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第七十九話 たった一人の祓い士


【二年前 三月下旬 (謙一郎・樹々吏:高一/銀河:中三。)

 青森県八戸市 国立十文字学園高等部八戸校 校庭】


「銀河くんがいない!?」

「そうなんだよ!あいつ、一体どこで何してるんだか!」


息を切らして駆けつけた藩児くんは、額に滲む汗を手の甲で拭いながら、制服の襟元までびっしょりと濡らしていた。

携帯に連絡しても応答はなく、校舎中を探しても、寮のどこにも銀河くんの姿はなかったという。


「……あと、思い当たるとすれば。」


──ここから歩いて20分ほどの小高い丘の上にある墓地。

そこには、金翔さんと銅蘭ちゃんをはじめ、銀河くんの家族が眠っている。


彼は毎朝、ひとりでそこを訪れては、決まって銀色のハーモニカで“ハトと少年”を吹いていた。

天気のいい日には、その音色が柔らかな風に乗って、学園まで届くこともあった。

そして演奏を終えると、これまた決まって──静かに涙を流していた。


──孤独。


家族がいない。親戚もいない。

その孤独がどれほど辛く、苦しいものなのか。

家族も親戚もいるわたしには、想像することしかできない。

もし自分が、彼と同じ立場だったら──きっと、心が折れて、生きてはいけないだろう。


いつもあの場所で、悲しげな表情を浮かべている少年。

往復の道を、俯きながら、とぼとぼと歩いていく。

記憶を失い、心の拠りどころすら持たないその背を、わたしはいつも、遠くから見つめるたびに、胸の奥が締めつけられた。


──きっと、あそこにいる。


「藩児くん、行こう!たぶんあそこだ!」

「わかった!」


わたしたちは、校門を飛び出すように駆け出した。

風を切りながら、あの丘を目指して──。


─────────────────────────────────────


【青森県八戸市 とある墓地】


「はあ……はあ……。いたぞ、樹々吏!」

「はあ……はあ……。」


“佐藤家代々之墓”と刻まれた墓石の前に、ひとりの少年が体育座りで泣きじゃくっていた。


「銀河くん……。」

「ぐすっ……!ぐすっ……!」


目の前で、自分より小さな体が、ぎゅっと自分を抱きしめるように丸まり、小刻みに震えていた。

まるで、小動物が怯えているようだった。


その姿に、胸が痛いほど締めつけられる。


──無理だ。

わたしには……とてもじゃないけど、声をかけられない。

こんな子に、こんな状態の子に、「戦え」なんて言える勇気は……わたしにはない。


「……銀河。

 上級悪霊が出た。行くぞ。」


藩児くんは容赦なく、わたしが言えなかった言葉を口にした。


「ぐすっ……!ぐすっ……!」


銀河くんは相変わらず体育座りのまま泣きじゃくり、こちらを見ることなく、小さく震える声でつぶやいた。


「なんで……?どうして僕なんですか……?」


声も、体も、震えていた。

その震えが恐怖によるものだと、すぐにわかった。


「それは…… お前が祓い士だからだ。

 白亜先生も言っていただろう?

 それを持っている以上、逃れられない使命だって。」

「これが原因なんですか……?

 だったら──こんなのいらないですよっ!!」


──ブンッ!


銀河くんは火の精霊刀を勢いよく投げつけた。


──カランッ!カランッ、カランッ……!


何度も地面を弾みながら、それはわたしの足元へ。


「……ごめんね、銀河くん。情けない先輩で……。

 一人で戦うのは、とても辛いと思う……。

 本当なら、わたしたちが戦えればいいんだけど……ねえ、これを見てくれる?」


銀河くんは、少しだけ顔を上げてくれた。


わたしはそっと火の精霊刀の柄に触れる。……けど当然、精霊玉が反応することはなかった。


「わたしじゃ……わたしたちじゃダメなの。

 この刀を扱えるのは、火の大精霊様に選ばれたあなただけ。

 上級以上の悪霊を祓えるのは、精霊刀剣の使い手だけなの。

 ……そして今ここに、その使い手はあなたしかいない。白亜先生がいないの、知ってるでしょ?」

「だったら、白亜先生が戻るまでずっと、精霊壁を展開しておけばいいじゃないですか!

 やり方を教えてくれれば、僕も手伝いますよ!」


銀河くんの声は震えていた。

それでも、彼は必死に声を張り上げた。

まるで、その震えごと自分の恐怖を振り払おうとするように。


「それが……そういわけにもいかないの。

 精霊壁にも弱点があってね。

 精霊壁は、光属性の霊法──つまり、光の精霊の力を借りないと発動できないんだけど、この前の蕪島事件で、この一帯にいた多くの光の精霊がいなくなってしまったみたいなの。

 だから、精霊壁を維持しようにも……光の精霊そのものがいないから、半日ももたないかもしれない。」

「……もし、もたなかったらどうなるんですか?」 

「当然、悪霊たちは市民を襲い始めるでしょうね。たくさんの死人が出る。」

「そ、そんな……!」

「この前、霊格について教えたでしょ?

 上級は、命の危機を及ぼす存在。群れを率いるリーダー格だって。

 だから、周囲にいる人たちは無事じゃすまない。多くの命が奪われることになる。」

「でも……僕一人の力なんかじゃ……。」


銀河くんは、俯いたまま動かなかった。

それでも、わたしは言葉を続けた。


「もちろん、そうはさせない。わたしたちが戦って、市民のみなさんを守る。

 だけど……わたしたちが太刀打ちできるのは、中級まで。

 ここにいる高精全員で力を合わせても、上級を一体祓えるかどうか……。

 いずれにしても、このままじゃ精霊壁は長くはもたない。

 やがて霊法が解ければ、悪霊たちは見境なく暴れ出す。

 そしてわたしたちを含めて──また、たくさんの死人が出る。

 まさに、“霊災”が始まってしまう。」

「そうなったら……みんな、安全なところまで逃げれば……。」 

「無理よ。

 安全な場所なんて、どこにもない。

 それに、悪霊が見えない一般市民にとっては、どこが危険で、どこが安全なのかもわからないの。」

「……どうして樹々吏さんたちは、そんな見ず知らず人たちのために、命を張れるんですか?」


銀河くんは少しだけ顔を上げた。

上目遣いに見つめてくるその瞳は、涙の跡で赤く腫れていた。


「正直に言うとね、わたし──本当は“市民のために”なんて、そんな立派な理由で戦ってるわけじゃないの。

 精霊科の使命とか、そういうのも……正直どうでもいいって思ってる。」

「……それじゃあ、一体、何のために?」


わたしは、そっと銀河くんの隣に腰を下ろした。

そして、同じように体育座りをする。


「ここの人たち、みんないい人でしょ?」

「はい……。みなさん、とても優しいです……。」

「ここの雰囲気がいいのはね、君のお兄さんのおかげでもあるんだよ?」

「……どういうことですか?」

「わたしも聞いた話なんだけどね。

 それまでの精霊刀剣の使い手って、高精を見下していた人が多かったらしいの。

 扱いも、まるで奴隷みたいで。

 険悪な空気が流れてて……とても居心地が悪かったって。」

「ひ、ひどい……。」

「でも、ある人たちが来てから、がらりと雰囲気が変わったらしいんだ。

 それが、高橋心ニさんって人と、もう一人。」

「金翔さん?」

「そっ!

 心ニさんは、もともと中等部の頃からこの学園にいたんだけど、その頃から本当に優しい人でね。

 精霊刀剣の使い手に選ばれてからも、まったく変わらなかった。

 多くの使い手は力を得ると、人が変わったように高精を見下すようになるけど……心ニさんは違ったの。」

「……立派な人ですね、その方。」

「一方で、金翔さんは、高等部からの編入生だったみたい。

 彼も、わたしたちを“対等”に見てくれる、本当にいい人だった。

 去年の秋頃に、二人の先輩の祓い士が亡くなってから、この場所の空気は一気に変わったらしいんだ。

 前よりもずっと穏やかで、温かい場所になった。

 わたしも、ここに来てからたくさんの人にお世話になったの!助けてもらって、支えてもらって……。

 だから、わたしは戦う──大好きなみんなを守るために。良くしてくれた人たちに、恩を返すために。」


隣を見ると、銀河くんはすでに泣き止んでいた。

けれど、その目はまだ俯いたまま、何かを噛みしめるように震えていた。


「銀河くんは……わたしたちのこと、嫌い?」


ふるふると、小さく首を横に振ってくれた。


「みなさん……僕なんかに良くしてくれて、本当にありがたいと思っています。」

「みんなね、銀河くんのことを“かわいい弟”のように思ってる。

 それは君が金翔さんの弟だからでも、まだ中学生だからでもない。

 ──君自身の人柄に惹かれたからなんだよ。」

「人柄……?」

「そう。君は、いつもめげずによく頑張っている。

 白亜先生に怒られながらも、泣きながらも、何度も何度も歯を食いしばって立ち上がっていた。

 そんな頑張ってる人を見たら、力を貸したくなる。

 協力できることがあれば、少しでも支えになりたいって思う。それは──

 人として、ごく自然なことなんだよ。」

「でも……僕……怖いんです……!たった一人で……あんな、化け物たちと……!」


銀河くんの体がまた、ぶるぶると大きく震え始めた。

わたしは、まっすぐにその目を見つめる。


「もし、君がここの人たちを好きでいてくれるなら──わたしたちを守るために戦ってほしい。

 君が悪霊を祓えなかったら、わたしたちは死ぬ。君が死んだら、わたしたちも死ぬの。

 君とわたしたちは一蓮托生、運命共同体、死なば諸共!……なんてね。」

「でも……僕には……僕なんかには……!うぅっ……!ぐすっ……!」


銀河くんは、また泣き始めてしまった。


──無理……か。

そうだよね。ちょっと、おこがましかったよね。

『わたしたちを守るために戦ってほしい』……なんて。


──だけど、いつかはわかってほしい。

自分のためじゃなく、大事な人を守るために戦おうとするとね……不思議と怖くなくなるんだ。不思議と、勇気が出るものなんだ。

そして、たとえそれで死んだとしても……なんだか、悪い気がしないなって──。


「──よしっ!」


わたしは意を決して立ち上がり、そして歩み始める。


「どこ行くんだ、樹々吏!?」

「行こう、藩児くん!」

「えっ……?行くって、どこへ!?」

「もちろん、悪霊が現れた現場に!」

「えっ……!?はぁ……!?銀河はどうするんだ……!?」

「わたしたちで祓うんだよ!

 ──かわいい弟を守るために!

 ──かわいい弟が、戦わなくてもいいように!」


わたしは力強く、大声で叫んだ。


そして、わたしたちは駆け出した。

上級悪霊出現地──短根(たんね)スケート場へと。

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