第74話 心の闇(2)
バトルアックスの間合いが、こんなに広いとは思わなかった。
矢を番えようとしていたノエルの手から、弦を斬られた弓が飛ばされる。
「なんでそんなに急ぐの? ずっとダンジョンにいようよ」
戦闘開始から、ずっと闇のマリモはノエルに話しかけ続けている。
「地上に出たらお金に困って、みんなに怒られて、いいことないよ。でも、ダンジョンにいれば何にも困らないでしょ?」
「確かにそう……だが」
死角から投げたはずのクナイも、戦斧を振った風圧だけで落とされた。
「地上で生きるために、ダンジョンで稼いでいるんだろう。本末転倒だ」
ちがうよぉ、と一足で踏み込んできたマリモにぞわりとして飛び退る。
「ダンジョンに居るために、ダンジョンに入るんだよ。ここが、私の居場所だもん」
にっこり笑う顔は、見慣れているようで、全然違う。全然おぞましい。
「マリモの居場所は、地上だ。お父さんもお母さんも城にいるだろう」
違う、違うと笑ったまま柄で殴りつけてくるのを、受けるだけで腕がしびれてくる。
「私の手は、何でも壊すの。お城の家具も、お母さんの勲章も、大事な仲間の体でも」
40階にたどりついちゃったらどうしよう、とフッとマリモは真顔になった。
「私、地上ではうまく生きられない。兵士にもなれない。お母さんにもなれない。赤ちゃんを抱いたら、ぐしゃぐしゃにしちゃう」
まっくろな涙が、ぱたぱたと地面に落ちる。
ガガッと乱暴にスイッチが入る音がした。
「ノエル! もういい、聞くな。部屋から出ろ、強制終了する」
聞いたことのない管理者の乱暴な声に、うつむいていた銀の頭が、ゆっくり左右に振られる。
「余計なことをするな。俺の仲間の闇だ。俺が払う」
管理者の画面からは、ノエルが消えたように見えた。
次の瞬間、マリモは派手に後方へ吹き飛んで、壁にたたきつけられる。
「あーっ、いったーい。ヒドいよ、ノエルっ」
まるで感情のこもっていない声でうめいたマリモは、レンガのカケラを払いながら、今度はバトルアックスの刃を振り下ろしてくる。
「ねぇ、こんなギフト、何であるの、かなっ」
3度目に刃を受けた時、棍は中央からひび割れて砕けた。
「化け物じゃない? 今まで戦ってきたモンスターと、私と、何が違うの?」
次に抜いた小太刀も、すぐにミシミシと不穏な音を立てた。確かに重い。水のワーウルフの爪よりも、はるかに重い。
ずっと笑顔の下に押し込めていた、マリモの闇が、重い。
導かれるように、背中のカラドエウリアを抜いた。濡れたように光る刃から、温かい力を感じる。
「壊れるよ! そんな薄い武器。壊れたら戦えないよ、ダンジョンでも役にたたなくなったら、終わりだよっ!」
叫ぶように脳天に振り下ろされたバトルアックスは、ピィンという高い金属音を響かせてノエルの長剣に受け止められていた。
「壊れない」
口下手なローグは、ありったけの想いを込めてそう囁く。
戦斧の形をなぞるように、カラドエウリアの刀身が滑り、虚空にその輝きがひらめいた。
「終わらない」
一息に心臓を貫くと、相棒そっくりな魔物が顔をゆがめて「ノエル」と呼んだ。
「お願い……知らないで、いて」
ドロップした宝箱を蹴って、ノエルは部屋を出る。
すぐ隣のドアにもたれて、マリモはバトルアックスを抱いて座り込んでいた。
「お疲れー、遅かったね」
へにゃ、と笑いながら見上げてきた顔に、ノエルは腹の中が煮えるような心地がして、その場にあぐらをかいて座った。
「確かに俺たちは、地上で色々やらかしがちだ……」
言葉を選んでいるであろうリーダーの顔に、全て知られてしまったことを悟って、マリモは絶望する。
「俺は、人の気持ちに疎い。疎いが、たった1人の仲間が不安に思ってることくらいは、知っておきたかった」
言ってくれればよかったのにではなく、知ることができて良かったと伝えようとしてくれているのだと、理解できる。だけど。
「やだ。知られたく、なかった」
魔物ですら流した涙を、マリモは流せない。もうとっくに、誰かを、何かを傷つけて壊す度に、枯れ果てるまで泣いたのだ。
「知られたくなかったか」
「そうだよ。風のスケルトンを倒して、やったね、最高の仲間だったねって、かっこよく終わりたかった」
む、とノエルは口をへの字に結んだ。
「それは、少し卑怯だ。さんざん俺のカッコ悪いところを見ておいて、自分だけ颯爽と去ろうというのは、ズルいぞ」
えっ、そうかなとマリモは少し考えこむ。
たしかにノエルのカッコ悪いシーンは、もう本が出せそうなくらいエピソードが思い浮かぶ。
だが、とノエルは立ち上がりながら天井の一点を見つめる。その刺すような視線に、管理者はゴクリと唾をのみこんだ。
「知られたくなかったものを、暴かれたのなら、話は別だ」
非戦闘区域にガラス玉は無い。ノエルからたちのぼった闘気が、小部屋に霧散していく。
「俺は今、多分、怒っている」




