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第八十九話 愛


【東京都杉並区 商店街通り】


牙恩さんの霊法(FOURTH)の影響により、商店街には無残な光景が広がっていた。

破壊の痕跡と、悪霊の残滓が漂うその中心で、No.16さんは愕然と立ち尽くしている。


「んなっ──!?

 わ、わたくし様の……わたくし様の大切な(しもべ)たちが……!?」


喉からこぼれ落ちた声は、怒号でも、悲鳴でもなかった。

あまりにも急激な喪失に、感情が形を成すことを拒み、歪んだ震えとなって漏れ出していた。


「んもうっ……!

 あれほど(霊法)を与えて()()()、このわたくしの僕たちを……よくも……!!

 まだ……まだ、まともな見返りすら、もらっていなかったというのにっ!」


No.16さんはきゅっと拳を握りしめ、癇癪を起こした子どものように地を踏み鳴らす。

その仕草は悲嘆というより、思い通りにならなかった現実への抗議に近かった。


そこにあったのは、祓われた者たちを悼む痛みではない。

──“与えたのに、返ってこなかった”。

ただその一点への苛立ちだけが、あまりにも露骨に、彼女の内側で燃え上がっていた。


「あら……いけませんわよ、No.16さん。

 “愛”に、見返りを求めては。」


わたくしは一歩、前へ出る。

胸にそっと手を当て、穏やかに──けれど、揺るがぬ声で告げた。


「愛において大切なのは──“奉仕の心”。

 それは、報いを求めぬこと。

 見返りも、感謝も、称賛もいらない。ただ、相手のために在り続けること。

 相手を前に立たせ、自分は半歩……いえ、ほんの少し後ろに下がる。

 転ばぬよう目を配り、歩みが止まれば同じ速度で立ち止まる。

 振り返られたなら、そこにいる。

 それだけで、十分。

 ──それこそが、本当の愛ですわ。」


──わたくしも、ダーリン(銀河さん)に。

この身も、心も、時間も、未来さえも。

すべてを捧げ続ける覚悟は、とっくにできています。


けれど、それは何かを失う感覚ではありません。

息をするように自然で、そうするのが当たり前で。

「捧げている」という意識すら、そこにはないのです。


もちろん、見返りなど求めません。

わたくしはただ、ダーリンの少し後ろで──

そう、かつて語られた、男の三歩後ろを歩き、言葉なく見守る女のように。


前に出ることなく。

声高に導くこともなく。

ただ、ほんの後ろから静かに支え続ける。


たとえ感謝されなくても。

名前を呼ばれなくても。

選ばれなくても──それで構いません。


それでも、ダーリンが前を向いて歩けるなら……。

その背中が、ほんの少しでも軽くなるなら……。


尽くすとは、きっとそういうことでしょう。


導かなくていい。

縛らなくていい。

迷ったなら、手を伸ばせば届く距離にいればいい。


それは、“先輩”としては正しくないのかもしれません。

ですが、“恋人”として……そして、“妻”としてなら──。


わたくしは、ただ──

ダーリンが、そこにいてくださる。

それだけで十分なのです。


それだけで……この心はこんなにも満ちて、温かくなって、静かな幸福で、溢れ返っているのですから──。


「……違うわね。」


わたくしの言葉を、No.16さんは鼻で笑うように遮った。

その瞳に浮かぶのは、戸惑いでも迷いでもない。

最初から答えを知っている者だけが向ける、冷たい断定だった。


「愛なんて、結局は“釣り合い”の話よ。

 力を与える。救いを与える。価値と意味を与える──その分だけ。

 人生も、自由も、忠誠も、感情さえも“回収する”。

 返せないなら最初から与えない。それで初めて均衡が取れる。

 それこそが、本当の愛よ。」


淡々とした声音は、感情を語っているはずなのに、まるで数式か契約条項を読み上げているようだった。


「見返りを求めない?

 ふふ……。そんなもの、ただの自己満足だわ。

 何も返せない存在は、愛される以前に“不要”よ。

 それは残酷でも何でもない。ただの整理。」


──慈愛と奉仕。

人の心を尊び、感情を重んじる世界。


──釣り合いと対価。

感情を排し、合理のみで成り立つ世界。


同じ「愛」という言葉を使っていても、わたくしとNo.16さんが見ている景色は、あまりにも決定的に違っていた。


ならば、もうやるべきことは、ただ一つ。

それは──


「くっ……!!」


わたくしたちが“愛”について言葉を交わしている一方、その背後では──


「霊力を使い過ぎた反動で……霊眼に疼きが……!」


右目を押さえ、苦悶の声を漏らす牙恩さん。

その全力の厨二病ムーブに、即座に応じるように、


「大丈夫か、土帝・牙恩!?」


是隠さんが、迷いなく牙恩さんの肩に手を添えた。


──よく頑張りましたわ、お二人とも。

その奮闘によって、No.16さん以外の悪霊はすべて祓われました。


その事実を、わたくしは誇らしく受け止める。

命を懸け、恐怖に抗い、それでも立ち続けた──

それだけで、十分すぎるほどですわ。


そのご褒美として──ええ、仕方ありませんわね。

この、正直よくわからない“厨二病”のノリにも、少しだけ付き合って差し上げましょう。


()()・牙恩。

 ()()()()()()・是隠。

 あとは、そこでゆっくり休んでいてください。

 あのダーリン(悪霊)は──

 わたくしが、きちんと引き受けますわ!!」


そう告げて、わたくしは一歩、前へ出る。

No.16さんと、正面から対峙するために。


「ど、童貞……。」

「エ、エイエイオー……。」


──ガクッ!


二人は、まるで糸を切られた人形のように、その場に崩れ落ちた。

張り詰めていた緊張が、一気に解けたのだろう。


それでいい。

もう、十分すぎるほど戦ってくれました。


「さて……。

 どうやら、わたくしたちの“愛”に対する価値観は、水と油。

 決して交わらないことは、はっきりしましたわね。」

「そのようね。

 もう言葉は不要。

 これからやることは ──

 一つしかないんじゃない?」


No.16さんの口元が、歪んだ笑みを形作る。


「ええ。」


そう。

それは──戦いで勝利すること。


言葉で争うことと、刃と拳を交えることは、似て非なるもの。


口論の勝者が得るのは、せいぜい一時の優越感。

敗者が抱くのは、後に残る劣等感だけ。


けれど、戦闘は違う。


勝者は、すべてを得る。

敗者は、すべてを失う。


──すべて。

そう、相手の命さえも。


そこに解釈の余地はなく、言い逃れもできない。

勝利だけが、正しさの証明となる。


No.16さんも、それを理解しているのだろう。

すでにその身には、迷いの色はない。

完全な臨戦体制だ。

……とはいえ、みなさん名乗りを上げていたのですから、わたくしも名乗らねば礼儀を欠くというもの。


「ええと、確か……。」


牙恩さんが、十文字組二番隊隊長。

是隠さんは……八番隊隊長──と、おっしゃっていましたわね。


……ということは。

わたくしの推測が正しければ──


“十文字組”

一番隊隊長:佐藤銀河

二番隊隊長:鈴木牙恩

三番隊隊長:高橋謙一郎

四番隊隊長:田中刹那 (わたくし)

五番隊隊長:渡辺麻璃流

六番隊隊長:伊藤天嶺叉

七番隊隊長:山本桜蘭々

八番隊隊長:中村是隠

九番隊隊長:小林萌華


……おおよそ、こんなところでしょう。

で、あれば──


「わたくしは──十文字組四番隊隊長!

 二つ名は──そうですわね……“フィアンセ“で!(もちろん銀河さんの♡)

 そして、我が真名──田中刹那!」


そう高らかに名乗りをあげると同時に、わたくしは氷の精霊両刀の柄を力強く握り締めた。


「いざ、尋常に──勝負ですわ!!」


凛、と。

張り詰めた空気が肌を刺す。


「見事な名乗り!

 かかってきなさい!」


No.16さんの声が、狂気を孕んで跳ね上がった。


(しもべ)たちがいなくなった今、わたくし様自ら貴様を殺し──

 そして、そこの“頭の病の子”を、No.零様へお届けする!」

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