第二話〜前日譚〜 お母さんに、恩返しをする
※用語解説
・風の悪霊:“風属性”の悪霊。
その魂の起源は、転落死、墜落死、突風や竜巻など、“風や空に起因する死”によって命を終えた者に由来するとされている。
【20年前 青森県弘前市】
わたしの名前は、古川愛蘭。
県立弘前北高校・普通科の三年生。
趣味はバレーボール。
スパイクを思いきり打って、点が入ったときのあの感じ──
あれ、めちゃくちゃ気持ちいいんだよね。
でも……部活には入ってない。
いや、正しく言えば──入れないの。
理由は単純。
うちは母子家庭で、お金に余裕がないから。
部費に遠征費、バレーボールシューズやユニフォーム代……
そんなものを揃えるお金なんて……わたしの家にはない。
お母さんは、朝は新聞配達、昼はスーパーのパート、夜はスナック。
早朝から深夜まで、毎日ずっと働きっぱなし。
それも全部──わたしのために。
だからわたしは、中学を卒業したら高校には進学せず、すぐに働こうと思っていた。
高校の学費まで背負わせたくなかったから。
仕事は何でもいい。
お金を稼いで、少しでもお母さんの負担を減らしたかった。
──でも、そのとき。
お母さんは、こう言ってくれた。
「お金のことは気にしなくていいから、高校までは行きなさい
そのあとは、自由にしてもいいから」
その言葉に背中を押されて、高校進学を決めた。
……けど、やっぱりお母さんの負担はできる限り減らしたい。
だからわたしは、自宅から通える範囲で、学費が一番安い高校を探した。
──そして見つけたのが、この県立弘前北高校だった。
翌日、わたしはすぐに担任の先生に相談した。
でも返ってきたのは──期待していた言葉ではなかった。
「今の成績では……難しいかもしれないな……」
正直、すごく落ち込んだ。でも、すぐに決めた。
──絶対に受かってやる!どうしても、この高校に入りたい!
それからのわたしは、別人みたいになった。
朝から晩まで、ずーっと教科書と問題集にかじりついてた。
大好きだったテレビも封印。
当然ポテトチップスも──これは、たまに食べちゃったり……すみません……
やれることは全部やった。
苦手だった数学も英語も、何度もくじけそうになったけど……
それでも、あきらめなかった。
自分の未来のために。
なによりもあのとき、背中を押してくれた──
お母さんのために。
──そして、合格発表の日。
掲示板の前で、自分の受験番号を見つけた瞬間──
わたしとお母さんは、声を上げて泣きながら、ぎゅーって抱き合った。
そのとき、わたしの腕にポタポタ落ちてきた、お母さんのあったかい涙。
あの感触、あの重み──今でも、ずっと忘れられない。
──高校に入学してすぐに、家の近くにあるファミレスでアルバイトを始めた。
本当は校則で禁止されてたけど、家庭の事情を話したら、学校が特別に許可してくれた。
ちなみに家から学校までは、自転車で片道一時間。
もちろん、電車通学なんてムリ。
定期代だけで毎月一万円以上とか、現実的じゃない。
周りの友達はみんな、電車で最寄り駅まで来て、そこから自転車。
駅のホームで楽しそうにしているのを見ると──
──電車通学って、楽しそうだな……
電車で友達としゃべったり……
電車がくるまでの間、近くの駄菓子屋で時間つぶしたり……
なんか、青春って感じ……
なんて、ちょっと憧れちゃう自分がいる。
でも、現実は自転車オンリー。
しかも、ここは雪国・弘前。
冬になると、まじでシャレにならない量の雪が降る。
自転車なんて寒いし、滑るし、雪に埋もれるし……
誰も踏んでない道なんか、雪が膝まで積もってて、ぜんっぜん進めない。
結局、自転車を押して歩くことになる。
あの雪の地獄ロードがまたその内やってくると思うと……すでに気が重い。
「愛蘭ちゃん、お疲れ〜!明日もまた頼むよ〜!」
「はい!お疲れ様でした!」
──バイトが終わって、自宅へ向かう。
弘前二丁目団地、二号棟の103号室。
ここが、わたしとお母さんの小さな家。
──ガチャッ。
玄関を開けると、ちょうどお母さんがスナックへ行く準備をしていた。
「おかえり、愛蘭」
「・・・」
「明日、進路相談の日よね?
何時からだったっけ?」
「……11時」
「11時かあ……
できるだけ間に合うように行くけど、もし遅れたら先に先生とはじめててくれる?」
「・・・」
「愛蘭?」
「うるさい!わかったってば!」
思わず怒鳴って、そのまま部屋に駆け込んだ。
バタンッ!と、ドアを乱暴に閉める。
「はあ……またやっちゃった……」
ドアの前にしゃがみこんで、ひとりため息をつく。
きっと……みんなも、こういう時期あったよね?
いや、あってほしい……ほんとに……
そう。これが──“反抗期”ってやつ。
親と一緒にいるところを誰かに見られるのがイヤで……
同じ空間にいるだけで、なぜかムカついて、恥ずかしくなって……
思ってもない言葉が勝手に口から飛び出して……
あとできっとひどく後悔するであろう──そんな時期。
家でこれなんだから、外で誰かに見られてたら、もっと最悪な態度になってる。
……ごめんね、お母さん。
本当は、心から感謝してる。
今でも早朝から深夜まで頑張って働いてくれていること。
そんなハードな状況なのにも関わらず、毎日お弁当を作ってくれていること。
他にも……他にもいっぱい、ありがとう。
誰よりも、感謝してる。
なのに、素直になれない。
思っていることと、逆のことばかり口にして……
行動も……どんどんズレてく。
「本当に……ごめんなさい……」
小さくつぶやいて、わたしは布団に顔をうずめて、声を殺して泣いた。
─────────────────────────────────────
【翌年 春 青森空港】
「……それじゃあ、気をつけてね」
「うん……」
卒業式から、もう一週間。
わたしは今日、東京へ旅立つ。
この春から、都内の不動産会社で働くことになったからだ。
交通手段は飛行機。
理由は単純。
ちょうど航空会社が“新卒キャンペーン”っていう割引をやっていて、卒業証書を見せればチケットが安くなる。
調べてみたら、新幹線よりもずっと安くて、時間も短い。
だから迷わず、飛行機にした。
──チェックインの時間が近づいてくる。
心臓の鼓動が、速くなる。
言いたい言葉が、喉の奥でぐるぐるしてる。
──がんばれ、わたし……!
……恥ずかしいけど……すっごく恥ずかしいけど……言うんだ……!
自分にそう言い聞かせて、勇気をふりしぼる。
「あのさ……お母さん」
「ん?」
「今まで……本当にありがとう
体……無理しないでね」
「愛蘭……」
お母さんの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
声を出すわけでもなく、静かに……でも止まらない涙。
その顔を見た瞬間、わたしももう、ダメだった。
「……っ!」
たまらずお母さんに抱きついた。
ぎゅっ……と、強く。
何度も、何度も、抱きしめた。
──今までの感謝を、全部込めて。
─────────────────────────────────────
【数時間後 関東上空】
──よかった……!
ちゃんと、お礼……言えた……!
わたし、がんばった……!
座席に深く身を沈め、心の中でそっと自分を褒める。
そうだ……!
初任給が出たら、お母さんになにかプレゼントを贈ろう!
なにがいいかな……?
いつも着てる服がボロボロだから、新しい洋服?
それとも、日頃の疲れを癒せるように、温泉旅行とか……?
「うーん……悩むなぁ……」
つい独り言がでてしまい、少しだけ照れる。
お母さんに、なにを贈ろう。
それを考えるだけで──
初めての仕事。
初めての社会人生活。
見知らぬ土地、知らない人たち。
不安がないと言えば、きっとウソになる。
それでも……がんばれそうな気がした。
どんなことも、乗り越えていける。
そんな気がした。
お母さんがいてくれたから、ここまで来れたんだ。
だから、今度はわたしが──
お母さんを笑顔にしてあげたい。
未来は、きっと明るい。
そう信じられる時間だった。
──だが、それは……容赦なく、破られた。
「ビーッ!ビーッ!ビーッ!」
突然、鋭い警報音が機内に鳴り響いた。
「えっ……!?な、なに……!?」
バチンッ!、と音を立てて照明が落ちる。
一瞬で機内が薄暗くなり──すぐさま、天井のパネルが開いた。
酸素マスクが、ぼとぼとと音を立てて吊り下がってくる。
辺りがざわめき出し、すぐに混乱へと変わった。
乗客たちは叫び声を上げ、席を立っては転び、あちこちで悲鳴が飛び交う。
CAたちも顔を引きつらせながら、よろめきながら、操縦室へと駆けていく。
──その直後だった。
「ザザッ……ガッ……!」
ノイズ混じりの機内放送が、不意にスピーカーから漏れた。
本来は聞こえないはずの操縦室の会話が、機内にダダ漏れになる。
「なにがあったんですかっ!?機長っ!!」
「竜巻だっ!前方に、急に発生しやがった!」
「な、なんですって!?」
「自動操縦を切って、手動に切り替えろっ!進路を変えるぞっ!」
「は、はいっ!」
「乗客には何かにしがみつくよう、アナウンスをっ!」
「わ、わかりましたっ!」
「ダ、ダメです機長!!操縦桿が……反応しません!!」
「な、なんだって……!?」
「の、飲み込まれますッ!!」
「うわああああああっっ!!!」
「きゃああああああああっっ!!」
絶叫と怒号が、機内を支配した。
次の瞬間──
飛行機は、音を立てて空を裂かれた。
巨大な竜巻が──翼を、機体を、容赦なく引き裂いてゆく。
制御を失った機体は、渦に巻き込まれ……まっすぐ、山中へと落ちていった。
激しい衝撃音が響き、わたしの視界は──すべて黒く塗り潰された。
そして──
乗客・乗員、全員が命を落とした。
誰一人として、生き残ることはなかった。
そこにはもちろん──
わたしも、含まれていた。
──そんな……待ってよ……
まだ……まだ、わたしの夢──
「お母さんに、恩返しをする」
──それを、叶えられていないのに……