第31話 直球
――下の名前で呼ぶなんて、まるで本物の彼氏みたいだ。
九条くんが彼氏になるの?「晴」って呼ぶ?
私が!?
「クリスマスは晴って呼んでくれたじゃん。1回だけだけど」
そんなふうに上目づかいで見ないでほしい。うっかり落っこちそうになる。
九条くんが言う通り、私はあの日名前で呼んだのは駐車場の1回だけ。
その後は名前で呼ぶことを避けるように「ねぇ」とか「あのさ」で必死に誤魔化した。
うまくやり過ごしていたつもりなだったけど、バレバレだったんだ。
この状況を打開するべく、ギリギリ働く頭でなんとか言い訳を考える。
「だ、だって、私のこと……ひ、姫奈乃ちゃんって呼んでたし」
「――姫奈乃」
「なっ……」
「これで晴って呼んでくれる?っていうかさっき、姫奈乃って呼ばなかったっけ」
九条くんは言葉選びがうまい。案の定、私に勝ち目はなさそうだ。
「姫奈乃ちゃん」ですらときめいたのに、呼び捨てなんて……心臓が痛い。
きらきらと光る目が、私を離してくれそうにない。観念した私は息を大きく吸ってすーっと吐き、時間を稼ぐように何度も深呼吸をする。
「……晴」
泣きそうな、か細い声だったけど、なんとか振り絞った一言。これが今の私の最大限だった。
「何その言い方!襲われたいの?」
おどけているが、頭に響く低い声が本気だと私に警告している。
据わっている目とねちっこい視線。あまりに色っぽいので、私はのぼせる寸前である。
そんな私をよそに、パスタを茹でる九条くん。
名前呼びが終わり油断していると突然、九条くんに核心をついた一言を突きつけられた。
「――でもさ、姫奈乃?心の中では九条くんって呼んでるでしょ」
なぜそんなことまでわかるのか?無意識に後ろへと下がる体。
「あと15分ぐらいでできるよ」
そう言いながら、髪を耳にかけてこちらへと歩いてくる九条くん。
「火元から離れたら、あ、危ないんじゃない?」
「じゃあ姫奈乃がこっちきてよ」
「そ、それは……」
ソファーまで後ずさりしたが、もう逃げ場がない。
「大丈夫、まだ時間はあるよ」
「そ、うかな。私、火元見ようか?」
「んー、じゃあ一緒に見ようか」
結局手を引かれてキッチンに連行された私。九条くんの顔を見るなんていろんな意味で恐ろしく、お鍋を眺めるしかない。
「ほら、これで大丈夫ってわかったでしょ?」
「……うん」
さすがは高級マンション。オール電化なようで、火元がIHだった。
「姫奈乃はさ、俺のこと好き?」
立て続けに直球すぎる言葉で殴られた。
私は押し黙り、黙秘を続ける。なんとかうまく切り抜ける方法はないだろうか。
「俺は姫奈乃のこと、大好きだよ」
後ろから優しく抱き着きつかれ、耳元でささやかれる甘い言葉。
「ズルい。ズルいよ……」
「だって好きなんだもん。姫奈乃は?姫奈乃も同じ気持ち?」
「あ、その、えっと」
「俺のこと、好き?」
「……うん」
――ピピピ、ピピピ。
泣き出す寸前だった私は、ギリギリのところでタイマーに助けられた。




