第二十二話 筋肉の叫び
今回は東京校三人組の日常話です。
※今話は、国立十文字学園高等部東京校祓い科一年、小林萌華の視線でお送りいたします。
【東京都新宿区 国立十文字学園高等部東京校 六階 トレーニングルーム】
ガチャンッ!ガチャンッ!ガチャンッ!
わたしたちは今、東京校六階のトレーニングルームで、朝の訓練に励んでいる。
「あ〜〜っ!もうっ!キッツいっ!」
スクワットを終えたわたしは、脚をふらつかせながら器具から離れ、小休憩へと移った。
「92……!93……!94……!」
隣では、わたしの憧れの存在──桜蘭々様が、黙々とベンチプレスに取り組まれている。
──それにしても、あのバーベル……重りがめちゃくちゃ付いてる……!
気になって、プレートとシャフトの合計をざっと計算してみた。
──えっ、100kg!?
さ、さすが桜蘭々様……!
普通なら、持ち上げようとしただけで肩か腰が砕けるような重量。
それなのに、桜蘭々様の身体はまるで芸術作品のように引き締まっていて、筋肉ひとつひとつがしっかりと形を成している。
女性でここまでのフィジカルを維持しているなんて、もう尊敬しかない。
その時わたしは、ふとこう思った──
──筋肉を見たら分かる、日々の努力の賜物やん!……と。
“女が女に惚れる”って、きっとこういう瞬間を指すんだと思う。
「98…… ふーっ、ふーっ……
99…… ふーっ、ふーっ……」
桜蘭々様の両腕は細かく震え、額にはびっしょりと汗がにじんでいる。
顔も真っ赤で、とても辛そうな表情を浮かべていた。
そして、突如“気合いの叫び”が、トレーニングルーム中に響き渡った。
「筋肉の叫び THE FIRST!!
ONE!MORE!TーーーーIME(あともう一回)!!」
全身の力を振り絞り、ラスト一回に挑もうとする桜蘭々様。
しかし──
「くっそーーーー!つぶれたーー!頼む萌華!助けてくれーっ!!」
「は、はいっ!すぐに!」
ラスト一回は、惜しくも持ち上がらず。
バーベルはそのまま、桜蘭々様の豊満な胸の上に落ちた。
桜蘭々様は苦しそうに、まるでクロールでもしているかのように両足をバタバタと動かしている。
その光景が、なんだか可愛らしくて──
──もう少し……
あとちょっとだけでいいから、普段は絶対に見られない、この姿をもう少し見ていたい……!
という“悪魔の叫び”と、
──ダメです!今すぐにお助けしなければ!
桜蘭々様が困っておられるのですよ!
という“天使の叫び”が、わたしの心の中で激突した。
……が、すぐに正気に戻り(天使の叫びが勝利し)、急いでバーベルを持ち上げようとする。
しかし──
「お……重っ……!」
やはり100kgは伊達じゃない。バーベルはビクともしなかった。
「是隠先輩!手伝ってください!」
わたしはとっさに叫んだ。
遠くで腹筋をしていた是隠先輩がこちらに目を向け、すぐに状況を理解し、駆け寄ってくる。
「いきますよ!せーのっ!」
ガチャンッ!
二人の力でようやくバーベルをラックに戻すことができた。
「……っ、ありがとう……!助かった……
はぁ、はぁ……くそっ、くそっ!
あと一回だったのに!」
桜蘭々様は、その場で地団駄を踏みそうなほどに悔しがっていた。
……ふと、時々疑問に思うことがある。
──いったい、何がそこまで桜蘭々様を駆り立てているのだろう?
単に、悪霊との戦いで死にたくないから?
それとも、祓い科の使命を全うしようとしているだけ?
あるいは……他に、わたしの知らない事情があるのかもしれない。
──でも、そんなことはどうだっていい。
桜蘭々様には桜蘭々様のご事情があるのだろうし、深いお考えもあるのだろう。
わたしはただ……桜蘭々様に付き従う。それだけ。
そのお身を、全身全霊でお守りすること。
それが、わたし──小林萌華の使命なのだから。
桜蘭々様は立ち上がり、シェイカーを高く突き上げて叫ばれた。
「筋肉の叫び THE SECOND!!
プリーズ・プロテイン!!」
その雄叫びと共に、先日わたしが買ってきたプロテインをガブガブと飲み干していかれる。
一切の迷いもない、完璧な栄養補給である。
諸説あるが、一般的には“筋トレ後30分以内”にたんぱく質を摂取すると、筋肉の成長や回復に良いとされている。
筋トレ界隈ではこの30分間を、“ゴールデンタイム”と呼ぶらしい。
──でも、わたし界隈におけるゴールデンタイムは、ちょっと違う。
先ほどのバタ足のように、普段は見られない仕草や表情、意外な一面──
そんな桜蘭々様を、こっそり見つめていられる時間。
それこそが、わたし界隈における“ゴールデンタイム”なのだ。
ゴールデンタイム中、わたしの中では幸せホルモンが爆発的に分泌され、とてつもなく満ち足りた幸福感に包まれる。
──パチンカス界では、この現象を「脳汁」と呼ぶらしい。
……よしっ!
あとで警備員さんに頼んで、さっきの瞬間が映った防犯カメラの映像を入手しよう!
そして、それをわたしの──“桜蘭々様コレクション”に加えるのだ……!
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【国立十文字学園高等部東京校 六階】
朝のトレーニングを終え、シャワーを浴び、ロッカールームで着替えを済ませた桜蘭々様とわたしは、七階の教室へ向かう途中だった。
ふと視線を感じて休憩所の方を見ると──
是隠先輩が、自販機の影にひっそりと身を潜めて、なにかを凝視していた。
──なにをやっているんでしょう、朝っぱらから。
わたしは是隠先輩を驚かせようと、そろりそろりと近づき、背後から声をかける。
「わっ!」
「うわっ!? ……なんだ、萌華か」
是隠先輩はマヌケな顔をして、思い切り驚いていた。
「なにしてるんですか、是隠先輩♪
また、いつもの“青春観察”ですか?」
からかうように尋ねると、先輩は無言で指をさした。
その先にあるのは、一階から七階まで続く大階段。
「見てみろ、あれを」
言われるままに目をやると、精霊科の男子生徒二人が階段で何やらじゃれ合っていた。
「最初はグーッ!じゃんけんぽんっ!……おっしゃ!
グー、リー、コ♪」
「最初はグーッ!じゃんけんぽんっ!あいこでしょっ!……やりぃ♪
パー、イー、ナー、ツー、プー、ル♪」
あの遊びはたしか……
“グリコ”っていうんだったっけかな?
精霊科の人たちが遊びながら階段を下っていく。
「“階段でグリコじゃんけんをする”
……そうか、あれが青春」
「あれは、“ガキの戯れ”っていうんですよ、是隠先輩!
まったく、高校生にもなって、あんな子どもの遊びをするなんて!
もっと桜蘭々様のように、十文字学園の学生として恥じない振る舞いを心がけてほしいものです!」
わたしは心底呆れながら、深々とため息をつく。
──高校生にもなって、こんな公共の場で、しかも子どもの遊びをするなんて……恥ずかしくないのかね、まったく。
そのときだった。
「ほう、あれが“グリコ”という遊びか!
知識はあったが、やったことがなくてな……おもしろいものなのか?」
声がして振り向けば、そこには桜蘭々様。
興味深そうに階段の方を眺めていらっしゃる。
「一時間目まで少し時間があるし……せっかくだから、みんなでやってみないか?」
「はいっ!ぜひやりましょう!!」
わたしは食い気味に即答する。
「相変わらず、なんていう身の代わりの早さだ……」
是隠先輩がなにやらぼそっと呟いたけど、そんなのはスルー。
「ただ遊ぶだけではつまらんからな……
ビリになった者には、なにか罰ゲームをさせるというのはどうだ?」
「名案です、桜蘭々様!」
ぐっと前に出て、わたしは思いついたままを口にする。
「そ、それでは、ビリの人は……一位の人の命令をなんでもひとつ聞く、というのはいかがでしょうか!?」
「ふむ、それはおもしろい!いいな、それでいこう!」
桜蘭々様が朗らかに笑って、わたしの案を採用してくださる。
──よし!
「やった……!」
思わず小さく拳を握る。
そして、わたしは即座に是隠先輩を鋭い眼差しで射抜いた。
目は口ほどに物を言う──いまのわたしの“心の叫び”を、全力でその瞳に込めた。
──わかってますよね、是隠先輩?
桜蘭々様を一位に。わたしがビリに。
その構図さえ実現できれば、罰ゲームという舞台を通して、“桜蘭々様のどんな命令にも喜んで応じる、忠実で有能な後輩”としてのわたしをアピールできる。
このチャンスに、全力で後輩力を炸裂させれば──きっと桜蘭々様は、あの忌々しい白亜なんかより、わたしに目を向けてくださるはず!
……つまりは、この勝負を“出来レース”──八百長に持ち込むということ。
──協力、お願いしますよ? 是隠先輩。
どうやらわたしの“心の叫び”が是隠先輩に伝わったようで、是隠先輩は無言でコクリと頷いた。
さて、ゲームを始める前に、念のため“グリコ”について説明しておこう。
グリコとは、主に階段で行われる、じゃんけんをベースにした遊びの一つだ。
・グーで勝つと、“グリコ”で三文字
・チョキで勝つと、“チョコレート”で六文字
・パーで勝つと、“パイナップル”で六文字
その文字数分だけ階段を登る、あるいは降りることができ、先にゴール地点に辿り着いた者が勝者となる。
今回のスタート地点はここ、六階。そして、ゴールは七階だ。
──で、今回の作戦はこうだ。
① まず、桜蘭々様を一位でゴールさせるために、わたしと是隠先輩は、なるべくグーを出して負け、桜蘭々様がパーを出して勝つように誘導する。
たとえこちらが勝っても、グーなら三段分で被害は最小限。
天才の桜蘭々様なら、こちらがグーを頻繁に出していることに気づき、自然とパーで攻めてくるはず!
②桜蘭々様が無事に一位になったら、今度はわたしが連続でパーを出して是隠先輩を勝たせ、二位・是隠先輩、三位・わたし──という理想の順位で決着。
以上、至ってシンプルな出来レース──いや、戦略的展開である。
『最初はグーッ!』
掛け声とともに、わたしたちは片手を突き出し、じゃんけん開始!
絶対に負けられない……失礼。
絶対に勝ってはいけない“グリコゲーム”が今ここに、火蓋を切って落とされた!
「……よし!パーで妾の勝ちだな!
パーだから……パ、イ、ナッ、プ、ル♪」
桜蘭々様が笑顔で五段、上がられる。
「さ、桜蘭々様!
パーは、パ、イ、ナ、ツ、プ、ルで、六段上に上がれます!」
「ほう、そうなのか?では、もう一段!」
危ない危ない。
桜蘭々様には一刻も早く一位になっていただかなければ。
わたしと是隠先輩がグルだと悟られるわけにはいかない。
──その後もゲームは続き、やがて形勢はこうなった。
桜蘭々様と是隠先輩が並んで、あと六段でゴール。
わたしは一歩遅れて中盤。
……まずいっ!なんという誤算!
今回はたった一階分、たった数手で勝負が決まってしまう短期決戦だった!
さっきの作戦は中長期型向け──調整する余裕なんてない!
このままでは、先に是隠先輩がゴールしてしまうかもしれない……!
桜蘭々様は次、何を出す!?
まだ傾向が読めない……!
くそっ、たかが子どもの遊びだと侮った!
まさか…まさかこんなにも頭を使う頭脳戦の戦いだったとは!
ギロッ!
わたしは是隠先輩を再び睨みつけ、わたしの“心の叫び”を目で訴えかける。
──わかってますよね、是隠先輩?
次は絶対にグーを出してください。
たとえ是隠先輩が勝っても、グーなら三段分。ゴールには届かない。
桜蘭々様をパーで勝たせて、一位に導くんです!
もうこうなったら、ちょっとくらい怪しまれたってかまいません。
弁明は全部、わたしがやりますから!
だから……
次は必ず、グーですよ?
ちゃんとわたしの“心の叫び”が是隠先輩に伝わったようで、是隠先輩は無言でコクリと頷いた。
「最初はグーッ!じゃんけん──ポン!」
桜蘭々様はグー。わたしもグー。
くそっ!あいこか!
でも、このままグーを出し続けるだけ!
──が。
「くそっ!負けた!
是隠の勝ちか!」
桜蘭々様は、なぜかとても悔しがっていた。
「……え?」
なにをおっしゃっているのですか、桜蘭々様。
そんなはずはありません。
グー同士のあいこのはず……
わたしは震える手で、是隠先輩の出した手を確認する。
パ、パー!?!?!?
「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル ♪」
是隠先輩はご機嫌で六段を駆け上がり、七階に到達すると、くるりと振り返って──
ニヤリと笑った。
こんの!こんの!くっそーーーー!
裏切りやがったな!あの忍者もどきやろう!!
結局、一位は是隠先輩。
二位は桜蘭々様。
そして、三位はわたし。
ビリになったわたしには、“一位の言うことをなんでも一つ聞く”という罰ゲームが課され、是隠先輩から告げられた要望は……
“訓練後のマッサージ”……であった。
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【東京都新宿区 国立十文字学園高等部東京校 六階 トレーニングルーム】
その日の放課後。
訓練を終えたわたしは、しぶしぶトレーニングルームのストレッチエリアで、是隠先輩にマッサージをしてやることになった。
「え〜?♡あ〜れれ〜〜?♡
そんな約束、してましたっけ〜〜?♡
忘れてました〜〜♡てへっ♡」
と、全力でとぼけてバックれようとしていたのに……
よりにもよって隣には、桜蘭々様がトレーニング後のストレッチ中。
……あの神々しい姿を前にして逃げられるわけもなく。
というわけで、わたしは観念して、是隠先輩にストレッチをしてやる羽目に。
が、この男……
チラチラと何度もこちらを見ては、にやりとドヤ顔を決めてくるのだ。
──むかつくっ!!
だから、ちょっと……
いや、かなり痛めつけてやった。
「ぐあぁあああああああ!?ぐええええええっ!?!?」
是隠先輩は、まるで潰れたカエルのような悲鳴を上げていたけど──もちろん、わたしは無視。
ふっふっふっ……ざまあみろ、是隠先輩!
と、心の中でガッツポーズしていたその時。
「怪我をするぞ」
桜蘭々様から、冷静かつ的確な注意が飛んできてしまった。
はっ……!そ、そうか……!?
し、しまったぁぁぁぁ……!!
わたしはその瞬間、重大な戦略ミスに気づいてしまったのだった。
今ここで、プロ並みの施術を披露しておけば──
「おお、うまいな萌華!
よければ妾の専属になって、毎日妾にストレッチをしてくれないか?」
なんて、ありがたすぎるお言葉が飛んできて──
桜蘭々様の、あのお美しいお体を……
ストレッチという、合法的な名目で……!
あんな場所や、こんな場所を……
触れたり、揉めたのにっ!!
そう!あんな場所や、こんな場所を……!!
……はっ!
妄想してたら鼻血がっ!
──そして、様々なことがこの二週間で起こったが、なんとか全員の力で乗り越え、八戸校・神戸校の人たちがこちらに訪れる日。
六月一日を迎えた。
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