第二十話 男の叫び
男というと主語がでかく誤解を招くので、私というクズ人間の叫びと捉えていただければ……
※今話は、国立十文字学園高等部八戸校祓い科二年、佐藤銀河の視線でお送りいたします。
【青森県八戸市 国立十文字学園高等部八戸校 校庭】
カンッ!カンッ!カンッ!カンッ!
春の風が、まだ少し冷たさを残して吹き抜ける中、木刀がぶつかる乾いた音が澄んだ青空へと吸い込まれていく。
火花のようにぶつかり合う木刀。訓練中の校庭には、心地よい緊張感が満ちていた。
──おれたちは今、校庭のトラック内。白線に囲まれた楕円形のスペースで、“刀剣道”の訓練を行っている。
「ほら!脇がガラ空きだよ、牙恩!」
おれは牙恩の左脇を狙って、木刀を勢いよく横薙ぎに振り抜いた。
「うわああああっ!!
も、もっと手加減してくださいよ、銀河さぁん!」
情けない悲鳴を上げながら、牙恩は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
……が、それが結果的に絶妙なタイミングとなり、おれの一撃は空を斬った。
「……あっぶな……!間一髪……!!」
腰を引きつつ、牙恩は素早くバックステップ。間合いをしっかり取る。
「ふーっ……」
深く息を吸い込んだその表情が、ふっと切り替わる。
「ビビるの、飽きた」
──まずい。
これは……“ビビリモード”に飽きてしまった合図。
この牙恩のノーマル状態──別名“ビビリモード”は、間一髪の奇跡的な偶然回避を連発するのが特徴的なモードだ。
そんなすごい戦闘スタイルも、弱点がある。
それは──
本人が飽きたら終わり。
さて、次は何モードになるのやら……
おれは木刀を構え直し、中段に構えて警戒を強める。
「よっしゃああああっ!!怒涛の──連続攻撃祭りじゃああああっ!!
ワイからはもう逃れらんぞーー!!」
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ!!
牙恩が雄叫びと共に、鬼の形相で猛突進してくる。
連打、連打、連打!
振りかぶり、振りかぶり、叩き込む!一切のフェイントなし、迷いも捻りもない。
ただ前へ、ひたすら前へ。前進あるのみの突進アタック!
「これは……“猪突猛進モード”か!」
このモードの牙恩は、とにかく止まらない。
後ろへ退くという選択肢は存在しない。ただ前へ、ひたすら攻め続ける。
体力が尽きるか、叩き倒されるまで突進し続ける。
ただし、その分──
「単調すぎて、読みやすいんだよなぁ……」
真正面からの一直線、捻りのない攻撃。
だからこそ、この“猪突猛進モード”は、動きの癖がすぐに読めるのが欠点だ。
おれは最小限の動きで牙恩の木刀をさばき、急所への攻撃だけは確実に防ぐ。
時折、肩や脇腹にかすめるような一撃をもらいながらも、致命打は許さない。
やがて牙恩の息が荒くなり、動きに明らかな疲労の色が見えはじめる。
木刀の振りは鈍り、腕の位置も段々と下がってきた。
──今だ!
「面っ!」
おれの渾身の一撃が、牙恩の頭部に綺麗に決まる。
「ぐわっ!!」
盛大な悲鳴を上げ、牙恩はその場に尻餅をついた。
「一本!そこまで!」
審判役の謙一郎さんの声が響き、訓練終了の合図が下される。
「ありがとうございました!」
おれと牙恩は息を整えながら礼法位置に戻ると、向き合って深く一礼を交わした。
「はあ……はあ……あっつい……!」
訓練で火照った身体から汗が滴り落ちる。
おれと牙恩は、校庭の端にある一番低い鉄棒の上に腰かけ、タオルで額をぬぐっていた。
「いや〜、さすが銀河さん……!
あの連続攻撃の最中に反撃がくるなんて、想像もしてませんでした!」
「牙恩も、かなりいい攻めだったよ!
スピードもあったし、攻撃のキレも悪くなかった……けど、ちょっと単調だったかな?」
おれは水筒のキャップを外しながら言った。
「攻撃のリズムや仕草を少し変えるだけでも、相手の反応って遅れるんだ
たとえば、右に攻撃するふりをして左、頭を狙うと見せかけて足元へ……
そういうフェイントを混ぜると、もっと有効打が増えると思うよ」
「確かに、銀河の言うとおりだな」
そう言ってうなずいたのは、後ろから歩いてきた謙一郎さんだった。
「攻撃が単調だと、動きが読まれて反撃されやすい
フェイントってのは、ほんの少し体の重心をズラすだけでも効果があるんだ
それに、“どこを見るか”って視線の使い方も重要になってくる
相手は、視線から次の動きや攻撃先を予測してくるからな」
「フェイントかぁ……」
牙恩は顎に手を当て、考え込むように言った。
「言われてみれば、攻撃がパターン化してましたね……
よし、次はフェイントを意識してやってみます!」
こうして素直に反省し、すぐに次へつなげようとする──
それが、牙恩の一番の良さであり、自然と尊敬してしまうところだ。
牙恩は、一を聞いて十を理解する、いわゆる“天才肌”のタイプ。
きっと次に対戦するときには、今よりさらに強くなっているに違いない。
──だが、おれだって先輩として、簡単に負けるわけにはいかない。
牙恩が一歩強くなるのならば、おれはさらにその一歩強くならなければ……!
「よし、ちょっと休んだら次はオレとやるぞ、銀河!」
「はい!お願いします!」
元気よく返事をしてから、おれは息を大きく吐いた。
「はああ……」
「どうしたんですか銀河さん?」
隣にいた牙恩が、気づいて声をかける。
「ああ、うん……
二週間後、東京に行くことになったでしょ?なんか、緊張しちゃって……」
「そういえば、銀河は東京に行くの初めてだったな」
そう言いながら、謙一郎さんが隣に腰を下ろす。
男三人で一つの鉄棒に並ぶと、さすがにちょっと窮屈だ。
「謙一郎さんは、入学式の時に一度行ってるんですよね?」
「ああ、人が多くてゴミゴミしていて……正直、あんまり好きな場所じゃなかったな
でもまあ、夏だけって考えれば、我慢できる範囲だろ」
「甘いですよ、謙一郎さん」
牙恩が即座に切り返す。
「夏の東京は、ほんっとにヤバいんですから!」
「何が?」
おれは思わず尋ねる。
「八戸の夏と、東京の夏って、まるで暑さの体感が違うんですよ!
八戸は海が近いので、暑くてもどこかカラッとしてるというか、風が通って気持ちいいじゃないですか?
夜も窓を開ければ涼しい風が入ってくるし、扇風機で十分寝られる……」
「確かに……
寝苦しくて眠れないなんてこと、あんまりないかも」
「でも東京はその真逆なんです!
暑さが、常に体にまとわりついてくるんです!
たとえるなら……そう、ずーーっとサウナの中にいるような感じです!」
「ず、ずーーっとサウナに……!?」
おれは大きく目を見開いた。
「そ、それは……なかなか過酷だね……」
「しかも、それが夜になっても続くんです!
熱帯夜を通り越した、“超熱帯夜”という言葉が新たに生まれたくらいですから!」
「“超熱帯夜”!?
すごいな……東京の人たちは、一体どうやってそんな過酷な環境で生き延びているんだ?」
まるで異世界の話のようだ。
夜も暑いとなると、一日中サウナの中にいるようなもの。
サウナですら数十分でギブアップなのに、それを夏の間中、耐え続けるなんて……
もしかして東京の人って、おれたち八戸民とは体の構造が違うのだろうか?
「──では、東京の夏を生き延びる方法を、特別にお二人に伝授しましょう……
それは……!」
牙恩が重々しく切り出す。
「それは?」
おれと謙一郎さんが、思わず揃って聞き返す。
「クーラーが効いた部屋で引きこもることです!
だから夏は、みんなで涼しい部屋で引きこもりましょう!」
「お前、それ稽古サボってAXやりたいだけだろ」
謙一郎さんが鋭くツッコんだ。
「ち、ちがいますよ!?
な、ななな……なんてこと言うんですか!?」
──どうやら、この反応は図星だったらしい。
しばらく、おれたちが東京の話で盛り上がっていたところ、
「ほら!ラスト一周!頑張れ!」
精霊科三年の樹々吏さんの声が校庭に響き渡った。
振り返ると、精霊科三年の女生徒たちが運動着姿でトラックを走っている。
五月中旬の涼しい気候は、訓練にちょうどいい季節だ。
女生徒たちもおれたち同様、半袖に半ズボンの軽装だった。
「ドュフフフフ♡
ほんと、この運動着をデザインした人は、なんて男心を知っているんだ!
見てくださいみなさん!あの、素晴らしい子猫ちゃんたちを!
まるで、美しい芸術作品を見ているかのようではありませんか!?」
いつのまにか牙恩は“エロガキモード”になっており、一人興奮して盛り上がっていた。
十文字学園の夏用運動着は白いTシャツが上着なので、透けて下着が見える子もちらほらいた。
「ぼくちゃんが、その服の下に隠れた子猫ちゃんたちの魅力、露わにしてあげるよ♡」
そう言うと牙恩は、忍術を使うかのように、両手で十字を組み始めた。
「男の叫び THE FIRST!!
パイ眼!!」
牙恩の両目の瞳孔が、♡マークに変化する。
「安田さん……1300pt
五十嵐さん……800pt
川口さん……2000pt!?
なんと!あの人、着痩せするタイプだったのか!?」
牙恩は一人で大盛り上がり。
「えっと……どれどれ……」
おれは以前、牙恩が手作りした“おっぱいpt表”を取り出して確認した。
2000ptは……なるほど。
確かに、高校生でこれはすごい……
「ふん!くだらん!
胸よりも安産型のお尻の方が魅力的だと思わんか、銀河?」
そう言うと今度は謙一郎さんが、両手で十字を組み始めた。
「男の叫び THE SECOND!!
ケツ眼!!」
謙一郎さんの両目の瞳孔が、桃マークに変化した。
「関……1100pt
平田……1600pt
中田……2200pt!?
なんと!?これほど魅力的なお尻を持っていた女性に今まで気付かなかったとは……!
この謙一郎、なんたる不覚!!」
謙一郎さんは一人で大盛り上がり。
「えっと……なになに……」
おれは今度、以前謙一郎さんが手作りした“おしりpt表”を取り出して確認した。
2200ptは……なるほど。
確かに、高校生でこれはすごい……
「あんたたち、一体何をやってるの?」
『!?』
背後から響いた女性の声に、おれたち三人は飛び上がるように驚き、鉄棒からバランスを崩して一斉に転がり落ちた。
背中から地面に叩きつけられ、仰向けになったおれたちの視界の先には——
精霊科三年の樹々吏さんが、怖い顔でこちらを睨みつけていた。
青空と樹々吏さんとの間には、今日も白い雲が気持ちよさそうに浮かんでいた。
「き、樹々吏!?」
謙一郎さんが、明らかに動揺した声で叫ぶ。
ヒラッ、ヒラッ、パサッ。
樹々吏さんの足元に、二枚の紙が風に乗って舞い落ちた。
樹々吏さんは無言でそれを拾い上げ、目を通しはじめる。
「ふーん……
“おっぱいpt表”に、“おしりpt表”ね……
ほんと!男ってやつは、こういうの大好きだよね!
くっだらない!」
バッと顔を上げると、樹々吏さんは“怒りの叫び”をぶつけてくる。
「だからさっきから、こっちをいやらしい目で見てたのね!?最っ低!!」
「ち、違うぞ、樹々吏!これはな……その……!」
謙一郎さんが慌てて釈明を始める。
「そ、そう!
さっき風でこっちに飛んできて、それでなんだろうってみんなで見てただけで……な、なっ!?牙恩!」
「そ、そうなんです!だから決して、みなさんのことをエロい目で見たりなんて……!」
牙恩も脂汗をかきながら、うろたえつつ言い訳を並べる。
だが、樹々吏さんの表情はすでに“怒り”から“軽蔑”へと変わっていた。
「へぇぇ……じゃあ……
──あなたたちのその鼻血は、一体なんなのかしら?」
「あれ……?」
謙一郎さんと牙恩の鼻からは、見事に鼻血がツーッと垂れていた。
「この……クソエロガキどもーーーーッ!!」
『ぐわああああああっ!!』
おれたち三人は、樹々吏さんの怒りの鉄拳をまともに喰らい、全員の頭部には立派なたんこぶができあがった。
──そして、様々なことがこの二週間で起こったが、なんとか全員の力で乗り越え、東京への出発日。
六月一日を迎えた。
※キャラクター紹介
プロフィール追加
名前:鈴木 牙恩
一人称:猪突猛進モード時。「ワイ」
エロガキモード時。「ぼくちゃん」