[1章]Square One(1)
「雨かよ・・・。」
少年は黒いローブ越しから空を見た。
案の定、空には黒い雲が広がっているだけだった。
心なしかいつもより黒く見えるのはローブのせいだろう。
そう思いたかっただけなのかもしれないが。
少年は、王宮から10キロほど離れた街、ベンサムの通りを歩いていた。
父さんから聞いた話によると、彼はこの街にいるという。
ただ、この街のどこの家に彼がいるかまでは聞いていなかったことに10分前に気付いた。
そこは無計画な自分を恨むしかないだろう。
この忌々しい雨のせいで、外出している人間はほとんどいない。
仕方がない。飲み屋にでも行って情報収集してみよう。
そう思った矢先に、派手な看板が見えた。
でかでかと赤字で「Ken`s Bar」と書かれているので飲み屋であるということはすぐに分かる。
「うっし、今日はついてる。」
少年はそうつぶやくと、扉の陰に同化した。
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思えば、酒場に入るなんて初めてだな。
少年は、汗と酒の匂いに滅入りながらもカウンター席にたどり着いた。
座った瞬間、何やら寒気を感じた。
その原因が、周りに座っている男たちの視線だということに気付くまで5秒もかからなかった。
ガキがこんなところで何を?
彼らの白い目が、そんな疑問を物語っている。
そんな視線はお構いなしに、少年はマスターを呼び出す。
「ご注文の方は?」
心なしかマスターも少年を見下すような眼をしているような気がした。
「ペリエを1杯ください」
嘲笑。男たちの方から聞こえてくる。
ペリエとは、スパークリングナチュラルウォーターの名称の一つ、つまりただの炭酸水である。
酒場でペリエを注文するものは2種類の人間しかいない。
ゲコとガキのみだ。
そんなことは少年も承知だった。
だが彼は酒が飲めない。
未成年だからではなく、本当に苦手なのだ。
「かしこまりました」
店員の声が笑いで震えていたことには、さすがの少年も苛立った。
しばらくして、透明なグラスが少年の前に置かれた。
はたから見ると空のグラスに見えるが、少年の目からはちゃんと炭酸水が確認できた。
炭酸水を頼んだのは、別に喉が渇いていたからではない。
一般客としてふるまうことが重要なのだ。
酒場で何も頼まず聞き込みを行うのはさすがに怪しまれる。
何か頼むことによって、周りの客に、自分は普通の客としてこの店にいて、話を聞くのはそのついでだということをアピールすることができる。
自分は追われている身だ、ということを忘れていけない。
にしても誰に話を聞こう・・・。
カウンター席に座ったとはいえ、安心してはいられない。
とりあえず少年は、となりの席に座る男に訊くこととした。
「すまない。少し訊きたいことがあるんだが。」
少年の声を聞いた男は、光彩だけをこちらに向けた。
「あんだよ?」
「ジェシー・ドラクロアという男の居場所を知らないか?」
ガタッ。質問をした男の後ろで音がした。
右にいる男三人が少年を見る形となる。
「もういっぺん言ってくれ」
「ジェシー・ドラクロアの居場所を知りたい」
男の眉間に線が見えた。
「あぁ、知ってるさ」
次の瞬間、男の腕が少年の胸元に向かって伸びる。
「だがてめぇには教えねぇ。とっとと消えな」
少年は胸倉を掴まれているにもかかわらず、顔の表情の変化は何一つ見られない。
「知っているのなら教えてくれないか?彼に用があるんだ。なんで拒む必要があるんだよ?」
男の眉間に穴が開いた。よく見るとその穴はすべて線でできていることが分かる。
「お前みてぇなガキに、ドラクロアさんの居場所を教えるような真似をしたくねぇからだ」
少年は、ふっとため息をつく。
「じゃあ、どうしたら教えてくれる?金ならいくらでも出すよ。」
眉間の穴が深さを増す。
「そういうとこが気に入らないっていってんだよ、このボンボンが!」
胸倉をつかむ手に力が入る。少年の眉間に線が入った。
「僕はボンボンなんかじゃないさ。ただ彼の居場所が知りたいだけ。そのためには金も惜しまない。普通だろ?」
それを聞くと、男がニヤけた。
「ほぉ・・・。それだけでかい口叩けるっていうことは、腕もそれなりなんだろうな?」
胸倉が軽くなる。それを感じた瞬間、目の前がうす暗くぼやけた。
血の気の多いオッサンだこと・・・。
拳を顔だけでかわしながらそんなことを考えた。
今度は下から影が現れる。
少年は飛んできたボディブローを片手で受け止めた。
うわっ、軽っ
少年は男の1撃に心の中で評価をつけた後、右拳を男の顔面に向かって直進させる。
放ったストレートは男の顔面の5センチ右に空ぶった。
空を切った腕を、少年は力いっぱい曲げる。
拳が男の頸椎にヒットした。
目を見開きうめき声を上げる男。
すかさず少年は、隠し持っていたナイフを男の首に密着させた。
「これでもまだ、教えないって言うつもりかい?」
自分の命が危ない。男がそのことに気付くのに時間はかからなかった。
「わ、分かった。教えるからその光もんをしまえ」
男の目に恐怖の色が浮かんだのを確認すると、少年はナイフを後ろに引いた。
男は首全体をさすりながら話始める。
「ドラクロアさんは、ここから2ブロック先にあるログハウスに住んでる。ログハウスはこの街にあそこしかないからわかるはずだ」
2ブロック先。意外と近かったな。
「にしても、なんであんたそんな強ぇんだよ」
なんで強い?実践戦闘は初めてだから別に強くはないと思うんだが・・・。あ、そうか
「君が弱かっただけだと思う」
また男の眉間に穴が開いた。
よし、そろそろ出るか
カウンター席にある炭酸水を一気に飲み干す。
食道を駆け抜ける刺激が、疲れを忘れさせてくれた。
「ドラクロアさんによろしく伝えておいてくれよ、ボウズ」
知らないおっさんにそんなこと言われてもなぁ。
そう思いつつカウンターの上に紙切れを投げた。
ポケットに入れておいた5ドル札である。
行こう
出口に向かって歩き出す。すると、後方から声が聞こえてきた。
「あの、お客さん!」
マスターの声だ。
「釣りはいらない。とっておいてくれ」
一度言ってみたかったんだ~、この台詞!
少年の顔に、自然と笑みがこぼれる。
「1ドル足りないんですけど・・・」
「え」
快い笑いに酒場は埋まった。