25
そうして歪な関係を保ちながら過ごしていたアリスに、ある事件が起こった。
部屋で過ごしていたアリスがいつものように使用人に見守られながら眠りに着こうとした時だった。突然、見守っていた使用人がアリスの口を塞ぎ、縄で縛り、大きな袋に入れてアリスを家から連れ出したのである。
縄で縛られ、袋の中に入れられたアリスは抵抗できず、そのまま何かに乗せられて行ってしまったのだった。
それが「誘拐」だと気づいたのは、袋越しでも分かる程の朝焼けの光に気づいた時だった。
誘拐されたアリスはそれから何時間も揺られ続けた。縄を解こうとしたけれど、体力を消耗するだけだったのでジッとすることにした。
そうして何十時間も何かに揺られていた時だった。突然、悲鳴が聞こえて、アリスは何かから放り出された。
放り出された影響で袋の口が緩み、アリスは這いずって袋の中から出ると――待っていたのは、阿鼻叫喚の光景だった。
見知らぬ男達が、熊のモンスター――「バーベアー」に襲われており、殆どの者がその爪で切り裂かれて命を絶っていた。生き残っていた男も最後には咽喉を食いちぎられて絶命した。
血が噴き出し、荷馬車が真っ赤に染まっていく。頭が真っ白になったアリスに、バーベアーが近付いてくる。
「……はふ、け……とぅ、さ……お、ぇちゃ……」
か細い助けを呼ぶ声は、空気に溶けていった。
そして、バーベアーの爪が振り下ろされようとした瞬間――アリスの前に何かが飛び出し、それは眩い光を放った。
その光に当てられたバーベアーは背を向けて死体を踏みながら走り出し、やがて森の奥へ消えていった。
「……ちょお、お?」
アリスの前にやって来たのは、虹色の蝶だった。
蝶はアリスの方を振り返ると、ひらひらと飛び、アリスの周りを一周する。
すると、アリスを縛っていた縄がちりちりと粒子のように消えていった。
自由の身になったアリスが呆然と身体を見下ろしていると、蝶がアリスの目の前を横切って真っ赤に染まった荷馬車に向かっていく。蝶の動きを目で追ったアリスはそれで、荷馬車に小さめの黒いローブが置かれていたのに気づいた。
アリスは荷馬車に乗ると黒いローブを手に取り、羽織る。すると、アリスの周りを飛んでいた蝶は、森の中に入っていった。
それを見たアリスは少し躊躇ったものの、暫くして蝶の後を追った。
最初は歩きだったものが、次第に駆け足になり、やがて全速力となる。
一刻もあの場所から離れたくて。頭を過る死体の記憶を消したくて。緊張しているのか真っ直ぐ走れなくて木に何度もぶつかっても、木の根っこに引っかかって盛大にこけて至る所に傷をつけても、足の裏が傷だらけで真っ赤になっても、アリスは早くあの場から去りたくて、必死に蝶の後を追った。
そうして蝶に着いていった先で、アリスは出会ったのだ。
灰色の髪に深紅の瞳を持つ、褐色肌の男――ディアと。
ディアの第一印象は「知っているようで知らない怖い人」という印象だった。
座り込んでいるディアから「殺すぞ」と言われて怯えてしまい、会話が途切れる。早く離れた方がいいよね、と蝶をもう一回追おうとした時、ディアの背後にバーベアーが見えて、思わずアリスはディアを押し倒した。
その後は、ディアに手を引かれる形でバーベアーから必死に逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて。逃げ続けている時に、身体が軽くなっていることにアリスは気づいた。
暖かくて、安心する。そんな感想がアリスに浮かんできたのだ。
その直後にディアがイーゴリラに吹き飛ばされて大変な事態になったが、バーベアーとイーゴリラはアリスが「やめて」と叫ぶとなぜか帰っていった。この謎は今も解明されていない。
脅威が去った後、アリスはディアの名前を知った。男の名前を知ったアリスはなぜかその時は凄く嬉しくて、嬉しくて、堪らなかった。
その後も、アリスはディアと手を繋ぎながら森の中を探索した。
ディアと手を繋いでいる間は恐怖という感情も、痛いという感覚も、全てが無くなる。身体を見れば今まであった傷は無くなっているし、疲労も回復していた。安心するし、身体が温まって、アリスはその感覚が好きになっていった。
ディアに身体を抱き込まれて寝た時も、いつもは眠れなくて何度も目を醒ましたのに、熟睡してしまうくらいアリスはディアに心を許していた。
その後はなぜかディアと手を繋いだら気持ち悪い感覚になってつい意地悪を言ってしまったが、必死に宥めてくるディアがおかしくて直ぐに許した。
初対面のはずなのに、アリスはあっさりとディアに気を許してしまっている。
あの優しい感覚が手放せなくて、手放してしまうと息苦しくなって、辛くなってしまう。
だからなのか、アリスがディアに心を許しているのは。
――離れたくない。
短時間であるにも関わらず、アリスはディアにその感情を抱いていた。
――手を離したくない。
モンスターに襲われた時に手を離した時、酷い喪失感に苛まれて泣きそうになった。
――独りに、なりたくない。
今のアリスには、大好きなお父さんもお姉ちゃんもいない。
いずれアリスは、あの冷たくて濁った家に帰らなければならない。
恐らく今の家の人達は、誘拐されたアリスを探していることだろう。
しかしアリスは、ディアから離れたくなかった。手を離したくなかった。独りに、なりたくなかった。
家に帰ってしまえばディアとは離れ離れになって、一生会えなくなってしまうかもしれない。それだけは嫌だった。耐えられなかった。
だからディアがアリスと離れる気はないと言ってくれて、凄く嬉しかった。
それが家に帰ったらどうなるかわからなくても、ディアがそうはっきり言ってくれるだけで、アリスはとても嬉しかった。
今になって、走馬灯のようにアリスの脳内に今までの記憶が流れてくる。
アリスの目の前には、巨人の手で押しつぶされて吐血しているディアの姿がある。
ディアはピクリとも動かずに、巨人に押されるがまま倒れていた。
その姿が、血だらけで倒れているお姉ちゃんの姿と被る。
アリスの名を呼んで、血を吐きながら、アリスを見ている。
その光景が、頭を過ってしまった。
やめろ。
やめて。
お願いだから。
もう、ありすを独りにしないで――――!!
その思いが、爆発した。
「――――やめてぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッ!!!!!!!!!」
必死の思いで叫び、ディアに向かって走る。
死なないで。
独りにしないで。
もうありすを、置いていかないで――!!
そして、ディアに向かって手を伸ばして、そして。
ディアとアリスの指先が触れ合った、次の瞬間。
ディアとアリスを中心に、広間を覆う程の眩い光が彼らを包み込んだ。
一章折り返し地点まで来ました....!
2025/06/27 作品名追加しました。
書き溜め分が終わったので、ここからは書けたら順次投稿します。目標は一文字でも毎日更新です。




