番外
「おい!昼食はまだか!?」
「は、はい!ただいま!」
元第三王子の催促に、リコリスはバタバタと厨房を行き来する。
朝、菜園に行く余裕がなかったので、昨日の残りの野菜で何とか食べられるように調理していくが、きっとこれを見た瞬間激昂するのだろうと思うと、げんなりとした気分になる。
日々の家事であかぎれだらけの手。昔は白く美しい手だったなのに、どうしてこうなってしまったのかとリコリスは悔いていた。
運命を変えたあのパーティー。
あれさえなければよかったのか。それとも、今昼食を催促している暴君王子に近づかなければよかったのか。
それなりに裕福な男爵の娘として生まれ、蝶よ花よと育てられてきた。
両親のいい所を集めた可愛らしい容姿と、華奢で庇護欲をそそる躯体。まるで妖精の様だと周りの人間たちは自分を褒めそやしていた。
私は誰よりも可愛く、愛される存在。学園に行っても周りは私を放っておかない。きっと運命の相手が私に会いに来てくれる。
そう思っていた。そして本当にそうなった。……そうだと思っていた。
金髪碧眼のこの国の第三王子。金髪碧眼で美男子な王子を見て、リコリスは一目で彼を好きになった。
彼は誰よりもリコリスを大事にしてくれたし、お願いはなんだって聞いてくれていた。甘い声で愛を囁いてくれた時には、幸福で胸がいっぱいだった。
でも彼には婚約者がいて、男爵令嬢の自分では到底太刀打ちできないくらい美人で所作が綺麗な人だった。この人が婚約者では、相手にすらならないとガッカリもした。
でも婚約者がいようが、彼を好きであることは止められなかった。だから婚約をなかったことに出来ないかな?なんて邪な考えを持ってしまったのだ。
王子と懇意にしていくうちに、護衛騎士の人や幼馴染だという伯爵令息とも親しくなっていった。
そうしていくうち、少し強引な所のある王子とは違う、大人の魅力がある騎士の人や、お姫様のように扱ってくれる伯爵令息にも惹かれていってしまった。
魔術師の彼は偶然知ってしまった理不尽な出来事に怒りが治まらず、色々やらかしてしまったけれど、結果助け出すことができて良かったと思っている。
それに恩を感じ懐いてくれる姿に庇護欲がそそられ、構い倒した結果、魔術師の彼は自分を女神のように崇めるまでになってしまった。でもそれが心地よく、リコリスもあえて訂正などしなかった。
一言声をかけるだけで、それがご褒美だと言わんばかりに輝く笑みをくれる。それだけで虜になってくれるなんて安上りだったから。
そうしてリコリスの周りは美男子で固められ、毎日が楽しかった。
でもそうして過ごしている内に、次第に学園にいる令嬢たちからチクチク嫌味を言われるようになっていった。
だから皆に「陰口を言われて令嬢たちが怖い」とこぼした。それだけだったのに、騎士と令息の二人は婚約を白紙にして晴れ晴れとした顔で、「これで嫌がらせはない」と報告してきた。
陰口は言われても、誰にも嫌がらせはされていないし、ましてやそれが二人の婚約者だってことはなかったのでビックリはした。でも彼らの婚約者に対し罪悪感はなかった。ただ優越感のみが体を駆け巡ったのだ。
その時だ。報告を聞いた瞬間、リコリスはこれだ!っと閃いた。
学園の中なら閉鎖的で外に漏れる可能性は少ない。だから王子と結ばれるために、嫌がらせをでっち上げようと思いついた。
とはいっても、実際自作自演では辻褄合わせが大変だから、周りの人たちが勝手に動くように、衆目の中四人に甘えて見せつけてやる。四人とも顔が良いから憧れる令嬢はいるはず!
見せつけ効果もあり、地味だけどちょっとした嫌がらせを受けることに成功した。
出会い頭に嫌味は当たり前、教材を隠されたり、私物を隠されたりはした。でもお嬢様だけあって、物を壊すことはなく、隠されていた物も割とすぐに見つかるような感じだった。
ちなみに、後から知ったが一番人気は騎士の彼だった。大人の色気には、年頃のお嬢様も太刀打ちできなかったらしい。
最下位は第三王子だったのは納得がいかなかった。
(なんでよ! この国の王子さまよ? 顔良しスタイル良し、意外と頭もいいのよ! なのに最下位って!)
この時のリコリスは恋に盲目で、なぜそんな結果になっていたのか分からず憤っていた。
でも今ならわかる。彼は我がままで傲慢、自分が一番でなければ気がすまない人間だったからだ。
当然人気なんてあるはずもなかった。皆は知っていたのだ。顔は良いから観賞用には向いているが、恋人や夫にするなんて地獄以外何でもないということを。
そしてその日がやってきた。
彼は自分を愛してくれている。自分も彼を愛している。だから大丈夫。
断罪予定が侯爵令嬢によっていつの間にか大団円に変わっていても、幸福な未来があると思っていた。
結果はご覧の通り。
五人だけの世界で暮らし始めた初日は、ちょっと予定と違うことになったが、誰にも邪魔されず幸せだね、と笑い合っていた。これから自分たちは誰よりも幸せになる。きっと皆もそう思っていただろう。
でもその幸せは直ぐに崩れ落ちた。
まずこの世界は閉ざされているため、自分たちしかいない。当然、炊事洗濯掃除など身の回りのことは自分たちでするしかない。
幸いなのは、それぞれ個室が持てる程度のそれなりの大きさの屋敷と、小規模だが立派な菜園があったこと。近くには森のようなものがあること。でもそれだけだった。
使用人などいるはずもなく、お腹が空けば自分たちで調理しなければならない。しかも野菜は菜園からとってこなければならず、肉が欲しくても動物がいるのかすら分からないので、無暗に森の中に立ち入り無駄足を踏みたくはない。
それでもやるしかなく、元王子以外の四人でなんとか料理の形に見える食べ物を作った。誰も料理をしたことがないので、これでも上出来な方だろう。
味は美味しくなかったけれど、お腹が空いているよりはマシと我慢して食べる。
元騎士や元伯爵令息、元魔術師たちは文句を言うことなく食べてくれたが、元王子は料理をみるや、家畜の餌を出すなと言って投げ捨ててしまっていた。
食器が割れる音に思わず肩を竦める。こんな態度の彼を見るのは初めてで、リコリスは恐怖に震えているだけだった。
結局、元王子も空腹には耐えかねたのか、深夜に元騎士を叩き起こし残りの料理を温め直し食べていたという。
そんな初日が過ぎ、二日目、三日目と時間が流れていくごとに、五人の関係は変化していった。
元王子はその傲慢さで一切の家事をすることはなく、退屈だと愚痴を漏らし暴れ回る日々へ。
元騎士は森へ入り、そこで見つけた動物を狩る以外は、剣を振り回し現実逃避をしている日々へ。
元伯爵令息は書庫に所蔵されている本を読んで、他の人間とは極力関わらないようにしているのか、あまり顔を合わせない。
元魔術師は得意の魔法でこの空間から脱出しようとし、先日跳ね返ってきた自身の魔法で怪我をして療養中だ。
そして、リコリスは―――。
家事一切を押し付けられ、時には彼らの性の奉仕をしている。
最早、お嬢様でも、お姫様でも、ましてや守られる女性でもない。
彼らの都合のいい奴隷であり娼婦だった。
しかし、本当の地獄を五人は知らない。
この空間が時を止めていることを。
魔物を観察する目的で作られているため、死すれば復活するよう細工がされていることを。
――今は誰も知らない。