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銀河の叫び──悪霊となったあなたを精霊刀剣で祓います──  作者: 十文字 銀河
《序章 精霊刀剣》【選ばれし子どもたち編】
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第五話〜前日譚〜 一生リセットすることのない、友だちのいる世界

※用語解説

・水の悪霊:“水属性”の悪霊。

 その魂の起源は、水難事故や津波による溺死、深海探索中の水圧による圧死など、“水や海に起因する死”によって命を終えた者に由来するとされている。


【四年前 兵庫県姫路市】


僕の名前は高野(たかの)剛鈍(ごうどん)、34歳。

派遣社員だ。


派遣社員という働き方について、改めて説明すると、僕は人材派遣会社と雇用契約を結び、その派遣会社から別の企業に派遣されて仕事をしている。

最初は一ヶ月の試用期間があり、その後三ヶ月単位で契約更新。

最大で三年まで同じ職場で働ける。


実際に働く派遣先の企業とは、直接の雇用契約はない。

だからもし、派遣先の業務量が異常だったり、人間関係が地獄のようだったり……

簡単に言えば「ブラック企業」だった場合でも、こちらから雇用期間を延長しない選択肢を取ることができる。

どんなに嫌な会社でも、最長で三ヶ月我慢すれば終わるのだ。


「まあ……あくまで“三ヶ月我慢すれば”なんだけどね」


そう、つい口からでてしまった。

なぜなら、契約が切れる前に音信不通になって辞める人だって珍しくない。

僕だって……まあ、その……過去にそういう辞め方をしたことが……ないとは言えない。


派遣社員のいいところは、退職届を派遣先に直接出す必要がないところだ。

契約が切れる一ヶ月前に、人材派遣会社から「更新しますか?」というメールが来て、そこで「しません」と返すだけで、あとは全部あちらが処理してくれる。


──正社員の頃の僕は違った。

辞めるときのあの心臓の高鳴り、手汗、呼吸の浅さ……全部覚えている。


「明日こそ!明日こそ、この辞表を部長に叩きつけて辞めてやる!」

「……でも、タイミングが……今は部長が他の社員と話してるし……」

「この部屋には今、僕と部長だけ……!今しかない……! 

 動け……動けよ僕の足!この退職届を……!」


──結局、そのまま机の引き出しに戻す。


あの頃の僕は、辞めたい気持ちと、人間関係を壊す怖さの間でいつも立ち往生していた。

派遣の今は、その心労が少ないぶん、まだ呼吸ができる。

……けれど、壊す怖さから逃げるために、自分で関係を断ち切る癖は、いまだ治っていない。


派遣の働き方は、僕の性格に驚くほど合っていた。


なぜなら僕は、“人間関係リセット症候群”という、やっかいな癖を抱えている。

医学的な根拠はないけれど、簡単に言えば──少しでも人間関係がこじれると、


「もう無理だ、リセットしよう」


と衝動的に関係を断ち切り、すべてをゼロに戻してしまうのだ。

友達や恋人、職場の人間関係まで例外はない。

そして、それを一度や二度ではなく、何度も繰り返してしまう。


この癖の根っこには、僕の完璧主義がある。

理想の自分、理想の関係でなければ耐えられない。

ほんのわずかなズレでも、「ここは間違っている」と心がざわつく。

修復する努力より、壊してしまうほうが僕にはずっと楽なのだ。


──前の派遣先でのことを思い出す。


ある日、僕は書類に小さなミスをした。

ほんの数字の打ち間違い。それだけだったのに、同僚の表情が一瞬曇った気がした。

その「気がした」というだけで、僕の頭の中は真っ白になり、心は水底に沈んだ。


「ここはもう無理だ」


そう決めた瞬間、心は職場から離れてしまった。

契約更新の連絡が来ても、返事をしなかった。

まるでゲーム機のリセットボタンを押すように──

一瞬で、関係をゼロに戻した。


そんな自分を、僕はずっと嫌っていた。

完璧主義ゆえに、少しの失敗も許せない。

人に迷惑をかけるのも嫌だ。

だけど、誰かに甘えたり、助けを求めたりすることもできなかった。


本当は──ただ一言、「大丈夫だよ」と言ってほしかっただけなのに。


──学生時代も同じだった。


高校の頃、唯一の友だち、亮介(りょうすけ)がいた。

彼は明るくて、誰とでもすぐ仲良くなれるタイプだった。

僕は彼の前でだけは、肩の力を抜いて自然に笑えた。


くだらない話で盛り上がり、放課後に駄菓子屋でジュースを奢り合う。

あの時間は、僕にとって初めて「居場所」と呼べるものだった。


でもある日、昼休みの教室で、みんながいつものように部活や恋愛の話に夢中になっている間、僕は何も言えずに黙り込んでしまった。

すると、亮介が笑いながら言った。


「お前、最近冷たくね?なんか怒ってんの?」


冗談めかした口調だったけど、僕はとっさに「いや……」としか返せなかった。

本当は「怒ってないよ」と言いたかったのに、喉が詰まって言葉が出なかった。


翌日、亮介が別の友だちと笑いながら話しているのを見た瞬間、胸がざわついた。


──もう俺とは距離を置きたいのかもしれない


そんな思いが一気に膨らんで、怖くなった。


その日から、僕はわざと亮介を避けるようになった。

連絡先を消し、廊下ですれ違っても目を合わせなかった。


──これはまたひとつのリセットだった。


亮介はその後も変わらず僕に話しかけてくれたが、無視してしまった。

本当は単なる僕の勘違いで、また仲良くなりたかったのかもしれない。

だけど僕は怖くて、歩み寄れなかった。

その「誤解」や「ズレ」を、どう修復すればいいのか、わからなかった。


こうして今まで、職場でも友人関係でも、ほんの少しの違和感があれば、すぐに関係を断ち切ってきた。

仕事を何度も変え、友達は一人も残らなかった。

まるで人生のリセットボタンを何度も押すようなものだった。


これまでに、十数社の派遣先を渡り歩いてきた。

どの会社も顔ぶれは違ったが、八割はブラック企業だった。

過剰な残業、理不尽なパワハラ、終わらない仕事……

だが、本当の理由はそこだけではない。

僕が会社を辞める決断を下すのは、たいてい人間関係のささいなひび割れだ。


人間関係をすぐにリセットしてしまうこの癖──いや、もはや病気とも言える症状は、今も治っていない。


僕はわかっている。

こんな不器用な自分が嫌だということを。

それでも、それを変える方法は、まだわからないままだ。


──ある夜、ボロアパートの狭い部屋で、缶チューハイを片手にぼんやりと考えた。


「このままじゃダメだ!」


けれど、酒が進むほどに、逆に逃げたくなった。


「まあ、またダメだったら……次の場所に行けばいいか」


そう自分に言い聞かせながら、

その日も契約更新のメールに「契約しない」と返信した。


缶チューハイを飲み干す。


「次こそ、僕に合う職場だといいな」


そう願いながら、次の勤務開始までの無職期間を、少しだけ楽しもうと決めた。


駅前のコンビニで酒を買い足し、冷たい夜風に当たりながら歩く。

楽しそうに笑い合うグループを、遠くからじっと眺めてため息をついた。


「僕には、あの輪に入る勇気がない」


気づけば、僕はただ羨ましそうにその光景を見つめていた。


帰り道。

千鳥足でふらふらと歩いているうちに、足を踏み外し、転倒した。

体が無防備に歩道脇の水路に落ちていく。

冷たい水が体を包み込み、酔いのせいで混乱した頭は、どっちが上かもわからなくなった。


目を開けようとしても、視界はぼやけ、周囲の音は遠ざかる。

息を吸おうとしても、水が肺に入り、むせ返るような苦しさが襲う。

パニックが押し寄せる前に、体の力が抜けていく。


──僕はなんて不器用なんだろう。


どうしていつも、人とうまくやれなかったのか。

どうして言いたいことが言えず、伝えられずに終わってしまうのか。


このまま何もかも終わってしまうのかと思うと、悔しくて、情けなくて、悲しかった。


もしも、もし神様がいるのなら。

どうか、こんな僕でも救ってほしい。

せめて、次の人生では、もっと素直でいられるように。

「人間関係リセット症候群」のない自分になれるように。

完璧主義の呪縛から解き放たれた、自分になれるように。


もう二度と、誰とも壊さずに、仲良くなれる世界にしてほしい。


でも、その願いも届かないまま、体の力がすべて抜け、呼吸も遠のいていった。


そして、静かに——意識は闇に溶けていった。


どうして、どうして僕はこんなにも生きるのが……いや、なにもかもが不器用なんだろう……

ああ、神様。

どうか、どうか来世こそは——


「一生リセットすることのない、友だちのいる世界」


——それが叶いますように。

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