第25話 仲間の窮地
僕たちの行く手を遮るように、頭上から垂れ込めた枝葉が視界を塞ぐ。
枝先が頬をかすめ、ひりつくような痛みが走った。
それでも、足を止めるわけにはいかない。
アドルフに――仲間の命に、危険が迫っている。
人肉を喰らうオーガは、インプとは格が違う上級モンスターだ。
いくらアドルフが百戦錬磨の軍人でも、魔力のない人族にすぎない。
魔物の力を有するオーガに剣一本で挑むなど、無謀以外の何ものでもなかった。
「あ、ここです! オーガに襲われた一本道」
ベンジャミンの声に、足を止める。
泥道は何か巨大なものが踏み荒らしたように平らになり、爪痕のような凹みが連なっている。
たしかにオーガと遭遇したあの場所だ。
再びコンパスを取り出す。
だが針は依然として、定めを失った鳥のようにデタラメに回転し続けている。
この魔道具も、山の中では役に立ちそうもない。
諦めて仕舞い込んでいると、傍らでベンジャミンが上ずった声を出した。
「あ、あれ……ネイサン、あの剣、アドルフさんのものじゃ」
僕らが駆け込んだ森と、反対側に広がる空間。
その入り口に、見覚えのある長剣が転がっていた。
青いグリップに刻まれた金の太陽——エルディア帝国軍の象徴だ。
「間違いありません。アドルフさんの剣です。でも、どうしてこんなところに」
「武器を捨てて逃げたのでしょうか」
違う。
アドルフにとって、剣はただの武具ではない。
誇りであり信念であり――ともに戦場を生き抜いてきた相棒だ。
そんな大事なものを、あっさりと手放して逃げるだろうか?
「何か、彼なりの考えがあるのかもしれません。とにかくオーガの足跡を辿りましょう」
地面に横たわる剣に、杖先を向ける。
〈ディ・フェンシオ・コペーリオ〉
剣が水面のように波打ち、薄い膜がふっと覆った。
ベンジャミンは地面を凝視するが、彼の目には魔力のかかった膜は映らない。
「あれ、今一瞬だけ剣が歪んだような」
「防御魔術をかけたんです。術を解かない限り、誰かが剣に触れようとすると魔力で弾かれます」
左手の森へ視線を向ける。
アドルフの叫びも、オーガの咆哮も聞こえない。
大砲のような怪物の足跡が、森の中へ点々と続いている。
「急ぎましょう……早く二人を見つけないと」
◇◇◇
一本道の左側に広がる森は、さらに鬱蒼とした重い空気に包まれている。
大小の岩が散らばる道なき道は、人の足で進むには険しすぎる。
オーガが蹴散らした跡なのか。
「私たちも、かなり森の奥まで走りましたけど……アドルフさんは、どこまで逃げているのでしょうか」
足をもつれさせながら、ベンジャミンが息も絶え絶えに言う。
オーガの足跡は途切れず、真っすぐと――僕らを誘うように続いていた。
「もしかして、これは罠かもしれません」
「罠?」
ベンジャミンが僕を見る目に、恐怖が滲んだ。
「オーガは決して知能が高いわけではありませんが、人を陥れて襲うくらいの知恵はあります」
「この足跡は、私たちを罠に誘うためのものだと?」
断言はできない。
だが、これ以上むやみに足跡を追うのは危険だ――直勘が警鐘を鳴らしていた。
マントに手を入れ、杖を取り出す。
杖先を顔の前に構えた瞬間――気づく。
杖が、冷たい。
鈍く、重く、力が通っていない。
シュティルナー師匠の忠告が、耳の奥に蘇った。
『杖の魔力は、術者の魔力とつながっておる。ゆえに、魔力の消耗は杖にも響く。限度を知らず杖を振るうは愚か者――忘れるでないぞ、ニコライ』
インプを炙り出した風魔法。
足止めのための制御魔術。
マント修復の変化魔術。
そして先ほどの防御魔術。
早く森を抜けたい一心で、焦りに任せて魔力を湯水のように使っていた。
自分の力を万能と錯覚し、危うい一線を踏み越えかけていたのだ。
唇を噛みしめながら、杖をマントに仕舞い込む。
「もしオーガがアドルフさんを追ったのなら、近くにアドルフさん自身の足跡もあるはずです」
慎重に地面を探ると、僕の靴底より二回りほど大きい大型のブーツ跡が、森の奥へと伸びているのを見つけた。
「これだ。アドルフさんの足跡。追いましょう、霧が濃くなる前に」
森全体が、白い海の中へ沈みかけていた。
ベンジャミンの足音を背中で感じ取りながら、マントの中に指を伸ばす。
普段なら滑らかな肌触りのフレアシダーの杖が、水分を失ったかのようにざらついていた。
頼れる魔術は、今やほとんど残っていない。
震える肺に空気を押し込み、前を見据える。
恐怖は、消えていない。
それでも僕らは、仲間と怪物の待つ闇へ足を滑り込ませた。




