第32話 忘れないでね
なんとかピンチを切り抜けた私は、渡されたフォークやコップをテーブルへ運ぶことに徹する。
おしゃれな紺色のお皿に盛られたカルボナーラが2つ。
「飲み物、何がいい?」
「えっと、何があるかな?」
「お水か、紅茶か、コーヒーか……それともお酒のがいい?」
「お酒で!」
「あ、逃げたでしょ?まあ俺が聞いちゃったんだけどね」
そうだ、再会した日のようにお酒の力を借りてしまおう。
「カルボナーラなら白ワインかな」
なんだかおしゃれなワイングラスと、よくわからないが高そうなワインを持ってきた九条くん。
テーブルを挟んだ目の前の椅子に座り、慣れた手つきでワインを開ける。
グラスに注ぐ姿は、まるでバーテンダーのようだ。
「乾杯しようか」
私は薄いガラスでできたワイングラスを、割れないように緊張しながらそっと持った。
「乾杯」
今まで飲んだどの白ワインよりもおいしいし、飲みやすい。
「あんまり勢いに任せて飲まないでね?」
「そ、そうだよね」
見透かされてあせあせする私と、高級レストランにいるような佇たたずまいの九条くん。
「俺のこと、忘れないでほしいからさ」
ぼそっと、伏せ目でちょっと寂しそうに呟く九条くん。
そんなことを言われたら、余計お酒に頼りたくてしょうがない。
仕方なくワイングラスをテーブルに置いたはいいけど、顔を上げることができない。
そんな私を気にせず、九条くんはカルボナーラを一口食べて
「結構おいしくできたよ?」
なんて言って笑っている。
私はというと、緊張で冷え切った手ではうまくパスタを巻けず、お皿をカチカチと鳴らしているだけ。
「――姫奈乃」
ゆっくり顔を上げると、パスタを巻いたフォークを差し出している九条くん。
「あーん」
なんて?ちょっと何言ってるかわからず、目をぱちくりすることしかできない私。
「ほら、あーん」
小さな圧力に屈した私はしぶしぶと小さく口を開けると、九条くんは嬉しそうだった。
「おいしい?」
「……おいしい」
本当においしかった。あまりにおいしいのでちょっとびっくり。
自分でもパスタをくるくる巻いて食べてみる。すると冷たかった手がすこしだけ温ぬくくなった。
食べているうちに緊張も解けてきて、少しずつ九条くんの声が耳に入ってくるようになった。
フォークと口を動かしながら、てきとうに「うんうん」と相槌を打つ。
結果、ほとんど何を話したかは覚えてない。
「ごちそうさまでした」
全部食べてお腹いっぱいになった私は、両手を合わせて顔を上げた。
そこには頬杖ついて微笑む九条くん。
「ほんと、かわいいね」
生クリーム使ってたよなーとか、胡椒が効いてるなーとか、カルボナーラのことしか考えてなかった私。
「姫奈乃、おいしかった?」
「あ、うん。その、おいしかったです」
食べることに夢中だった自分が恥ずかしい。穴があったら入りたいとはこのことである。
「忘れないでほしいって言ったんだけどな~」
「ごめんなさい。忘れてました」
この後が怖いと思っているのは私だけでしょうか?




