第64話 水のワーウルフ(1)
29階の仕掛け部屋は、氷結した広い部屋だった。途中途中で、人工的な雪の壁で仕切られているのも見える。
「魔物はいないみたいだけど、床がツルツル……わ、わわー」
そっと凍った床に足を踏み出したマリモが、みるみるうちに床の上をツーっと滑ったかと思うと、不自然に急カーブして雪の壁に当たって止まる。
「……大丈夫か?」
むぎゅっと雪に押し付けられたモコモコに一応声をかけると、マリモは顔を上げた。
「あはは。なにこれ、どういう仕掛け? 楽しい!」
再び凍る床を滑っていくマリモは、どう見ても仕掛けを解いている様子では無く、遊んでいる。
しばらくすると、ノエルの立っていた初期位置のあたりまで、ツーっと戻ってきて、雪につんのめって顔からダイブした。
そのまま仰向けになって笑っている相棒を放置して、ノエルは腕組みして考える。
ツルツルの氷上ではどうやら、方向の制御が効かないらしい。滑っていった先の雪の床の上で一度停止し、そこからはどちらの方向に滑り出すか決めることができる。
おそらく向かうべきは、あの雪の壁の向こうだが……。
点々と見える雪の床の位置を確認し、ノエルは一旦入り口近くまで下がると、助走をつけて一気に跳んだ。
「おぉー」
頭上を跳んでいったリーダーが、軽やかに雪の床に着地したのを見て、マリモが感嘆の声をあげたのと、けたたましいブザーが鳴ったのは同時。
「コラっ、ズルするんじゃねぇ! ちゃんと滑って行け」
頭上からの声に、ノエルはチッと静かに舌打ちする。
「やっほー、カンちゃーん、ここ楽しいよー」
「そうだろ? 古来から伝わる『滑る床』のマップなんだからよ、どの方向に進めば出口にたどり着けるか考えてくれよ」
りょうかーいと気楽に返事をしたマリモは良しとして、ローグはその場で足踏みしながら顔も上げない。
「ノエル、返事は?」
「……了解した。だが、こんな迷路で闘気が溜まるのか?」
一瞬マイクをオフにした管理者もまた、静かに舌打ちする。ただ作ってみたかっただけのマップだからだ。
「あったりめぇだ、ガンガン滑って、ガンガン闘気を溜めてくれ」
がんばるぞーと拳を振り上げているマリモの横で、ノエルはまだ納得のいかない顔をしている。
それでも一応、2人は床の上を滑りはじめた。
何度やっても、マリモは「キャー」と楽しそうで、無表情のまま横移動していくノエルはシュールで面白い。
雪の壁を回り込んでいき、出口の扉を発見する。
しかし出口へ向かうルートとは別の、やたらと複雑な滑る床の中央に宝箱が置かれているのが見えた。
「これ見よがしだねぇ……」
数回のチャレンジの後で宝箱の前にたどり着くと、何故か箱は開かず、代わりに虚空にメッセージが現れた。
『……のタネを取りますか?』
その下に「はい」と「いいえ」が浮いている。見たことの無い魔法だ。
「タネって何のたね?」
「知らん。武器じゃないなら要らないな。戻るか」
ノエルの反応に、管理者室でガタッと立ち上がる音がしたが、一応マリモもたしなめる。
「こんな複雑な迷路の真ん中の箱だよ? 使わなくても高く売れるのかも」
その言葉に、金欠ローグはすぐに意見を翻す。
「高く売れるなら要るな。『はい』だ」
浮いている「はい」に手を触れると、ピピッと甲高い音がした。
『高熱で苦しむ仲間を助けるために、これを必要としている姫がいます。それでも取りますか?』
再び「はい」と「いいえ」が浮いた。
「病に効くタネらしい。これは売れるな。もらっていこう」
えっ、と驚いているマリモをよそに、ならず者は容赦無く「はい」を選んだ。
どうせダンジョンのドロップは無限なのだ。自分が取っても新しい宝箱が生える。
『本当に取りますか?』
再び「はい」と「いいえ」が浮いて、ノエルは少し首を傾げて「はい」を選ぶ。
『本当に取りますか?』「はい」『本当に取りますか?』「はい」
早押しの勢いでノエルは「はい」をつかみ続ける。10回近くループしたあたりで、ようやくマリモが口をはさんだ。
「これ、選択できない選択肢ってやつじゃないかな」
「どういうことだ……?」
何かのオマージュ、名作へのリスペクト、カンちゃんの悪戯。
マリモの動物的勘の良さは、いくつかの答えをはじき出した。そして、まだ諦めきれない様子の相棒の肩をモフッと叩く。
「選べるようで、選べない。そういう選択肢って、結構世の中にあるもんなんだよ」
ダメ押しに「はい」をつかんだノエルの前に、再び『本当に取りますか?』が表示された。
「納得がいかん」
30階、水のワーウルフ戦前のセーフポイントは、氷の宿だった。
雪のブロックを切って積み上げたイグルーの内部は、氷板のベッドと机。氷のバーカウンターまで用意されている。
「うわぁ、綺麗だねぇ」
室内を見回してはしゃぐマリモに対して、ノエルは氷のベッドの上に敷かれた毛皮をペラリと持ち上げ、白い息を吐いた。
「寒々しい」
クラッシュアイスがぎっしり入った氷製のジョッキに、ブレスワインを注いでゴクゴク飲んでいるマリモを見ているだけで震えがくる。
「休んでいく? それとも……」
一応問いながらも、彼女はブーツの紐を縛りなおして、ザックを背負った。
「行こう、終わってから暖かいところで休みたい」
「はいよっ!」




