生徒に「今何時でしょうか?」「東口にはどう行くんでしょうか?」などと、声をかけていた。身長は一六〇後半の、中肉中背。三〇代後半と見られる男だった。服は、いつも薄汚れた無地の青いTシャツに、紺のジーンズだったそうだ。
それまでは夜中に目撃されることが多かったのだが、その日、男は白昼堂々X学部内に侵入し、ある一室に入った。服装はいつもと同じ、青のTシャツに紺のジーンズ。
入った部屋は十畳ほどの小さな部屋で、ある研究室の、ゼミの時間の最中だった。部屋にいたのは五人の男子学生と一人の教授。
突然開かれたドアと見かけない男を、訝しげに見る六人。その前で男は、ジーンズのポケットに入れられた刃物を閃かせた。
「全員立て」
右手に持った刃物を突き出し、ジロリと狭い室内を見回したそうだ。室内の全員を立たせて、まるで値踏みでもするかのように、一人一人の顔を見た。――が、男の一番近くにいた格闘技経験者の生徒が、相手の集中が自分から少し離れた瞬間を見取って、不審者に左の中段蹴りを放った。男は蹴りの衝撃で蹴られた反対側、六人から見て右側へと追いやられた。しかし、男は追いやられた先にいた生徒の首に、後ろから左腕を回して、その生徒ののどに、右手の刃物を向けた。
こ――、と言ったところまでは、そこにいた全員に聞き取れたらしい。男はその生徒の顔の右側から、前方を確認するために顔を出していたのだが、その顔に今しがた男を蹴った生徒の拳が突き刺さった。
男は、おそらく人質に取ろうとしていたであろう生徒から引き剥がされ、後ろの壁で激しく後頭部を打って、失神した。その後通報され、お縄となった。
人質に取られそうになった生徒の右肩には、引き剥がされた際に刃物が引っかかり傷を残したが、それは浅く小さなものだった。結局は、この小さな事件での一番の重傷者は、蹴られた際に肋骨を、殴られた際に鼻骨を折られた不審者だった。
被害者が、病院に行くまでもない程度の傷しか負わなかったこの事件は、全国的ニュースにさえならず、地方紙に小さく載った程度だった。そこでは、不審者の男の「誰でもよかった」という供述などが載っていた。しかし、彼の供述や家庭環境などは、彼の標的が誰でも良かったのと、同じ程度にどうでもよい。
全国どころか地方ですら大きく騒がれなかったこの事件だが、もちろん事件が起こったX学部では、ちょっとした話題になった。しかしそれが話題にされるとき、例の不審者が主役であることは、半分ほどもなかった。不審者の人格等がどうでもよいのは、これが理由である。わたしも、彼には全くと言っていいほど興味がない。
わたしが興味を持ったのは、この事件が話題にされるときに、主役とされたのは。その部屋にいた、二人の男子生徒だった。
不審者を殴った山口亮太と、人質にされ右肩に傷を負った、川野弘人。
山口亮太は、川野弘人を殺そうとしたのか? この事件の主題は、これだ。
こちらでは当事者二人と、周辺人物八名の取材を通して、ストーリーのように記していこうと思う。