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第八十一話 出でよ!!


【青森県八戸市 短根スケート場】


「ぎ、銀河くん……?」


瀕死の痛みで意識が遠のきそうになりながら、わたしは掠れた声を必死に押し出した。

氷面に反射する白い光の中で、銀河くんが固く握り締めた柄を震わせつつ、ぎこちなくこちらを振り返る。


「だ、大丈夫ですか!?樹々吏さん!藩児さん!」


その声は、恐怖を無理やり押し込めて絞り出したように、細く震えていた。


「ど、どうしてここに……?」


銀河くんの全身は小刻みに震えている。

それはまるで、恐怖という名の熱が皮膚の裏側から噴き上がっているかのようだった。


「ぼ、僕……あれからずっと考えてたんです。

 自分が、何を怖がっているのかを。」


息を吸うたび胸がつかえているのだろう。

彼は何度も瞬きを繰り返し、必死に恐怖の膜を剥がそうとしていた。


「悪霊が怖い。それは……自分が死ぬのが怖いから。

 でも、樹々吏さんの言葉で気付いたんです。

 もっと……もっと、怖いものがあるって。それは──」


言葉を紡ぐたび、銀河くんの喉がきゅっと鳴る。


「自分が死ぬことよりずっと……大事な人たちが死ぬことの方が、何倍も怖いことなんだって。

 大好きなみんなが死ぬことを想像すると、胸の奥がズキズキして……息が苦しくなるくらい怖いんです。

 だから──」


銀河くんは顔を上げた。

青白い氷の照り返しを映した瞳には、もう一片の揺らぎもない。


「僕……戦います!

 この身で、みんなを守れるのなら——!

 この武器で、みんなを救えるのなら——!」


その叫びが終わるよりも早く、悪霊が咆哮した。

標的は完全に、銀河くんへと移っていた。


再び、悪霊は無詠唱で霊法を発動。

四肢に、風の円形霊法陣が展開され、巻き起こった突風が巨体を押し出した。

風を裂き、氷を砕きかねない勢いで一直線に突進──。


銀河くんは、火の精霊刀の柄を構え、殴りかかろうとしたが──。


「ぐわああああぁぁぁぁっ!!」

「ぎ、銀河くん!!」


衝撃音が届くよりも速く、銀河くんの体は宙へ跳ね上げられた。

氷上へ叩き付けられた人形のように、何メートルも滑っていく。


「はぁ……っ、はぁ……っ……。

 く……ッ!」


肺から漏れる息は荒く、血が顎を伝い落ちる。

それでも彼は、震える膝を押し上げるように力を込め、ふらつきながらも立ち上がった。


「八戸校のみんなは……いい人なんだ。

 そんな、いい人たちが死ぬなんて、絶対に許せない……。

 いい人には……みんな……幸せになってほしい……。だから──!」


銀河くんは、柄をぎゅっと握りしめた。

その瞳には、もう一片の迷いも揺らぎもなかった。


「お願いします、朱炎雀様!

 僕に──みんなを守れるだけの力を、貸してください!!」


叫ぶと同時に、銀河くんは両手で柄を高く掲げた。

その動作はまるで、これまでの自分との決別のようだった。


「──()でよ!!朱炎雀!!」


その名が叫ばれた瞬間、まるで世界が一拍遅れて動き出したかのように──視界が、紅一色に塗りつぶされた。


銀河くんの身体から、まばゆい紅蓮の光が噴き上がる。

氷の大地を照らし、炎の翼が天を焦がすほどの勢いで広がっていく。


「きゃっ……!!」


あまりの輝きに目を細める。

閉じたまぶたの裏側まで、紅蓮の輝きが突き刺してくる。


そして——。


「ーーーーーーーーーーーーーーー !!!」


天地そのものを揺らす、咆哮。

炎が竜巻のように巻き上がり、空へと喰らいつく巨大な火柱となる。

視界が揺れ、空気が震え、空間そのものが焼き切られそうな熱気に満たされた。


その灼熱の中心から、ゆっくりと影が抜け出す。


火の翼を大きく羽ばたかせ、天へ舞い上がる神鳥。

全身は燃え盛る炎そのもの。

金と朱が溶け合う羽が焔の粉となって宙へ散り、その軌跡はまるで星屑の尾のように輝いた。


瞬間、熱風が爆ぜるように押し寄せる。

氷上の温度は一瞬で跳ね上がり、空気そのものが熱のうねりを上げる。

景色が揺らぎ、世界の色すら変質したように見えた。


「す、すごい……!!

 これが──“火の大精霊・朱炎雀”……!!」


──朱炎雀様をこの目で見るのは、実はこれが初めてだった。


八戸校に来て一年。

わたしと藩児くんは、同じ第三部隊に配属された。

その後は心ニさん、金翔さんと共に、上級悪霊祓いの現場へ何度も同行してきた。


精霊科の役割は多岐にわたる。

霊法を用いた情報収集、精霊壁の展開・維持に、負傷者の治療など。

戦場では常に複数の作業が同時進行で、息つく暇などほとんどなかった。


部隊はローテーション制で動く。

前衛班 (20名 )は、現場の情報収集に奔走し、中衛班 (5名 )は、精霊壁の展開と維持に集中。

後衛班 (5名 )は、負傷者の治療。


各々が持ち場に徹し、状況を祓い科に報告したあとは、精霊壁の外で待機するのが基本。

つまり、私たちは祓い士が実際に戦っている場面を、直接見ることはほとんどない。

ましてや、大精霊様のお姿など一度たりとも……。


だけど今──その「あり得ないはずの光景」が、目の前いっぱいに広がっている。


朱炎雀様は、空中で巨大な火翼をいっぱいに広げ、燃える軌跡を描きながら旋回すると、弾かれたように銀河くんのもとへ降下した。

その軌道は、美しく、神々しく、そして圧倒的な威厳に満ちていた。


そして、銀河くんが両手で握る柄──その柄頭の“精霊玉”へと、朱炎雀様は吸い込まれるように溶けていった。


次の瞬間──透明だった精霊玉が、鮮烈な赤へと染まり上がる。


直後、柄の先端から灼熱の炎が噴き上がった。

渦を巻き、圧縮され、熱の脈動を伴いながら一本の“火の刀身”へと形を変えていく。


未完成だった“柄だけ”の武器は──ついに、本来の姿を顕した。


火の大精霊の力が宿り、火の刀身が生まれ、“火の精霊刀”はついに真価を解き放つ。


これこそが、大精霊に選ばれし者のみが扱うことを許された、伝説の武器。


その名も──“精霊刀剣”。


──なんて霊力なの……!?


上級悪霊でさえ圧倒する、桁違いの霊力。

空気は震え、肌がビリビリと痺れる。

まるで濃密すぎる力が世界そのものを押し広げていくようだった。


──これなら……イケる!


「樹々吏さん!

 藩児さんを連れて、僕から離れてください!」

「う、うん……!

 わ、わかった……!」


意識が霞む中、重症の身体に鞭を打ち、杖型増霊器を構える。


その間も銀河くんは悪霊と激突していた。

攻撃を仕掛け、防御し、回避し──

そのすべてが、先ほどまでとは別人のように、精度と迫力で繰り広げられる。


「精霊よ 風の力を与え賜え──!」


下級霊法の詠唱を唱え終えると、少数の風の精霊が姿を見せた。

黄緑色に帯びた光となって、わたしの体内へと流れ込む。


──そしてすぐに、うつ伏せ状態でいるわたしの腹の下に、風の円形霊法陣が浮かび上がった。

霊法発動可能の合図だ。


わたしは即座に霊法を杖型増霊器に込めると、すぐに杖型増霊器が黄緑色に輝きを放つ。


「はぁ……はぁ……。

 ソフト・ウインド!!」


優しい風がふわりと、わたしと藩児くんの身体を包み込み、浮力を与えるように持ち上げた。

そのまま、リンク場外まで運び、観客席へ柔らかく着地させる。──まさにその直後だった。


リンク中央。


悪霊が無詠唱で、両角の前に風の円形霊法陣を展開。

そこから、風で構成された“角”を、雨のような速度で次々と射出した。


だが銀河くんは、襲いくる風の角の雨を前にしても、まるで別人のように落ち着き払っていた。

紅蓮に輝く火の精霊刀を構え──そして叫ぶ。


「火の叫び THE FIRST!!」


火の精霊刀を、自身の足元へ突き立てる。

火の刀身が氷を貫いた瞬間、火が十字に氷上を走ると、その線はぐるりと回転しながら巨大な円を描いていく。

形成されるのは、リンク全体を包み込むほどの巨大な──“火の円形型霊法陣”。


斬火讐炎陣(ざんかしゅうえんじん)!!!!」


霊法発動の刹那。

火の円形型霊法陣が赤色に輝き、その中心から膨大な炎が噴き上がった。


轟音。灼熱。

一瞬で世界が焼き尽くされるような気配。


昇り上がった炎は、 天を貫くほどの巨大な火柱となり、リンク全体を灼熱の炎で呑み込んだ。


「うわっ……!?」


思わず声が漏れる。

悪霊が放った風の角の大群は、火柱に触れた瞬間──溶け落ち、蒸発し、跡形もなく消え去った。


「な、なにこれ……!?す、すごい……!!

 これが……精霊刀剣の力……!!」


圧倒的── そんな言葉でさえ追いつかない。


あまりにも膨大な威力。

そして、信じられないほど広い効果範囲。

現実感を失うほどの霊法を目の前で見せつけられ、わたしはただ、呆然と火柱を見上げるしかなかった。


「パキッ……パキッ……パキン!」


銀河くんの霊法が悪霊玉を焼き砕いていく。

灼熱が悪霊の核を包み込み、ゆっくりと、しかし確実に破壊していく。


そして——。


砕け散った悪霊玉から、淡い光がこぼれ落ちた。

その光の中から、透き通るような人影が姿を現す。


——フィギュアスケートの衣装を身に纏った、小学生ほどの少女。


それは──この上級悪霊の“元”であった、精霊の魂。


少女はわたしたちに向けて、静かに微笑んだ。

言葉はない。

けれど、その眼差しには、確かに“感謝”が宿っていた。


やがて、その姿はふわりと浮かび、夜空へと消えるように舞い上がっていく。


──悪霊祓い、完了。


「良き、来世を。」


──キンッ!


銀河くんは、火の精霊刀を静かに鞘に収めた。


同時に火柱(霊法)が鎮まり、スケート場には静寂が戻ってくる。


リンクの氷はすべて蒸気となり、白い靄となって昇り、やがて夜気へ溶けて消えていった。


わたしは銀河くんのほうを見る。

彼の表情は、まるで何か大切なものをようやく見つけたかのように穏やかで──それを見た瞬間、胸の奥からふっと安堵がこみ上げた。

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