第34話 魔物狩りの男
「――アドルフさん、遅いですね」
猫背の男と軍人が路地に消えてから、どれほど経っただろう。
アフタヌーンティーほどにも、オルガノ山の長い一日くらいにも感じられる。
人を待つことは、これほど気持ちを波立たせるものなのか。
「心配はもっともですが、まだ飛び込む段階じゃありませんよ……彼なら、きっと大丈夫です」
逸る気持ちを、植物学者に軽く諫められる。
とはいえ、彼の語尾にもわずかながら不安の色が滲み始めていた。
「争うような物音は聞こえませんし、男を見失ったか……あるいは」
「あるいは?」
路地を見据えたまま、植物学者は小さく唸る。
「アドルフさんが男に追いついているのなら、交渉の真っ最中かもしれません」
「交渉、ですか」
「私はギルド事情は門外漢ですが、もしギルドに独自のルールが存在するのなら、情報提供もタダでというわけにはいかないでしょう」
思い出す。
旅人ギルドの支部所でアドルフが情報を求めたときの、大男の言葉。
『どんな情報がお望みだ。中身によっちゃ、高くつくぞ』
旅人にとって情報は、時に金銭以上の価値を持つ。
そして、情報の危険度が高い分、扱いを誤れば取り返しがつかない。
もし、猫背の男が脱獄者について何かしら知っているのなら。
それ以上の価値ある情報――いわば、交渉で切るためのカードは必須。
だが同時に、もたらされた情報が間違っていれば。
次に賭けるのは、情報ではなく僕たち自身の命。
手にした長剣を、ぐっと握り直す。
武器や杖を振りかざすことだけが、戦いなのではない。
相棒から預かった剣に、そう諭されているような気がした。
◇◇◇
路地に消えた仲間は、一向に姿を見せない。
預かった長剣を握る手に、じっとり汗がにじみ出す。
落ち着かないまま、右手に左手にと剣を持ち替えること、三度目。
路地の暗がりから、ゆらりと二つの影が這い出た。
軍人アドルフと――猫背の男だ。
「アドルフさん! 無事だったんですね!」
思わず駆け寄ると、いつもの半分呆れたような声が返す。
「別に戦闘していたわけじゃない」
「そうかもしれませんが……長い時間、姿を見せなかったから」
心配してたんです――剣を返しつつ、こぼれかけた本音をぐっと飲み込む。
アドルフは、無事に戻ってきた。
ならば、これ以上は不安を口にする必要もない。
「大袈裟だな。ちょいと、この男と話し込んでいただけさ」
アドルフの背後で、くたびれたとんがり帽子がちょいと動く。
帽子のつば下から、鋭い視線が一瞬だけ僕たちを掠めた。
「それで、彼は何を……?」
「まあ、こんなところで立ち話も味気ない。てきとうな店にでも入ろう」
堅物な軍人からの、意外な提案。
あっけらかんとした口調に、僕と植物学者は思わず顔を見合わせた。
◇◇◇
「そこの軍人さんから話は聞いたよ。あんたら、“魔物の臓物”を越えてきたんだって?」
木製のカップを傾けながら、猫背の男――ダロドネスは興味深げな視線を僕たちに向ける。
「しかも、旅を初めてまだ数日だって言うじゃねえか。旅のいろはも知らねえうちに……正気の沙汰じゃねえよ」
酒を飲んでいるわけでもないのに、口調が妙にふわふわしている。
店の特性ドリンク──アマルディアーノのせいか。
手元のカップから漂う匂いは、たしかに酔いそうなほど甘かった。
「だが、あんたもあの山を越えたいんだろ?」
アドルフが斜め向かいから静かに問い返す。
それこそ、路地の交渉で軍人が切ったカードだ。
オルガノ山の情報と、エルディア帝国からの脱獄者の情報。
互いの欲を天秤にかけ、交渉は成立したのだ。
アドルフは、ダロドネスの素性をさらりと僕たちに紹介した。
彼は「魔物狩り」を生業とする狩人らしい。
魔物狩り、と聞いたところで、僕はある疑問を男にぶつけた。
「魔物狩りってことは、魔力を持つモンスターが獲物ですか」
「そりゃ、魔物だからな」
「それじゃあ、あなたも魔力を──」
言いかけて、一瞬口ごもる。
魔法魔術を操る者は、安易に自身の素性を晒してはならない。
シュティルナー師匠から叩き込まれた鉄則だ。
「いやいや。残念ながら、俺にゃそんな大それた力はないよ。俺の狩りは、魔道具の力を借りてんのさ」
ダロドネスは、足元の弓と矢籠を指す。
よく使い込まれてはいるが、ありふれた狩人の装備に見えた。
「この弓矢には、特殊な魔力がかけられている。ある程度の魔力持ち相手でも通る代物だ」
「ですが、魔力を持たない者が魔道具を使いこなすのは簡単じゃないと、噂で聞いています」
「その通り。だから鍛錬を重ねたさ……血のにじむような、死ぬほど苦しい鍛錬をな」
遠い思い出を語るように、男の視線は宙を彷徨う。
その声の響きに、師匠と魔法魔術の訓練をしていた記憶が重なった。
「──っと。俺の昔話なんざどうだっていい。あんたらが聞きてえのは、もっと別の話だろ」
ダロドネスはテーブルからぐっと身を乗り出す。
濁る瞳の中に、獲物を前にする狩人の光が宿った。




