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心地よい風が吹き抜ける東屋。
周りを見事な薔薇に囲まれ、屋外ながらも一種の閉鎖的な空間に四人の貴婦人がお茶会を開いていた。
ただそのうち三人の表情は芳しくなく、どこか青白くさえ見えるほど顔色は悪い。それでも誰ひとりとして、席を外す者はいない。
「それでは皆様、そのような結論ですがよろしいですね」
一人の貴婦人の凛とした声に、各々が頷く。すでに各家の意向は固まっているのだ。ここで反論などできるはずもなく、また反論できる材料も一切ない。
パチンと扇を閉じる音が風に消されることなく響く。
「ではそのように。……当日何事もなく終わることを祈りましょう」
何事もなく終わるはずもないことは、発言する彼女しか知らぬこと。
発言をする彼女――この場で一等身分の高い貴婦人は、そっと心の中にそれを仕舞いこむ。
事態はすでに動き出しているのだから。
***
「レイシア・マレーニ侯爵令嬢! お前との婚約は今を以て破棄する!」
「……」
「代わりにリコリス・ミレニア男爵令嬢と婚約する!彼女は俺の運命の乙女であり、真実の愛を教えてくれた!これは天が定めた運命なのだ!」
「……さようですか」
学園主催の卒業パーティーで金髪碧眼の美男子が声高々に言う。その腕の中にはベージュピンクの髪の小柄な美少女。そして二人を護るかのように、後ろに三人の美男子が立っていた。
対してそれを言われた金髪紫眼の美少女は、手にしていた扇をばさりと広げ、さもどうでもいいとばかりに、冷めた目で目の前の茶番劇を見る。
金髪碧眼の美男子はこの国の第三王子で、金髪紫眼の美少女の婚約者だ。いや、たった今まで婚約者だったという方が正しい。
ギニアス第三王子は自身の言葉に酔っているのか、周りのざわめきと冷ややかな空気に気づきもしない。同じく、ギニアスに抱かれているリコリスもうっとりとした表情で、こちらも気づいていないようだ。
後ろに控えている王子の護衛騎士と魔術師、王子の乳兄弟の伯爵令息は、ぎっとレイシアを睨み付けながら周りも牽制している。なおこちらも、周囲の冷たい視線には気づいていない。
ここまでバカで考えなしだとは思わなかった。レイシアは扇で顔を隠し深い溜息を吐き出す。
「婚約破棄、了承いたしました。しかしよいのですか? わたくし達の婚約は王命だったはず。王家はその件を了承しているのでしょうか?」
「ふん!そんなことなど後でどうにでもなる! それより今はお前の罪を暴くいい機会。いまこの場にいる者たちが証人だ!」
「そんなこと……」
王命をそんなことというなど、いったいどういう頭だろう。
周りを見ればいっそう冷ややかな視線と共に、ひそひそと小声で非難する声も聞こえる。
それさえ、自分ではなく目の前の断罪予定の令嬢へ向けられたものだと思っているのか、偉ぶる態度を崩しもしていない。
ここまでくると、いっそう憐れみさえ抱いてしまうほど。目の前の男が一時的にでも婚約者であったなどというのは、己の人生において汚点でしかないと思う。
ギニアス第三王子。この国の王家の三番目の子として生れ落ちたにも関わらず、学力もなく、求心力もなく、政治力も武術の腕さえないただのボンクラ。しかも性格は酷くわがままで癇癪持ち。
そんな男の行き先を不安視した王家が、婿養子にと頼み込み、やっと婚約にありつけたのがマレーニ侯爵家だった。
マレーニ侯爵家の一人娘は、才覚あるがため将来は女侯爵として家を継ぐことがきまっていた。つまりお飾りの夫で構わないといった理由の婚約だ。
どこも忌避する王子の引き取りとあって、王家はマレーニ侯爵家に強く出れない。
それを逆手に、領地の特産品を売り込んだり、国民の生活向上のため多少改革をするなどしたりと中々こちらも旨味を貰っていたが、それも今日までだ。
売り込みの成果で、王都への市場規模も増え、領地は今まで以上に潤っているし、国民の生活向上に力を入れたため、マレーニ侯爵家とその令嬢の好感度は高い。婚約破棄されたとしても、なにも失うものなどない。
それに比べ、なにもしないどころか、平民や下級貴族を奴隷のように扱うギニアスは誰にとっても邪魔者であり厄介者。その血が王族のものでなければ、疾うに勘当され平民となっているほどだ。
今までは成人前の学生であり、侯爵家に引き取るため多少のことは目を瞑ってきた。王家の弱みはいくつあってもいい。やらかすたびに、取引材料が増えていき、侯爵家優位になってくれるとは父侯爵の言葉。優しくぼんやりした父が、この時ばかりは怖いくらい目が笑っていなかった。
だがしかし、王家にとっては大切なボンクラ引き取り相手であるが、一貴族である侯爵家に力をつけさせることも、王家威厳のためにも、あまりの失態は許容しがたいものである。
第三王子が何かをやらかすたびに、諌め説教したりもしたが、かえって自分本位な性格になっていくのを周囲は感じていた。国王夫妻にいたっては、この話が出るたびに頭を抱えて唸っていたという。
三人の王子は全て王妃の同腹である。第一王子、第二王子はまともなのに、なぜか第三王子だけが何もできないワガママ王子となってしまったのだと、今日この日まで言っていたとかいないとか。
とにかく今回、なんの落ち度もない侯爵令嬢であり婚約者であるレイシアを、衆目の中で辱めたことで、王子の今後は決まった。勘当は免れない。そして婿として迎え入れる家ももうない。幽閉か、あるのは爵位のみのお飾り貴族に落ちるのみ。平民に落ちないだけありがたいと思って欲しい。
まあ、このボンクラのことなどどうでもいい。それよりも気になることを言っていた。
「……それで、わたくしの罪とはいったいどういうことですか? 我がマレーニ侯爵家の名に恥じぬ学園生活をおくっていたと思いますが」
「はっ! なにをぬけぬけと! お前はその身分を笠に着てこのリコリスに嫌がらせをしていただろう!」
「嫌がらせ、ですか」
「なんだその目は! いつもそうだ!お前はいつもそんな目で俺を見てくる!」
冷めた目でギニアスを見据えるレイシアに、ギニアスは唯一の取り得の顔を顰め怒鳴る。
初対面からこんな態度なのだから、冷めた目で見るのは当たり前だろうに。
四年前の顔合わせ、出会い頭に「こんな女が婚約者なのか!?」と叫び、「可愛い子がよかった!」と我がままを言うや紅茶をかけてくる。
さらには「ほら! みすぼらしいヤツだった!」と自分が汚したにも関わらず、さもこちらが悪かったようにあげつらってきた。
慌てたのは周囲にいた者達だ。王家が頼み込んだ婚約予定の令嬢との顔合わせ、その大事な場面でよりにもよってバカ王子がやらかしたのだから。
十三歳、とっくに物の分別もつく歳だというのに、まさかの暴挙に周囲は凍り付き、侯爵令嬢の侍女たちが慌てて主にかけられた紅茶の滴を拭っていく。
当の王子はニヤニヤとイヤらしく笑い、侯爵令嬢は無表情で侍女たちから世話をされていた。
そこはまさに地獄のお茶会だった。
この件は王家、侯爵家共に報告がされたが、王家の懇願と侯爵家の思惑によりそのまま婚約確定となった。
それからも、顔を合わせるたびに暴言を吐かれ、髪やドレスを乱暴に引っ張られるなど嫌がらせが続き、最近では件の男爵令嬢を侍らせ彼女は素直で可愛らしく素晴らしい女性だと讃え、お前は氷のように冷たくみすぼらしいと蔑む。
これでどこに好感が持てるというのだろう。当然、冷めた目でしか対峙したことがない。あえて褒めるとすれば、侮蔑の目と態度だけはとらなかったことだろうか。