本当は教えたくなかったので御座います。
冬の最中でも美味しい野菜が食べたい。
シエルはそう思って庭に小さな温室を作って貰った。作ってくれたのは庭師のジョンとアズの親子である。そこはシエル専用の癒しの場所でもあった。
シエルはここで植物の世話をしていると心が落ち着いた。手を動かしながらアレンの事や領地の事、村々の事を考える。不思議と集中して考える事が出来た。
アレンとの思い出を胸に土をいじっていると、恋しさやら寂しさやらが胸に押し寄せて泣けてくる時があった。
そんな時は神様に「アレン様が無事で早く帰ります様に」と願う。
「アレン様のお陰でようやく私に居場所が出来たのだから。このご恩は決して忘れない」
そう言って感謝する。
アレンとシエル夫婦は王弟であるチャニ公爵が仲人である。
東の辺境伯。戦場の黒豹。
アレン・ロイド伯。
美丈夫な武人であるが、気難しくて女嫌い。
冷たい男。
そんな噂が流れていた。
不愛想でにこりともしない。
懸想する貴族令嬢は数多おれども目もくれない。
あのクールなお顔を微笑ませて見せたい。女性達はそう思うが、滅多に社交界にも顔を出さない。
結婚を心配する両親も祖父母も彼にはいない。
祖父母は彼が小さい事に亡くなっていたし、彼が成人した年に両親は事故で亡くなってしまった。
彼は天涯孤独の身である。
早くに家督を継いで、家人達と一緒に暮らして来たのだ。
アレンとシエルが初めて出会ったのは王室の舞踏会。
無理やり引っ張り出されたのだ。
18歳で社交界デビューを果たしたシエル・サレント伯爵令嬢。
家族に疎外されて学園の寄宿舎でずっと暮らしていた。
サレント伯爵家ではシエルの母である正妻が亡くなって父が再婚した。
シエルが10歳の時だった。
その再婚相手に疎まれて、散々いじめられ、挙句の果てに寄宿舎に追い立てられた。
寄宿舎に入った生徒の中で彼女が一番小さかった。
けれど家を離れたシエルは心底ほっとした。
結婚相手が見付からなければ、将来は修道院で暮らす。
シエルに興味の無い父親と義母はそんな風に言った。
シエルは学園にいた5年間一度も家に帰っていない。また家族が訪問する事も無かった。
それを気の毒に思ったのは学園の学園長だった。
真面目で優秀なのに家族に疎まれるシエルに誰かいい相手を探してやって欲しいとチャニ公爵夫人に頼んだのだ。
公爵夫人と学園長は旧知の間柄である。
それで紹介されたのが泣く子も黙る戦場の黒豹なのである。
舞踏会で顔合わせをした後、あっさりと結婚を了承したアレン。
「王弟殿下のお勧めではお断りする事などで出来ますまい」
彼はそう言った。
シエル18歳。
アレン28歳。
二人はアレンの領地でささやかな華燭の儀を挙げた。
サレント伯爵は妻と二人の子供を連れて出席した。
妻は婿に色目を使い、弟は戦場の黒豹に目を輝かせ、下の妹は
「私がこのおじちゃんと結婚する」と言って泣いた。だが、妹はまだ6歳。到底ライバルにはなり得なかった。
◇◇
温室には野菜もあるが花もある。
ジョンは「全く、貴族の奥様が土仕事なんかするもんじゃありませんぜ」と言うが、肥料や土を工夫して上手に花が咲いたりすると、とても褒めてくれた。
「なかなか筋がいい。こりゃあ、立派な庭師になれますぜ」
シエルの育てた作物や花を眺めてジョンはシエルを自分の弟子と認め、色々とアドバイスをしてくれる様になった。
(ジョンは先々代からの庭師でこの屋敷の中で一番古株である)
シエルはそこから薔薇の花を切ってきてアレンの寝室に飾った。
それを見たアルルが是非花を見たいと言った。
教えたくは無かったが温室に花がある事を教えてあげた。
◇◇◇◇
シエルは机の上の書類からふと目を上げた。
杖を突いたアレンとアルルが並んで散歩をしている。時々、アルルがアレンの腕を取る。
あれは旦那様が転ばない様に気を付けているだけ。
シエルはそう自分に言い聞かす。
外は明るい青空が広がっている。良い陽気だ。
二人の姿が温室に消えて行った。
その姿を見詰めていたが、机上の書類に目を落とした。