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第14話 恐怖の山の噂


 お祭り騒ぎを抜けると、あれほど響いていた喧騒がすっと遠ざかり、落ち着いた生活圏が姿を現した。



 新鮮な果物や野菜を売る市場。

 小ぢんまりとしながらも清潔感のある宿。


 酒場の前に集った男たちは、昼間から酒瓶の音を響かせる。

 その隣のパン屋では、腕まくりした女店主がテキパキと店先を切り盛りしていた。


 視線を少し動かせば、工房の軒先に並んだ商品を旅人が品定めしていたり。

 質屋の店主が、客から預かった品を渋い表情で値踏みしていたり。



 祭りの賑わいとは、まるで別世界。

 その景色もまた、僕の日常にはないものばかりだ。

 


「ここなら丁度いい。ソアラの森で傷んだ服を直してもらうか」



 相棒の言葉に、改めて互いの服を見る。

 僕のマントはあちこちに小さな穴が開き、アドルフの服は泥や砂埃が目立つ。

 森での激しい戦闘を、生々しく物語っていた。



「衣類も少し買い足しますか? またソアラの森みたいなことが起きたら、予備があると安心ですし」


「そうだな。それに旅の間、必ず宿が見つかるとも限らん。調理器具も最低限そろえておこう。城で用意された器具は上物すぎた」



 エルディア城で使われる食器は、どれも一流の職人が作った高級品。

 アドルフの言う通り、旅の中で雑に扱うには気が引けるくらいの代物だ。



 本音を言えば、魔法や魔術があれば大抵のことはどうにでもなる。

 具現化魔術を使えば、材料いらずで料理を作り出せるし、森の中でテントを出現させるのも朝飯前だ。


 魔法魔術は、人の生活を豊かに、便利にする。いとも簡単に。


 けれど、旅の中でむやみに力を使う行為は、父上との「契約」で固く禁じられている。



『魔法魔術は、あくまでも危機に瀕した際においてのみ使用すること。旅に必要な生活くらい、自分の手でこなせ。旅先には、侍従も料理番も連れていけない。己の力で生き抜く術を学ぶ――それも旅の目的だ』



 一言一句が胸に刻まれた、父上との契約の言葉。

 シュティルナー師匠からも、魔術訓練のときに同じようなことを叩き込まれた。



 魔法や魔術は、楽して生きるための力ではない。

 必要な場面で、必要な目的のためにだけ発動させるもの、と。



 だからアドルフにも、安易な提案はしない。

 軍人の彼なら、僕から言われるまでもなく承知の上だろうが。




 ◇◇◇




「――よし。これで一通りそろえたな」



 通り沿いのベンチに腰を下ろし、アドルフがリュックの中身を一つひとつ丁寧に確認していく。

 旅に出る前、父上から十分すぎるほどの軍資金をもらっていたので、物資補充に困ることはない。

 


 ……僕が、ウーラ村の酒場みたいに無計画な金の使い方をしなければ。



「服やマントもきれいに直りましたね。あの仕立て屋の女性、まさに魔法のような手さばきでした」



 てきとうに見つけて入った仕立て屋の主は、見た目だけならパン屋の女店主だった。

 が、彼女の裁縫の腕はたしかな職人――いや、それ以上だった。

 

 破れた布が彼女の丸々とした手に触れた途端、みるみるうち新品同然になっていくのだ。

 圧巻の技に思わず拍手したら、「やめてくれよ、恥ずかしい」と背中をバシバシ叩かれた。


 ……あとで痣になっていなければいいが。



「人族の器用さは魔法にも劣らない、か」



 アドルフは手直しされた自分の服を眺め、満足げに頷いた。

 その表情、仕立て屋さんの前で見せればよかったのに――とは、彼の前では口が裂けても言えない。



「そういえば、最後に彼女がしていた話ですが」


「話? ……ああ、オルガノ山の噂か」



 仕立て代を払い、店を出ようとしたところで彼女は出し抜けに声をかけてきたのだ。



『あんたたち、旅の者ならオルガノ山に行くのかい?』



 その山の名が初耳だった僕は、「オルガノ山?」と鸚鵡(おうむ)返しする。

 一方、アドルフは聞き覚えがあるのか、ちょっと考える素振りをしてから静かに答えた。



『オラカロンへの近道なら、通るかもしれません』


『あー……やっぱりね。悪いことは言わないよ、あの山はやめときな』


『なぜです』


『なぜって、危険だからに決まってるだろう。あの山、巷じゃ“恐怖の山”って呼ばれてるんだ。あそこへ入って、生きて戻った旅人はいない。ギルドの男たちが口を揃えて言ってるんだから』



 ギルド――職人や商人らの互助組織で、世界各地のさまざまな情報が集まる場。


 文化都市エミュンカラのギルドなら、なおさらその規模も大きいはず。

 そこでの噂となれば、まったくのでたらめとも言い切れない。

 


『うちの客が、オルガノ山で魔獣の餌食になったなんて寝覚めの悪い話、聞きたくないよ』



 仕立て屋の顔から笑みが消え、代わりに険しい表情が浮かぶ。

 去り際、アドルフは「情報料だ」と言って百シロン銀貨を一枚手渡した。



『ほんとに、悪いことは言わないから。あの山はやめておきな』



 繰り返した彼女の声は、ほんの少し寂しげだった。

 まるで、これが僕たちとの最初で最後の会話になると、悟っていたかのように。


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