第24話 第二のモンスター
最初の休憩地点を過ぎたあたりから、道は徐々に傾斜が増えはじめた。
足は鉛のように重く、一歩進む度に足が泥へ沈み、体力が削られる。
深呼吸をしても、口からは薄い霧のような息しか漏れない。
「……あ、あの。そろそろ、もう一度休憩を……」
最後尾で弱音をこぼすと、前を行く軍人と植物学者が足を止めた。
優しい学者は、動けない子どもを引き上げるように、そっと手を伸ばしてくる。
「大丈夫ですか。少し、坂道が増えていますから」
「普段から足腰を鍛えていないからだ」
ベンジャミンの背中越しに、アドルフの淡々とした声が返す。
言い返す余裕もない。
言葉以上に、足の震えが事実を物語っていた。
「本当に山小屋が無いんですね……森に入ってテントを張るのも難しいし」
密生する木々は互いの影を飲み込み、地面は露と泥で埋まっている。
この山に、人族の安息地など存在しない――そう言われているようだ。
「あ、あそこの岩。椅子代わりではありませんが、ちょっと腰かけるくらいならできそうです」
ベンジャミンが指さす先に、全長が人の大きさほどもある巨岩が立っている。
トロールが運んだ岩を置き去りにしたかのようだ。
……本当にそうでなければいいのだが。
「じゃ、じゃあちょっとだけ」
一歩、二歩と近づき、背中からそっと触れてみた。
ひんやりとした冷たい感触が布越しに染みる。
体重を預けた安心感で、全身がふっと脱力した。
あーあ……ここからしばらく動きたくない。
視界が薄れ、意識が遠のく……不意の睡魔が、上半身をぐらりと揺らした。
いや、これは――押し出される感覚。
次の瞬間。
「ネイサン! そいつは岩じゃない! 離れろ!」
アドルフが絶叫した直後、背中に尋常でない力が加わった。
爆発で発生したような風圧に弾かれ、身体が一瞬にして前へ吹っ飛ぶ。
そのまま宙を舞い、泥の上を勢いよく転がった。
舌に泥が絡み、吐き出した唾が黒く飛ぶ。
「な、なんだあいつは」
剣を構えたアドルフが、闇の中で蠢く巨大な影を見上げていた。
薄霧を弾くように爛々と輝く二つの目。
風もないのに上空へと逆立つ、豊かな毛髪。
ぼうぼうと生えた顎髭から、血のような赤い滴がぽたりと落ちる。
特筆すべきは、その体長。
アドルフの二倍以上もあり、頭は森を突き抜けるかのよう。
丸太のように逞しい腕や足、人を食った後のように大きく膨らんだ腹。
「あれは……オーガです! 凶暴かつ残忍で、人の生肉を喰らう――」
「人喰い鬼、ってやつか」
剣を構えなおしながらも、アドルフは慎重にオーガとの距離を取っている。
剣術では勝てない、と理解している動きだ。
その判断は、正しい。
「ネ、ネイサン……さっきの、インプにかけたあの魔法で!」
ベンジャミンが震える指をオーガに向けた。
そうだ。オーガの動きを封じ、その隙に逃げる。
杖を抜き、泥を払って立ち上がった。
背に走る激痛を噛み殺し、喉から言葉を絞り出す。
〈プロイベロ・モ――〉
オーガの動きが、僅差で早かった。
泥をまき散らし、三人に向かって突進してくる!
◇◇◇
「避けろ!!」
怒号と同時に、三人は森の中へ駆け出した。
オーガの雄叫びが山を震わせ、背後で土が砕ける音がした。
魔獣の咆哮に木々が怯え、枝葉の擦れる音が雨のように降り注ぐ。
「ベンジャミンさん! 無事ですか!」
走る速度をわずかに緩めながら、左右を見回す。
背後から、聞き慣れた弱々しい声が返ってきた。
「は、はいっ……でも、アドルフさんが――」
ふたり立ち止まり、後ろを振り返った。
そこにアドルフの姿は、ない。オーガの影も。
僕らが来た道を覆い隠すように、枝葉が上空から静かに垂れ下がっている。
「アドルフさんは……どこに」
「オーガが突っ込んだとき、別方向に……もしかして、私たちを逃がすために」
背筋が凍る。
もし、彼がオーガの囮になったのだとしたら――。
慌ててマントをまさぐり、魔力がかけられたコンパスを取り出す。
透明なケースの中で、三本の針のうち一本が狂ったように回転を続けていた。
「森の魔力が空間を歪めているんだ……これじゃ、アドルフさんの正確な位置が分からない」
「と、とにかく来た道を戻りましょう。あの一本道に出れば、オーガの足跡があるはずです」
僕たちは、深いの森の中を再び全力で駆け出す。
息が切れても止まれない。
次にあの魔獣の声が聞こえたら、そのときは――
アドルフの命が、危ない。




