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第38話 謎の壁


「壁に、魔術だと?」



 眼前にそそり立つ赤い壁を見上げ、両手を這わせるアドルフ。

 


「まさか、ここからタリア王国へすり抜けられる……とかないよな」



 堅物の軍人にしては、気の利いた冗談(ジョーク)だ。

 一方、植物学者は僕の肩に手を添えたまま、怪訝そうに尋ね返した。



「この壁に何らかの魔術がかけられているとして……誰が、一体何の目的で?」


「それよりも、今はネイサンの腕をどうするかが先決だ」



 アドルフの指摘に、僕は「そう……ですねっ……」と短く吐き出す。


 レンガの隙間に肺が圧迫され、呼吸が浅くなり始めているのだ。

 壁と密着した右半身も熱を帯び、壁に()()されるのではないというおぞましい発想が胸を掠めた。



「物理的に引き抜くのが難しいなら……魔法で壁を壊す、とか?」


「それは……僕も最初に……考え、ました」


 

 ベンジャミンの提案に、顔をべったり壁につけたまま、辛うじて返事する。

 力加減さえ間違わなければ、変化魔術を応用して壁を砕くことも可能だ。



「ただ……この壁には何か……強い意思を、感じます。ただ壊せばいい……そんな仕掛けじゃ、ない気がして」


「とはいえ、このまま壁と一体化しているわけにも、いかんだろ」



 アドルフの、ほんの少し荒っぽい息遣い。

 大柄な彼もまた、狭苦しい隙間に閉じ込められ、限界を感じ始めているのだ。

 僕の肩を握るベンジャミンの手も、かすかに震えている。



 早く、この奇怪な状況を何とかしなければ。

 意識がぼんやりしかけたとき、ふと軍人の冗談が頭をよぎった。



『ここからタリア王国へすり抜けられる……とかないよな』



 ……すり抜ける?

 そうだ――抗うから、相手も抵抗するのだ。いっそ、この状況を受け入れてしまえば――



 辛うじて自由な左手で、マントの中をまさぐる。

 杖を取り出し、杖先をそっと壁に押し当てた。


 自分に、できるだろうか。

 必要なのは中級以上の魔術。失敗すれば、術が自分に跳ね返る危険もある。



『魔法や魔術は、大切なものを護るときに使いなさい』



 ふと頭の中でこだました声は――師匠か、あるいは父上の言葉か。

 汗がにじむ左手で、杖をきつく握り直す。



「ベンジャミンさん、アドルフさん……できるだけ、離れてくだ、さい」


「ネイサン? 一体何を――」


「早く!」


 

 鋭い叫びに、二人は無言でじりじりと後退し始めた。


 呼吸を整える余裕もないほど、息が詰まったように苦しい。

 そんな中で、呪文書の一節を必死に思い浮かべる。

 同時に、どこからともなく師匠の声が僕にささやきかけた。



『意識を乱すでないぞ、ニコライ。体内を巡る魔力が、杖先に集まっていくイメージじゃ。杖に意識と魔力を集め終えたら――』



〈――アラービ・パ・アルータラ〉



 詠唱した瞬間、壁の中の右腕が大きく波打った。

 目の前の赤い壁が、獣めいた唸りとともに激しくうねり出す。


 植物学者の「ひっ!」という悲鳴じみた声が、左側から聞こえた。

 その叫びにつられ声を上げそうになり、腹にぐっと力を入れる。



 やがて、壁は少しずつ形を変え、僕を迎え入れるように飲み込んでいく。

 腕を、肩を、そして全身を――。



 全方向から身体を押しつぶされ、吐き気さえ催すほどの不快感に耐える。

 


 気づけば、全身が完全にレンガの壁へと吸い込まれていた。




 ◇◇◇




 ――成功した!



 壁の中に沈んだ瞬間、胸にため込んだ空気を一息に吐き出した。



 魔法の世界では、見習い泣かせとも言われる「通過魔術」。

 師匠との訓練でも、何度壁や床に頭を激撃させたか分からない。

 

 その「痛み」の記憶があるからこそ、実感する。今、僕は()()()()()のだと。



「っはあ……それにしても、ここは一体……」



 やっとのことで呼吸を整え、周囲をぐるりと見渡す。

 足元すら判然としないほどの闇が、辺りを静かに包み込んでいた。

 かすかに漂う冷気が、汗ばむ肌をひやりと撫でる。



 このままじゃ、進むもの戻るのも一苦労だな……。

 

 

 マントに手を入れ、取り出した杖に意識と魔力を集中させる。



〈コ・リーゲル・ルークス〉



 闇の中に、パッと小さな光球が灯る。

 これなら、即席のランプ代わりとして充分だ。


 改めて周囲を照らし出すと、足元から周囲の壁も含めて、空間全体にゴツゴツと岩肌が露出していた。

 まるで、洞窟に迷い込んだかのよう。

 これが商業都市の路地裏だとは、にわかに信じがたい光景だ。



「ここは……先に進んでいいのかな」



 杖先を前方に向けるが、光の球が小さく奥まで見通しが効かない。

 進行方向には深い闇が口を開け、かすかに風も吹きこんでいる。


 深呼吸をひとつして、おそるおそる一歩前へ進み出た。

 ブーツの裏に、固い凹凸の感触。

 足元は不安定だが、歩けないほどの難路ではない。


 そのまましばらく進むと、突然目の前に温かな臙脂色の光が灯った。

 ぱっと足を止め、意識を前へ集中させる。

 


 ――何か、いる。



 ほんの微弱だが、たしかにする。()()()の気配がある。

 それが、魔力を有するものなのかは、ここでは判別できないが……。



 踏み込むしかない、か。



 オルガノ山で、仲間とはぐれた記憶がよぎる。

 あのときは二人の安全が最優先だったが、今は状況が違う。

 街中で待つ彼らに、今すぐ危険が及ぶ心配はない。



 ならば、あとは――己の足で、進むのみ。



 杖をぎゅっと握りなおす。

 息を整え、炎が揺らめくような灯りに身を投じた。


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