【2章】Black Horn(3)
かつてこの街、ラルドは、活気に満ち溢れた繁華街だった。
いたるところに商店が並び、町にはいつでも人々の声でいっぱいだった。
ここが賑わった最大の理由は、この街の地下にあった。
ラルドの地下は、マクトを含む鉱石でできていた。
そのため、作物は実り、鉱石は取れ、空気は澄むという、最高の環境が整っていた。
人々はラルドを「神域」と賞賛し、訪れる人は後を絶たなかった。
そう、あの「黒い角」が現れるまでは・・・。
「黒い角?」
ジェシーがオウム返しの要領で聞き返す。
「そうだ。マクトを餌にする化け物でな、地中を潜りながら移動するんだ。その時に、地上に真っ黒い角だけが出るからそう呼ばれている。」
「ずいぶんと安直なんだな。」
「ほっとけ。」
老人が呆れた目を向ける。
「それでな、その黒い角が俺たちの街を嗅ぎつけやがったんだ。奴にとっては格好の餌場だからな。」
老人は目を閉じた。脳裏にはその時の光景が浮かんでいるのだろう。
「比喩ではなく本当に地獄だったよ。奴はその角で、大地を切り裂き、建物という建物を破壊し、ひたすら土を食い続けた。」
閉ざされた老人の目がわずかに光った。
「何人犠牲になったか。それは今も分かってない。元から割り出す気も無いのかもしれんがな。」
ただでさえ低かった場の温度が大きく下がった。
「だけどさ。」
ライナスが割って入る。
「確かにここの土はデコボコしてたけど、とても魔物が食ったようには思えなかった。これはどういうことなんだ?」
老人は重い瞼を開いてその問いに答えた。
「ここの土には高度な再生能力がある。マクトの力が働いて土を元に戻そうとするんだよ。あの事件が起きたのが2年前だから、今の土質は当時と同じぐらいだろうな。」
「2年!?速すぎやしないか?」
「お前さん、マクトの力を侮ってはいかんよ。」
老人はいたずらな笑みを浮かべてみせた。
「んで?なんで町はそのままなんだよ?」
ジェシーが話を戻す。
老人は再びゆっくりとうなだれた。
「皆、あの事件の後死んでしまった。生きている者も、魂が死んでしまったのだ。ここには死体しかおらんのだよ。復興などできるはずがない。」
「だけどさ、そんなことばっか言ってたらいつまでも前に進めないじゃないか。過去は過去。未来は未来でしょ?」
ライナスが異議を唱える。
「そんなのはきれいごとだ、お若いの」
呻くように老人は呟いた。
「お前は、愛するものの死を目前にしてもそんなことが言えるか?自分が死ぬ寸前になってもそんなことがほざけるというのか?」
老人の力強い訴えに、ライナスは大きくたじろいだ。
「俺の家族全員が死んだ。奴の手、いや、角によって。あの時は休日でな。俺以外はオペラを見に行った。俺はあんなもんわからんからな。」
老人が拳を強く握りしめた。
「まさか帰ってきたときには死体になってるなんてな。もう恨む気力もなかったさ。」
どす黒い静寂が部屋を覆う。
「わしは家族だけでこのモーテルを切り盛りしていた。その経営方式を街のもんは人の温かみとか言って、大勢いたそいつらは毎日わしのモーテルに泊まりに来た。人がいない日なんてなかったほどだったよ。」
老人の向かいの二人はゆっくりと周りを見た。
そこにあるのは岩壁と木。それだけだ。
「無くして初めて気づくもんだなぁ。それこそが幸せだってことに。」
老人の声が振動を始める。
「わしは・・・あいつらに・・・何もしてやれんかった・・・。
みんな天国でわしを恨んでいるに違いない・・・。」
老人の頬は砂漠の上の運河のようになっていた。
「分ったか?これがこのモーテルの周りで起こったすべてだ。」
赤みがかった老人の目が二人を覗いた。
「もうお前ら帰れ・・・。どこの馬の骨かも知らないお前らにこんな姿を見せてたら死んでいった家族に申し訳がつかん。」
「帰るわけにはいかねぇな。」
はっきりとジェシーはそう言った。
「じいさん、あんたと同じ思いをしてるのは大勢いる。あんただけじゃない。みんな、愛する者を失った。そうだろ?」
「・・・何が言いたい?わしのやってることが甘えだとでも言うのか?」
老人の線のような目が立ち上がったジェシーをにらみつける。
「ちげぇよ。そんなやつらがもういなくなるように、根本から解決してやろうっつってんの。」
線が丸に変わる。
「お前さん・・・気は確かか?」
「あんたよりはマシだじいさん。」
再び線へと戻る。
「自己紹介がまだだったな。俺はジェシー。んで隣に座ってる女みたいなタマナシ野郎はライナスってんだ。」
「殺すぞ。」
「・・・わりい。」
身の危険を感じ思わず謝ってしまった。
「実は俺たちな、世直しの旅の最中なんだよ。ほんでここも絶賛世直し対象だから、俺らには世直しする義務がある。」
老人の涙はすでに止まっていたようだった。
「馬鹿言うんじゃねぇよ。気持ちだけは受け取っとくから帰れ。」
「義務だって言ったろ?これはあんたのためだけじゃねぇんだ。嫌なんだよ、これ以上あんたみたいなのが増えるのが。」
これだけ反応に困る言葉を老人は聞いたことが無い。
「ぶっ飛ばしてやろうじゃないの!黒い角だか赤いきつねだか知らないけどさ!」
「黒い豚カレーもね!」
「うるせぇよ!」
老人はもはや笑うしかなかった。あの話からこんな展開になるとは思いもしなかったからだ。
「よくわからんが、お前らならやってくれるような気がしてきたよ。」
手を叩き、老人はすっと立ち上がった。
「名前をまだ言っていなかったな。わしの名前はヤスパース。コリン・ヤスパースだ。」
「よろしくな、ヤっさん」
「距離感を保て貴様は!」
老人ヤスパースの怒号はさっきとは違って聞こえた。