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第3話 軍人の相棒


「陛下の指示によれば、まずは隣国との国境にあるオラカロンを目指せということです」



 アドルフは歩きながら地図を広げる。

 相変わらずの敬語だが、あえて指摘はしない。

 彼の腰に差した長剣が、歩くたびにカラカラと小気味よい音を鳴らした。



「オラカロンは、たしか帝国でも有数の商業都市ですね。旅に必要な物資をそろえろ、という意味でしょうか」


「オラカロンには、ギルド(職業別の組合)が多く存在すると聞いています。影武者に関する情報も集めやすいかもしれ――」



 そこでアドルフは、はっとしたように顔を上げ、視線を宙に彷徨わせる。

 どうしたのかと問いかける前に、



「口調を変えるのは、難しいものだな……仲間内では造作もないことなのに」


「ああ、敬語のことですか。無理に変えると逆にぎこちなくなるかもしれませんよ。ゆっくり慣れていけばいいと思います」



 僕だって、いきなり年上相手にフランクに話すなんて無理だ。

 

 城の中では、言葉遣いを厳しく躾けられてきた。

 十四年間、同年代の友だちもほとんど作れないまま、城壁や塀に覆われた空間で過ごしてきた。


 肩の力を抜いた話し方が分からないのは、きっとお互い様だ。



「ところで、オラカロンまでどれくらいかかるんでしょうか。僕はあまり体力がないので、できればこまめに休憩をとりたくて」


「そうですね……そうだな」



 律儀に言い換え、アドルフは一瞬だけ視線を持ち上げる。



「直線距離にすると徒歩で二日程度か。だが、途中に小さな山や川がある。オラカロンまでの道中には大きな街も挟むし、そこでの滞在時間も含めて……四日、ってところだろう」


「四日間、歩き通しですか」



 げんなりした表情が顔に出ていたのだろう。

 アドルフは横目で僕を見ると、ふっと小さく笑った。



「急ぐ旅じゃない。夜には宿で寝泊まりもするし、ゆっくり行けばいいさ」



 鋭く吊り上がっていた(まなじり)が、わずかに下がる。

 旅の相棒が初めて見せた柔らかな表情に、思わず笑みがこぼれた。



「……何か可笑しいか?」


「あ、いえ……アドルフさんは日頃から身体を鍛えているでしょうし、僕のペースは遅すぎるくらいに感じるかもしれませんね」


「気にするな。逆に俺のほうが速すぎると思ったら遠慮なく言え。旅の初日からはぐれたなんて、笑い話にもならん」


「あ、迷子の心配ならありませんよ」



 マントの内ポケットから、手のひらサイズのコンパスを取り出す。

 アドルフが興味深そうに僕の手元をのぞきこんだ。



「何だ、それは。ただのコンパスじゃないか」


「見た目はたしかに古いコンパスですが、これには特殊な魔力がかかっています」



 太陽にかざすと、透明なケースがキラリと小さな輝きを放った。



「このコンパスは、仲間とはぐれても位置を即座に指し示してくれます。ケースの中には、僕とアドルフさんの髪が一本ずつ入っていて、それが磁力のような役割を果たします」



 魔術学において、人族の髪の毛には一定の魔力が宿っているとされている。

 つまり、コンパスの魔力と毛髪の魔力が共鳴して、毛髪の主の気配をコンパスが検知できるのだ。



「ほう、便利なものだな。軍では軍犬を使って敵味方の匂いを追わせる訓練は受けたが……これは、その魔術版ということか」


「魔法や魔術は使い方さえ間違えなければ、生活を豊かにしますから」



 ――だがそれらは、時に他を癒し、時に他を傷つける。

 魔法魔術は、すべての生命の生殺与奪権を握っている。


 だからこそ、使い道を誤ってはならない。

 シュティルナー師匠から、口酸っぱく繰り返された教えだ。



「魔法や魔術は、剣と似ているな」



 アドルフは腰の剣に触れ、静かに言った。


 たった今朝、顔を合わせたばかりの僕よりも、遥かに長い時間を共に過ごした相棒。

 幾多もの戦時において、自身や仲間の窮地を救い、同時に敵を切り殺してきた存在。


 命のやり取りが常である軍人にとって、たしかに剣も魔術も似た意味を持つのかもしれない。



 軍人は、時に非情な決断によって目の前の相手の生命を奪い去る。

 それは、祖国の勝利と繁栄に貢献するための、神聖な行為であると父上は賜っていた。


 幼い頃の僕には父上の言葉が理解できなかったし、今も完全には飲み込めていない。



 けれど、今僕の隣を歩く若き軍人は、むやみに人殺しをする冷血漢には到底見えない。

 かといって、愛国心だけのために平然と誰かを傷つける男にも見えない。



 鋼のような瞳の奥に、ふと見え隠れする柔らかな光――。

 それこそが、アドルフ・ウィルヴィンという男の本質なのではないか。



 そう思うのは、僕の早とちりだろうか?



 その答えも、きっと旅の中で見えてくるはずだ。

 彼のすべてを知るには、僕たちの時間はまだあまりにも短すぎる。


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